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お盆の出会い

関東の炎暑はいつまでつづくのでしょう。
酷暑のなかでも、ピンクの花の百日紅(さるすべり)、だいだい色の花を吊るしているノーゼンカツラ、白や桃色の花の槿(むくげ)、それに赤いカンナの花も元気なのです。夏が好きな花なのですね。


お盆を迎えると、懐かしい方々と会う機会も多いかと思います。
帰省してきた知り合いや友人が、お客様として、ご家族を連れてご来店され、「ここにいたの?」とか、「やあ、まだいたんだ?」と思わぬ声を掛けていただく従業員は少なくありません。


おおげさかもしれませんが、お客様との出会いのなかで親しく声をかけていただいて「生きてきてよかった」とか、「今日も、いや明日も頑張れそう」と、活力や勇気をいただくこともあります。


人と人との出会いは、なんて温かいものなのでしょう。太陽に背を向けず、前を向いていたら影はうしろにしかできませんし、影が見えないのと同じように、うしろ向きにならないかぎり、温かさを感じ取ることができます。


和食レストランとんでんでは、ご来店されたお客様お一人お一人を笑顔でお迎えしています。おなじみ様との出会い、新しいお客様との出会い、この夏の懐かしい出会いに笑顔でおこたえしています。


この夏のおすすめは、選べるデザート付きの「おたのしみ膳」「いろどり膳」。北海道日高・えりも産の希少な高級魚の時鮭(ときしらず)と函館港で水揚げされた真いかを堪能できる「時鮭・真いかの刺身膳」。同じく時鮭をお鮨で味わっていただく「旬の北海道鮨と北海道そば」。


さらには猛暑の暑気払いにはぴったりの『ビール祭り』を開催中です。目移りするほど、豊富なおつまみメニューもご用意しています。


ご家族でお出での小さなお子様には、「サッカーボール」「パンダちゃん」「おこさまラーメンセット」がおすすめです。


デザートには、北海道日高産生乳を使用した「ソフトクリーム」、「北海道メロン」、お持ち帰りには弊社恵庭工場特製の「メロンゼリー」も好評発売中です。


どうぞ、心温まる三世代で、ご家族で、ご友人、お知り合いの方々とご来店いただきまして、美味しいものをお召し上がりいただきながら、ほのぼのとする、お盆のひと時を和食レストランとんでんで、お過ごしいただければと、ご来店を心よりお待ち申し上げております。

入梅いわし

サルスベリが咲き始めると関東は真夏です。
蒸し暑い日がつづいています。
梅雨の真っただ中で、青空がなかなか見えません。
夕暮れになれば夕立のごとく雨が降り、それも半端な降り方ではなく、今年も「ゲリラ豪雨」なる怖い見出しが新聞紙面で異彩を放ち始めています。


自宅から数分のところに車を停める駐車場を借りています。帰宅しようと車から降りて歩き始めたら、薄闇のなか、不意に声が掛かることがあります。駐車場のオーナーさんで、とても気さくな方です。


「お帰り。とんでんのいわし、うまいよね。今の時季は」とオーナーさん。夕食のあと、ほろ酔いでご自宅周辺をゆったりとよく歩いています。
たまたま、そういうときに出くわすと、そんな話をいただきます。
「今の時季は入梅いわしといって、脂が乗って、とてもおいしいんです」
「そうだね。ほんとにうまい。最近は、いつもの店には行ってないんだ。ちょっと遠い店に行っている」少し謎めいた言い方です。
「何かあったのですか」と私。
「うん。女房が入院しちゃってね。そこの病院の近くに、とんでんがあってさ。週に2回は行ってるかな。すっかり馴染みになって、店長さんにもおぼえてもらって、よくしてもらっているよ」とオーナーさん。
「そうですか。それはようございました」と、うれしくなる私。
「どこのとんでんに行っても、やさしくされるとうれしいよ」
「そうですね。奥様、一日も早く治られるとよろしいですね」
「うん。ありがとう。そんなわけで、いつもの店にはよろしく言っておいてくれよ」
「はい。承知致しました。いつでも、お待ちしております」
オーナーさんは、にこっと笑ってご自宅のほうへ歩いて行かれました。
「暑いねえ」と、うしろ姿のまま手を振られて。


ただ今、とんでんでは、ホームページでくわしくご案内していますように、おいしい脂の乗った「いわしメニュー」を8月23日まで感謝価格で提供しております。(ランチメニュー4品、ディナーメニュー5品)


