
おひとり様
関東は暦が9月に変わった途端に、涼風が吹くようになりました。
9月初めの金曜日の夜。午後8時を過ぎ、ディナーのピークタイムが落ち着き始めたころのことであった。「いらっしゃいませ」と40代なかばのパートさんがお迎えすると、花模様の、さらっとした生地のワンピースを着た若い女性が立っていた。
口紅もおさえ目の色、清楚な感じで、ビジネスレディーという感じではなかった。社会に出た者は一瞬、目に鋭さが出てしまう。それは知らず知らずに身についてしまう危機意識でもある。そういうものをあまり感じさせない若い女性であった。
人差し指を一本立てて、「ひとりなんですけれど、良いですか?」と言う。そのあとは、手をうしろにして、背伸びするようにしてフロアー全体を見渡し、いいのかな、という顔をしている。
「もちろん、よろしいですよ。どうぞこちらへ」と、奥の静かな席にご案内した。
お席で「ただ今、旬の生さんまメニューがおすすめとなっております」とメニューをお渡しする。
「メニュー、ゆっくり見させていただいていいですか」とお客様。
「どうぞ。お決まりになりましたらお知らせください。ただ今、お茶とおしぼりをお持ちします」と言って、やわらかな笑顔で下がる。
途中で、お茶とおしぼりをお持ちする別のパートさんとすれちがう。パートさんは「お願い致します」と声には出さず目で言う。同じく目で「承知しました」と目で答える。
お席に案内したパートさんが若い女性のお客様の動きにも目配りをしていると、どうやらご注文の品が決まったらしく顔を上げたので、すっとお席に近寄っていき、「お決まりですか」とお伺いすると「よかったです。ボタンを押すのどうしようかなと思っていたところでした」と少しまゆを寄せてほほ笑む。
「どうぞ、何でもおっしゃってください」と安心させるように、やさしい声でご注文をお伺いする。
「どれもおいしそうで迷ったのですが、恵膳をお願い致します」とお客様。「それと……一番小さなボトルの日本酒をください。おつまみにピリ辛春巻きを」
「はい。承知致しました」と、パートさんはご注文の品を復唱する。お酒の名前を言ったところで、お客様が少し微笑んで「今日、私、二十歳の誕生日なんです」と照れたように言う。
「それはおめでとうございます」
「福井から出てきて大学に行っています。マンションに一人住まいで今日、付き合ってくれるボーイフレンドもいなくて」と、しょうがないですねという顔で笑う。
「ご実家ではその方が安心していらっしゃるのではないでしょうか」とパートさんが言うと、首を縦に振りながら口を押さえておかしそうに笑った。「そうかもしれませんね」と、こくりとうなずく。
「ごゆっくりしていってください」と、パートさんはにこりと微笑んで下がった。
お酒とおつまみを運んだのは、立ち姿の美しい若い女性店長でした。
「いらっしゃいませ。お待たせ致しました」とやわらかく言い、ピリ辛春巻きと日本酒の可愛いボトルと、冷やしたグラスをテーブルに置いてから、「お酒、おつぎしましょうか」と冷酒のキャップを外した。
「ありがとうございます」とお客様がグラスを持つ。
「お誕生日、おめでとうございます」と女性店長は言ってグラスにお酒を注いだ。
「ありがとうございます」とお客様は言ってお酒をこわごわ、口に持っていく。「父がおいしそうに飲んでいるお酒って、こういう味なのね」と細い指を口に当てて小さく笑った。
「ごゆっくりどうぞ」と店長は微笑みながら席を離れた。
そのあと、パートさんが恵膳をお持ちして、「二十歳のお祝いのお酒の味はいかがでしたか」と聞いてみた。
「想像していたより辛くて、でも、大人の味ってこういうものかと思いました」ほほがほんのりピンク色になっていた。
ゆっくり恵膳を召し上がったあと、お茶を飲み、少し酔いを覚ましていたようだ。会計の時、店長がお相手をした。