また、ランチメニューから5品、ランチグラスビールも感謝価格で、同じく8月23日まで提供しております。


ソフトクリームは終日、感謝価格の240円で、同じく8月23日までお召しあがれます。


さらに、平日の月曜日~金曜日の午後3時~午後7時の4時間、生ビールの中ジョッキを感謝価格の税込390円、いわゆるサンキュー価格で、8月31日まで提供しています。(お盆期間8月12日~16日は休止とさせていただきます)


どうぞ、お誘い合わせのうえ、楽しいひと時をとんでんでお過ごしいただければと、ご来店を心よりお待ち申し上げております。

貝合わせ

いま、ビワの実の色が生まれたての
うすだいだい色です。


メロンゼリーを送ってあげた友人からメールが来ました。
近くには、とんでんのお店がないところに住んでいる友人です。


 「足を延ばして、とんでんに行ってきました。
 おもてなしが丁寧で、物腰もゆったりとしていて
 こちらも落ち着くのです。
 ここのお店だけだと思いますが
 菊に牡丹、菊に貝合わせの絵が飾られていました。
 ちらしずしのオホーツク丼、ホワイトアスパラのサラダ、
 ソフトクリームとコーヒーゼリーのコラボにもトライしました。
 気持ちを含めて、とてもぜいたくなサンデー・ランチの時を
 過ごさせていただきました。
 それから、やっぱりメロンゼリー、ギフト用に買い求めました。
 私の気持ちにぴったりのお店でした」


よかった。気に入っていただけて。


友人が気に入ってくれたホワイトアスパラサラダは、「ビール祭り」第1弾のメニューとして、グリーンアスパラに代わって6月3日から販売されています。


今年の「ビール祭り」新メニューは、知床鶏のねぎま、北海道ソーセージ、まぐろかまのスペアリブ、穴子一本揚げ、北海道行者にんにく味噌を添えたきゅうりスティック、つぶわさび、関東店舗だけですが北海道大豆の寄豆腐、ビールのお供におすすめです。


また、「ビール祭り」メニューに人気沸騰中の「ハイボール」もご用意しておりますので、どうぞお誘い合わせの上、夏のお昼間も、夜のひと時も
心からのおもてなしでお迎えする和食レストランとんでんに
お出掛けくださいませ。心地よく酔っていただけます。

メロンゼリー

ひと雨ごとに緑が濃くなってきています。
雨の好きな紫陽花(あじさい)も咲き始めています。
6月に入って関東は気温が夏日を記録する日もあって
事務所内も半袖派が多くなってきました。


「メロンゼリー、ありがとう。のどに、つるんと入っておいしい。
 北海道のメロンの味もしっかり溶けていて」


携帯メールでお礼の言葉が返ってきました。
疲れがたまって熱っぽい友人に、お見舞いに送ったのです。

 
「追伸 誰にもあげない。と言っても、私の同居人は猫だけ(^^)」
再びのメールでした。元気になってくれれば何より。


今、関東、北海道の和食レストラン全店で
『北の恵みメロンゼリー』6個入りと12個入り、好評販売中です。


昨年もお中元、お盆のおみやげに、とても人気がありました。
とんでんのおせち料理をおつくりして定評のある、北海道・恵庭工場で
今年も北海道メロンを原料におつくりしたメロンゼリー。
どうぞご来店の際はメロンゼリーもお忘れなくお買い上げいただければと
ご案内申し上げます。


追伸
正直、申し上げます。
「差し上げてばかりいないで、私にもほしい」と妻に催促され
自宅の冷蔵庫にも、しっかり冷やされているメロンゼリーでございます。

栄螺(さざえ)

関東は、葉桜の色が目にやさしい季節です。

和食レストランとんでんでは、心からのおもてなしとして、お客様との会話を大切にしています。

そんな中で、関東のお店のお客様で「今はこっちに住んでいるけれど、とんでんさんとは、札幌でお菓子の時代からの、40年以上ものひいきでね。若い店長さんは知らんだろうが、創業期の10円まんじゅうだって私は知っているし、札幌でお鮨屋を始めたころのカウンターのなじみ客だったこともあるんだよ。だから、とんでんさんの看板を見るとなつかしくってね。こうしてお鮨も和菓子も楽しめるのは私の最高の心のぜいたくさ」と教えていただいたそうです。
うれしいですね。ありがたいお話ですね。

和食レストランとんでんでは、大好評だった「活蝦夷(えぞ)あわび」に代わって、5月12日から「活さざえ」がメニューに初お目見えです。

さざえの語源は、ささえ、小さな家を意味するほか諸説あるようです。 漢字では栄螺と書き、螺は、らせん状の貝を意味していますから、小さな貝と言えど、栄がついています。

 さざえは、北海道南部から九州まで幅広く棲息しています。夜行性で、アラメ、ワカメ、カジメと言った海藻類を食べますから、噛むほどに磯の香りがひろがるのもうなずけます。
そして、貝類のうま味の特徴であるコハク酸が、「あわびの2倍」も含まれています。

 肝臓の機能を強化するグリコーゲン、血圧やコレステロールを下げ、心臓機能を強化させるタウリン、味覚障害を予防する亜鉛などのミネラル類も多く含まれ、巻貝の中ではたんぱく質やカロテンが豊富で滋養強壮、疲労回復に効果があると言われています。

江戸時代の遺跡調査で、あわび、その他の貝類には焼き跡がないものが多いのですが、さざえには圧倒的に焼き跡が多く、古来、さざえは刺身だけでなく、壷焼(つぼやき)が好まれていたようです。

 近海物の活さざえの刺身、刺身にできる新鮮なさざえの壷焼、いずれも580円(税込609円)という、お求めやすい価格です。
ぜひ、とんでんの「活さざえ」の味をお楽しみください。

北海道産グリーンアスパラ

 関東では黄色のモッコウバラが咲き始めました。ここ数年、モッコウバラを庭に植えるおうちが増えてきました。とげのないバラで、八重咲きで小菊のようにも見えます。花はひと月ほどしか咲きません。


 札幌では、いま、黄色の水仙が満開。札幌の桜は、例年より5日遅れの5月9日(日)で、関東よりひと月遅れですが、札幌を春一色にするのは、やはり、桜。待ちに待った桜です。


ゴールデンウイークの繁忙期を経験した新入社員は、ますます力強く、すくすく伸びています。ゴールデンウイーク中、軍艦巻きで、お鮨の腕を上げた札幌出身の男性新入社員もいました。札幌のご家族にも、ここでお知らせいたします。
新入社員は、今が旬の北海道のアスパラのように、フレッシュで、しゃきしゃきっと育ちつづけています。


5月8日付の日経新聞夕刊『彩時季』に「初夏の淡緑アスパラ」と題して、初夏の旬を迎えるグリーンアスパラガスの紹介が載っていました。
そこには、アスパラガスは「ビタミンCやカリウムなどバランスの良い栄養素が豊富で、食物繊維も多く含む」と紹介されていました。


 そこで、調べてみますと、アスパラガスは南ヨーロッパが原産で、日本には江戸時代に鑑賞用として伝わってきて、食用になったのは昭和に入ってからだそうです。
筆者は北海道旭川で育ちましたが、確かに、小さい頃、どこの花畑にも鑑賞用としてアスパラガスが植えられていました。和名はスギノハカズラ。ふわふわの細い枝が夏にはぶわっとひろがり、小さな薄黄色の鈴のような花が枝にぶらさがり、秋にはそれが緑色の玉に変わりました。


 毎年、この時期、北海道産のアスパラは贈答用として日本全国で引き合いがあります。北海道のこの時期は、日中と夜の気温差が大きく、それがアスパラを甘くさせるとのことです。


 疲労回復のドリンク剤のコマーシャルとしても、よく聞く、アスパラギン酸が含まれています。アミノ酸の一種で、うま味成分でもあります。
 赤血球をつくるために必要な葉酸を含んでいるため、貧血症をやわらげる効果もあるそうです。


和食レストランとんでんで今、この旬の北海道産グリーンアスパラ(産地直送)をお召し上がりいただけます。5月下旬から6月初旬には、北海道産のホワイトアスパラにかわります。