「今日は楽しかったです。お店の皆さん、あたたかくて。ひとり客でしかも若い私に、とてもいいものをいただきました。今日の私の誕生日プレゼントはこのお店の皆さんのおもてなしです。ありがとうございました。また、来ます」と帰っていかれた。
敬老の日
9月半ばになっても、関東は蒸し暑さがつづきます。敬老の日は3世代のお客様のご来店が多く、祝日ということもあって、小さなお子様や小学生のお子様を連れたお客様はランチ帯に多くいらっしゃいます。
高校1年の冬休みからアルバイトを始め、およそ10カ月くらいになり下げ膳とお茶サービスにすっかり慣れた女子高校2年の彼女。
17歳にして礼儀正しく、三世代のお客様ともきちんとお話ができるようになっていた。
実際に彼女は何人もの小さなお客様から「おねえちゃん、こんにちわ」と、お店に入るなり声をかけられる。ある意味、人気者なのである。
お茶サービスで回ると、小さなお子様たちには、お冷やサービスをしたり、食べ終わったお皿や小どんぶりを片付けてあげてテーブルを広くしてあげたり、逆にパンダ、サッカーボール、ミッフィーのうつわなどお気に入りのものは残しておいてあげたり、(それらを置いておくだけで、子供たちは千の物語を考え出すことができるからであったが…)お子様たちとは声に出さず、顔を右に左にかたむけながら目で言葉をかわす不思議な能力があった。
笑顔の微妙な変化で伝え、お子様たちの返す表情を読み取り、それに合わせて行動し、フィニッシュはきわめつけの天使の笑顔。笑顔は天使の最大の愛情表現であることをお互いに知っているのである。
その彼女に午後3時、お客様が来た。
「おじいちゃん、おばあちゃん、いらっしゃいませ」ときれいにお辞儀をして彼女は迎えた。彼女の目がきらきらしている。
彼女にとって、中学3年の春に癌で亡くなった父方の祖父母であった。
彼女は学校の成績が良く高校進学の時、父方の祖父母が学費の面倒は見るから、ぜひ有名私立校に行くように、とすすめてくれた。
だが、彼女自身も母親も納得づくで、学費の少ない県立高校を受験、進学した。なおかつ彼女は高校1年の冬休みからアルバイトを始めた。父方の祖父母はそのことでもう我慢できなくなったように彼女の母を責めた。 母親は「特別変なことをしないかぎり彼女の思うように行動させたい」と母親にとっては義理の両親に静かに語った。16歳だった彼女は黙ってみていた。
人は激しく反論されるほど、それに合わせて力あるものはそれを行使しようと思うものだが、冷静に語られてはそれもできない。そんなことがあって以来、両家は行き来しなくなっていた。
「どうぞ、ご案内致します」
久しぶりに会った孫に案内されて、おじいちゃんとおばあちゃんは、にこにこと従った。
席に着いて、メニューを見せながら彼女は「当店のメニューはどれもおいしいものばかりですが、おじいちゃん、おばあちゃんにはこちらの低カロリーメニュー、遊膳、楽膳をおすすめ致します」とにっこり微笑んで紹介する。
その案内に彼女の祖父母は最初ぽかーんとして見ている。しかし、そのうちおばあちゃんの目から涙がほほをつたい、おじいちゃんはうつむいて肩を小さくふるわせた。むろん、悲しいのではない。とてもうれしかったのである。
「おとなになったね」とおばあちゃん。おじいちゃんは、何度もうなずいている。
すると、もう一人、席に近づいてきた。
「あら、波子さん」とおばあちゃんが少し驚いたように言う。
「お母さんも、いらっしゃいませ。どうぞ、こちらの席へ」と高2の彼女。
「マコに仕組まれたようですね。おかあさん」と彼女の母親が、おばあちゃんに言う。
「そのようですね。波子さん。気持ち良く、だまされましょうよ」とおばあちゃんは笑う。
「よかった」と17歳の彼女。
「今日は敬老の日。私がごちそうさせていただきます」と、満面の笑みで、胸を張るようにして彼女は言った。