 ぜひ、甘くて、やわらかくて、シャキシャキ感を味わえる北海道産のグリーンアスパラのサラダを、和食レストランとんでんでお楽しみください。


 気温も上がってきまして、生ビールのお供にもおすすめの一品です。


 北海道産のグリーンアスパラは、「とんでんYahoo!店 Yahoo!ショッピング」でも好評発売中です。

マザーズ・デー

 関東では、気品のある牡丹(ぼたん)が咲き始めました。
通勤の車の中で聞くFMラジオから、「間もなくマザーズ・デー」という言葉が耳に入ってきました。


札幌で、一人で家を守っている筆者の妻の母から「母の日の花、届いたよ~」とうれしそうな声で電話がありました。
 実母はとうにこの世を去りましたが、この世に「母」と呼べるのは彼女だけです。先月の札幌出張の際も、ホテルは妻の実家で、彼女がホテルのオーナーですから、気兼ねなく、気持ち良く過ごせます。
 その彼女が、転んでもいないのに足がはれちゃって、と言うので見たら
どうも妙で、掛かり付けの内科医院にすぐに連れて行きました。自分ではとてもゆっくり歩いているつもりなのに、振り返ると彼女は春風を受けながら、息を切らせるほど一生懸命、私の後をついてきていました。とても小さくなった彼女は、まるで少女のようでした。髪は白かったけれど。


 診察をしていただいたら、老化によって血液の流れが悪くなっているということで、血液の流れを良くするお薬をいただいて、ひと安心しました。 その病院の帰り、「看護婦さんたち」、彼女は看護師という言葉が余りお気に入りではないようで、呼び慣れた看護婦さんという言い方しかしないのですが、「看護婦さんたち、あなたの顔が私によく似ているって言うのよ。うちの婿(むこ)さんですと言ったら、ええ、そうなんですかと驚いているのよ。まったく変よね」と、うれしそうなのでした。


 母の日の起源は、アメリカ説で言うと、南北戦争中に、マザーズ・ワーク・デイズと称し、敵味方を問わず負傷兵に手を差しのべようと呼びかけた女性がいました。その娘さんが、亡くなった母親をしのんで、母親が日曜学校の教師をしていた教会で記念会を持ち、母親が好きだった白いカーネーションを贈ったことに始まります。
 その翌年、生徒と母親達が集まり、最初の「母の日」を祝ったとされています。アメリカでは1914年に、5月の第2日曜日が「母の日」と定められ、祝日となっています。
 それにならって、日本でも1949年(昭和24年)ころから、5月の第2日曜日と定められたとのことです。


 和食レストランとんでんでは、母の日メニューをご用意しています。
「母の日セットみやび」は、お鮨(まぐろ・鮭・グリーンアスパラ・桜えび・厚焼卵)、天ぷら、刺身、土瓶むし、豆のサラダ、香の物、食前酒(梅酒ですが、ソフトドリンクにお取り替えできます)、そして4種から選べるミニデザート付きです。とてもバラエティーに富んだメニューです。


 北海道の和食レストランとんでんでは、このほかに2品のメニューがあります。同じく選べるミニデザート付きの「母の日えびす」。お鮨(中とろ・えび・鮭・ほたて・うに・いくら)、茶わんむし、お味そ汁。
これに、そばをプラスする「母の日えびす・そば」です。


 大好きで大切なおかあさんを囲み、ご家族で楽しいひと時を、おじいちゃん、おばあちゃんも一緒になってお過ごしになりませんか。


間もなく、マザーズ・デー、母の日です。

世界三大美果マンゴー

 自宅の小さな庭に、10年前に札幌から持ってきたスズランが可憐な花を咲かせています。確実に増やしながら。野性は強いなあ、と感心します。

 4月1日に入社した新入社員が、最初に経験する繁忙期の洗礼がゴールデンウイークです。
特にランチ、ディナーのピークタイムのキッチンでは、ベテランのパートさんの顔も緊張しています。お客様の注文数も多く、10分以内提供にこだわっていますので、真剣そのものです。
 その中で、お店の新入社員には、毎年のように聞かされるこんなシーンもあるのです。

あるお店のキッチンです。一品ラインにいた、まだ完全に仕事の波に乗れない女性の新入社員が、オーダーのスピードについていけず、手が止まり、べそをかきはじめます。
 それに気づいた女性のチーフが、鮨ラインのベテランのパートさんに何事かをお願いしています。「一品は私が引き受けるわ。あなたは鮨ラインにまわって」とチーフ。

 自分の親の年齢と変わらないパートさんが新入社員に声を掛けます。
 「どうしたの? 泣いている場合でないでしょ。お客様がお待ちよ」
「はい」べそが止まった。
 「こっちにおいで。私のそばに。いい? 私のお手伝いをして」
 「はい」少し元気になった。
 「お鮨の軍艦だけつくって。軍艦、わかるよね?」とパートさんはてきぱきとお鮨を握りながら、顔を新入社員に向け、話している。
 「はい。しゃりをくるっと海苔で巻いて上にネタをのせるものですね。つくったことあります」
 「そう。私が、いくらが何個とか、とびっこ、うに何個とか言うから。まず、私がつくるから見て」
「はい」目が真剣になった。
「ほら、こんな具合」と、パートさんはゆっくりと見せてあげる。
「わかりました。やります」
 「じゃ、さっそく、いくらを4個」
新入社員は慎重に、言われたとおり、つくります。
 「上手。上手。できるじゃない。じゃ、次はとびっ子が4個」
「はい!」すっかり元気になった。

 ステーションから「デザートに、マンゴーのご注文いただきました」という声が聞こえ、喫茶担当が「わかりました」とこたえる声も、新入社員の耳にもとらえられ、平常心を取り戻したようです。

 日経新聞、5月1日付夕刊の『彩時季』欄に「三大美果/マンゴー」というタイトルを見つけました。
 それによると、「世界三大美果」とは、筆者は見たことがない「チェリモヤ」(インカの時代から栽培され、手のひらにのる大きさ、緑色のふくろうのような表皮)、筆者も食べたことのある「マンゴスチン」(東南アジア原産)、そして、私ども和食レストランとんでんの季節のデザートメニューとして提供している「マンゴー」です。

「 ペリカンマンゴー」は、ペリカンのくちばしに似た形をしており、「イエローマンゴー」「ゴールデンマンゴー」とも呼ばれます。
 良質のビタミンAを含み、果肉の濃いオレンジ色はベーターカロチンの色で、その量はびわの2倍、柿の15倍だそうです。食物繊維も多く、美容と健康にマッチした果物です。

 とんでんのフィリピン産完熟マンゴーメニューは召し上がりやすくカットをほどこされたマンゴーそのものをはじめ、コラーゲン・ヒアルロン酸マンゴージュレ入りのマンゴージュースやフレッシュフルーツ盛り合わせ、マンゴーパフェ、かき氷のマンゴーミルク、そして、お持ち帰りマンゴーもご用意しております。
6月半ばころ、次の季節のフルーツ、北海道メロンにかわるまで、トロピカルな味をお楽しみいただけます。

蝦夷鮑(えぞあわび)

 今日から5月。ゴールデンウイークです。関東は雲ひとつない晴天の朝です。
5月は皐月(さつき)とも呼ばれ、その名のとおり関東の歩道では今、白と赤のサツキが咲き始めています。
 和食レストランとんでんのお店の中でも、植栽にサツキを植えている店舗があり、お客様の目を楽しませていることでしょう、と想像しています。


 数日前、帰宅途中のことでした。夜の午後8時ころでしたから、電信柱の街灯の明かりが届かないところは薄暗く、その道を、自宅の近所の方が両手にスーパーで買い物をした袋を重そうにさげて、ゆっくりと歩いていました。その方は毎年、おせち料理を購入していただいている方でした。


その方が両手の荷物をあまりにも重そうにして歩いていたので、車を停め、「お帰りですか。よろしければ、乗っていかれませんか」とお声を掛けました。
「ええ、いいんですか。それはありがたい」と言って、車に乗り込んできました。
 そこからは自宅まで、車で5分と掛からないところでした。
 「自転車に乗れないものですから」とその方が話し掛けてきました。
 「ええっ、自転車に乗れなかったのですか」と私。
 「いえ、いえ、医者から一生乗ってはいけないと言われているんです」
「ご病気でしたか。それはお大事になさってください。お声を掛けて良かったです」と言って、私はその方のおうちの前で車を停めました。
 「いやあ、ありがたかった。今日は女房が出掛けていないものですから。本当にありがとうございました。助かりました」と車を降りられました。
そんなことがありました。


 和食レストランとんでんでは4月8日から、北海道産、天然物の活「蝦夷(えぞ)あわび」メニューを提供しています。
そうです。2年前から、とんでんのおせち料理に盛り込んでいる、蝦夷(えぞ)あわびです。


鮑(あわび)は世界に100種類くらい生息していて、日本にはそのうちの10種類が生息し、食材として流通しているのが4種類だそうです。そのなかに蝦夷(えぞ)あわびが入っています。クロアワビの地方的変種で、冷たい海域で生息しているとされています。