うしろから「おねえちゃん、こんにちわ」と彼女に声をかけてくる。新しい小さなお
客様の来店である。
「いらっしゃいませ」と彼女は小さなお客様を明るい声でお迎えして、小さなお客様と笑顔と笑顔で交信してから、にっこり微笑みながら彼女は機敏に歩いて奥へと消えて行った。
鍋メニュー始まりました
愛とさんまはプライスレス
旬のさんま(秋刀魚)メニューが売れています。
入社して4年目になる彼女。最近はフロアーにも出るようになったが、キッチンで調理する時間の方が長い。
人気のさんまをおいしく提供しようと、この日は20尾のさんまの仕込みをおこなった。
家では包丁を握ったことのない彼女であったが、とんでんに入社して今は見事に、さんまを大名おろし(3枚おろし)にできる。
とんでんに入社しなければ身につかなかった調理技術、”わざ”である。さんまだけでなく、いわし(鰯)にしても原魚からさばくので、たいていの新人さんは、これをやるのですか、と一瞬身を引く。しかし、やって見せ、やらせていくうちに、顔色がどんどん明るく変わっていく。
教えることができた彼女もうれしいが、新人さんの技術を習得した時の喜びの顔を見るのが彼女にはたまらなくうれしいのである。
それは新人さんだけでなく、彼女の仕事に対しても無限のやる気を引き出してくれる。相手が持っていないものを教えることで共有できる喜びは仲間意識を強くしていく。
いつまでも乙女チックな彼女にはまだ理想の王子様はあらわれないが、車社会の時代であっても、白いスポーツカーではなく、きっと白い馬に乗って迎えにきてくれる、という小さいころからの夢はまだ醒めない。
近ごろ、フロアーに出るようになって、男性のお客様を見るたびに私を迎えにきてくれたのかしら、と思ってしまう。そして今なら王子様にもおいしいさんまをごちそうして上げられるのになあと思ってしまう。
彼女には後輩の女子社員がいる。この若い彼女にも当然、さんまの調理方法を教えた。後輩の彼女は、ビールのおつまみメニューの中に「さんまの塩焼き」が入っていて、香ばしく、あぶらをじゅーじゅー言わせながら焼き上がるさんまもまた提供しがいのある価値あるものだと思っている。
若い彼女はスーパーでは特売になったさんまを見ながら、とんでんのさんまはスーパーの特売価格の何倍もするお値段だが、形も良く、あぶらもあって、そして私達とんでんのお客様への愛と心がいっぱい詰まっているからずっとずっとおいしいのだ、それはもうプライスレス!で、胸をキュンとさせることがあるんです、と先輩の”師匠”に話すことがある。
二人ともさんまに負けず、「今が旬の私達で~す」とも言いたそうにして、お客様を毎日お待ちしています。
東北の先生
今は実年齢より5歳を引くと、その人の顔だと言われている。
入社して11年目の採用担当の彼は2店舗の店長経験もある。大卒入社で11年在籍だから当然30歳は過ぎているけれど、マイナス5歳と言わないまでも20代にしか見えない。明るい笑顔がなお若く見せている。
そんなことで、来春新卒予定の高校、専門学校、短大、4大の採用面接で就職志望者には会うなり、近しく思っていただけるようだ。
その彼が、この間、ちょっとうれしい話があったんですよ、と話しかけてきた。
東北の高校の就職担当の先生からの電話なのですが、先生のお子さんが大学生で、埼玉に住んでいるのだそうです。そのお子さんを訪ねて、一緒にとんでんで食事をしたところが、「とても感じが良かった。料理もおいしいし、接客サービスが実に行き届いている。こんなに感じの良い店で食事をしたことは今までなかった」と先生が話してくれたそうです。
そこまで聞いているだけで、彼はうれしくて、東北の先生に「ありがとうございます」と受話器を持ちながら頭を下げたとのこと。
ところが話はそれで終わらず、その先生はこう話をつづけたそうです。