 蝦夷(えぞ)あわびは、昆布やワカメなどの海草類を好んで食べ、9センチの大きさになるのに5年も掛かるそうです。特に北海道産の蝦夷(えぞ)あわびは、味が濃いことで引き合いが多いとのことです。


ぜひ、和食レストランとんでんで、この蝦夷(えぞ)あわびの味をご堪能(たんのう)ください。
 北海道産、天然物の活「蝦夷(えぞ)あわび」メニューは、活あわびの刺身、特選刺身、あさり汁とセットになった北海特選鮨、活あわびのにぎり鮨でございます。


5月11日(火)までのメニューですので、ご来店機会の多いこのゴールデンウイーク期間中にお召し上がりいただければ、とご案内申し上げます。

風呂上がり

 2月1日、関東は夕方から雪が降り、それから2日たった2月3日、節分の日も肌寒く、朝、戸外に駐車してあった車が氷でおおわれていました。


関東の大体の方々は、車のエンジンを始動させ、車の窓の氷が溶けるのを待っています。急ぐ方は、自宅からバケツにお湯を張って持って来て、車に掛けたりもしています。
 筆者は何度も紹介していますように、北海道出身ですから、車に積もった雪を払い落とす、棒状の物を「年中」車に積んでいます。片方はブラシ状のもの、もう片方は三角の固いプラスチックのものが付けられています。


節分の朝、出勤しようと駐車場に行くと、隣に停めている、気の良さそうな30歳くらいの若い男性が、車にエンジンを掛け、窓ガラスの氷が溶けるのを寒そうに立って待っていました。
 私は、先ほどの「雪氷除去器」で、自分の車の窓の氷を慣れた手つきでガリガリこすり取り、余計なお世話と思いつつも、いつになったら溶けるかわからないのを待っている「隣人」さんを思いやりました。
 そうだ、彼の車の窓もガリガリこすってあげようと、「氷、取りましょうか」と言ったなり返事も聞かず、手早くガリガリこすり「これで運転できるでしょう」と、「すみません」の彼の声を背に私は先に車を走らせました。


 ちょうど小学校の子らの登校時間で、歩道に張った、あちこちの水たまりの氷が面白くてバリバリと音を立てて踏んでいます。天真爛漫な彼ら、彼女らにはどんなものでも遊び道具にできる天才的なものがあります。
昨夜、共稼ぎの私の妻が仕事で十時過ぎになると、7時過ぎにメールがきたので、そうなると、夕食担当は私になるものですから、いったん自宅に戻り、洗濯物を取り込んだりお風呂を沸かせる用意をしたり、こまごまとした「家庭内所用」を済ませ、思いついたように出直すことにしました。


 勤務する事務所の下の和食レストランとんでんに行き、2月3日に予約注文してあった「海鮮恵方巻」を1日前倒しにしてもらい、ほかに妻の好きなサラダ、そして本当においしい、とんでん製菓の「桜餅」をお持ち帰りにすることを店長にお願いしました。店長には「急いでつくらなくて良いからね。体が冷えたから近くの銭湯で体を温めてくるから。1時間後で」とお願いしました。
 銭湯のジェットバスで体をほぐし、サウナで汗をしぼり、露天風呂で雲間の月を眺め、つかの間の(鬼のいぬ間の、妻のいぬ間の)ストレス発散
で心がなごみました。


 そして銭湯から、9時もとうに過ぎてお店に注文の品を受け取りに行ったところ、お店の駐車場で車から降りるやいなや店長が駆け寄ってきて、品物を一袋にしたものを私に手渡し、「風呂上がりですから、寒い思いをさせてはいけないと思いまして」と、にっこり笑っています。きっと、私の車が駐車場に入ってくるのを気に掛けてくれていたのでしょう。
 店長こそ、温かい室内からワイシャツ姿で冷え込んだ戸外に出て来て寒かろうに、と思い、その心の温かさに、また心なごむ思いがしました。むろん、私ばかりではなく、きっと顔なじみの常連さん、ご来店のどのお客様にも同じように、いや、それ以上に気配りをしているのだろう、と想像できました。
 野球の試合でも、スポーツの世界でも、ふだんやっていることが試合に出てくる、とよく言われますので。