「こういう会社なら、うちの来春、卒業する生徒をあずけられる。特に礼儀正しいのが良いですね」と言われて、この言葉に彼はもっとうれしくなったそうです。
「当校には就職を希望している素直な良い生徒がいましてね。その子に、関東に和食レストランチェーンのとんでんという会社がある。ぜひ推薦するから受けてみないかとすすめたんですよ」と言ってくださったとのこと。
これにはもう、胸の底から、ふつふつと感動が沸き上がり、声も震えるほどで「先生、本当にありがとうございます」と答えながら、何度も頭を下げました、ということでした。
今年は9月16日から高校生の就職活動が解禁となり、緊張しながら当社を訪れる若い高校生を、彼の”20代の笑顔”が安心させ、リラックスさせています。
「面接者のどの子も私の弟や妹のようで」と彼は快活に笑う。
柳葉魚
関東のとんでんに勤務する社歴の長い社員には北海道出身者が多い。その多くが北海道に戻らず、新天地の関東に定住する。
なぜなら、彼らの子供たちは関東で生まれ、関東で育ち、関東の大学に通っている者もいるし当然、関東の会社に就職をし生活をしており、子供たちにとって北海道はおじいちゃん、おばあちゃんが住む土地となってしまっているからである。
北海道出身者は北海道の食べ物をなつかしがる。干物のほっけにしたって、関東のスーパーでも売ってはいるが、あぶらがなく、うま味がないと嘆く。最近は北海道のほっけが売られるようになって、買ってきて食べてみるものの何か味が違うと思ってしまう。
北海道に帰ると食べたいのは、ほっけの焼き物、まがれい、くろがれい、すながれい、やなぎのまい、あぶらこは煮魚として、冬のかじか、たち(たらの白子)は味噌汁、この頃はニシンも揚がるようになったと聞く。鮭の子のスジコは、スズコとも呼ばれ、今でも年中、食卓にのぼる。白いご飯に塩辛くて甘みのあるスズコは食が進むからである。
子供のころ、と言っても50年近くも前のことであるが、毛蟹は安くて一人2ハイずつ、新聞紙の上で大きな裁ちバサミを使って食べたものだがだんだん値段がバカ高くなっていって口にすることはなくなり、庶民の口から遠去かってしまった。きんきの煮魚も子供のころは普通に夕食のおかずに出てきたが、今は北海道でも関東でも高級魚である。
じゃがいもや堅いマサカリかぼちゃ、とうきびは、昼食がわりだった時もある。北海道人は、とうもろこし、と呼ばず、とうきびと呼ぶ。じゃがいもは馬鈴薯、ごしょいもとも呼んでいた。
でも、魚も代用食のいもやかぼちゃも子供の頃の方がずっとおいしかった。甘みがあった。北海道の海や地は、今とはミネラルの多さが違ったのかな、と思う。
柳葉魚(ししゃも)だって、晩秋になると、串刺しで安く売られ、夕食のおかずというより、前菜といった感じで軽く焼かれた柳葉魚が皿盛りで出た。柳葉魚が魚屋に並ぶ頃は北海道は朝夕、冷え込むようになり、家の中では、薪ストーブがたかれていたものだ。
柳と言えば、北海道の川原には柳の木が自生し、七夕のお飾りの木は柳の木であった。七夕が近づくと鉈(なた)を片手に近くの川原に自転車で行き、形の良い柳の木を切って自転車の後ろにくくり付け、ずるずると引きずるように家まで運び、埋め込んだ添え木に縄で縛り付けて立てた。 北海道の秋の味覚、ししゃもという魚はその柳の細長い葉に似ているから柳葉魚という字が当てられたようだ。
その柳葉魚が、10月2日から始まるとんでんの「北海道フェア」のメニューの中に登場する。それも知る人ぞ知る、日高の鵡川産で、垂涎の的(すいぜんのまと)である。関東で手に入れることはなかなか難しい一品。 「北海道フェア」の開始を待っているのは、意外にもとんでんの北海道出身者であったりするかもしれない。スイーツメニューの「まりもようかん」もなつかしくて、なつかしくて…めんこいようかんだよ。