 和食レストランとんでんでは、「ひらめ料理」を1月末日で好評のうちに終了し、2月1日からは味の良い「生さば料理」に替えています。
 また、旬の苺(いちご)をデザートにした「いちごパフェ」「いちごソフト」「ミニいちごヨーグルト」「フレッシュいちごミルク」「フルーツのチョコレートフォンデュ」がお客様に喜ばれています。
 中でも、「いちごパフェ」「いちごソフト」「ミニいちごヨーグルト」の北海道日高産生乳を使ったソフトクリームが苺の味と、とてもマッチしていて、女性のお客様にはとてもうれしい季節のデザートとなっています。


 寒い季節にあっても、小春日和のような温かな心からのおもてなしで、皆様をお迎え致しますので、どうぞ、ご来店くださいませ。

ひらめが旬

 明けましておめでとうございます。
 関東は晴れの日が続いて、穏やかなお正月です。荒川の土手では親子連れで、凧(たこ)を上げており昔ながらの風景にこの国の平和を思います。 このホームページをご覧の皆様のなかには、私共とんでんのおせち料理をご家族で、三世代ご家族で、またはご兄弟のご家族とご一緒にお召し上がられた方々も多いと思います。
 私の友人の一人は12月中旬、「従兄弟(いとこ)が正月に集まってくることになって、とんでんのおせちをテーブルに並べるだけで豪華になるから。自宅に宅急便で送ってもらえないだろうか」と携帯電話で問い合わせてきました。 
また、12月20日を過ぎて、自宅のご近所で朝夕のご挨拶だけの方からも
「追加でもう一つ、なんとかならないでしょうか」と札幌出張中に電話が入ってきました。もちろん、オーケーです、と安心していただきました。
12月31日の宅配日に、愛知県の義姉から携帯で、「うちは来たけれど、おばちゃんからまだ届かないって。おばちゃん、毎年、楽しみにしているので調べてください」と連絡が入りました。「大丈夫ですよ。宅配のドライバーさんに直接、電話を掛けられるから、何時にお届けできるかを聞いて、折り返し連絡します」と姉を安心させました。それから1時間もたたないうちに「ドライバーさんが定刻どおりに届けてくれたよ」とまた姉が連絡してきました。
この日は会社から車で10分くらいのところにある、女性のお友達のところにも、夕暮れ寸前に、おせち料理を届けてきました。大きなお屋敷で、庭も広く、家庭菜園も彼女はやられていて、玄関に入ると、「まあ、お掛けなさい」というのです。見ると、椅子が向かい合わせになっている小さなテーブルがあり、そこにお座りなさい、と言うのです。
座ると、「おうすを点(た)てますから」と、「干菓子」(ひがし)も
用意してくださっていて、すっと、テーブルの上にお皿に盛られた最中が出され、黒文字(フォーク型の塗り物)も付いていました。
内心、弱ったな、と思いつつ「正式なお茶の作法を知りませんのでごめんなさい」と申し上げると、「気になさらないでください。ご自由にお楽しみください。封を切り立てのお抹茶をお持ちしますから」と言われ、背筋を伸ばして、ひんやりとした玄関内のお茶席で待つこと数分。
 彼女の手によって、泡立てられた抹茶茶碗を手に、一応、まねごとで一回くらいお茶碗を回しておこうと思い、回してから、一口、ごくりと飲みました。封を切り立てのお抹茶は、さすがに風味が違います。「おいしいですね。じつは私、おうすが大好きなのです。11月に会合があって、静岡の掛川へ初めて行ったときに、地元おこしのようなお茶の催し物があって、そこでもおうすをいただいて来ました」と言いながら、残りのおうすを飲み干しました。
 「お疲れでしょうから甘い物も是非、お召し上がりになってください」
とすすめられ、小さな最中を黒文字で二つに割って、緊張しながらいただきました。「甘かったでしょう。もう一杯、おうすを持ってきましょう」
とすすめられましたが、これ以上の緊張感は臆病者の私にはこたえるなと
思っていたところへ、助け舟のように、先ほどの愛知県の姉からの電話が携帯に入り、「すみません。仕事が入りましたのでこれにて失礼させていただきます」と、頭を二度三度下げ、お屋敷から出ました。
「うちのお庭で取れたおみかん、無農薬ですからお持ちください」とみかんまで彼女に持たされ、忙中閑あり、なんと素敵な大晦日のひと時だったのだろうと、玄関先(大石内蔵助の討ち入りのような御門)でお見送りまで受け、恐縮、恐縮の「おせち料理物語」でした。


 さて、和食レストランとんでんでは、今が旬のひらめ料理をご提供中です。ひらめは、「左ヒラメに右カレイ」と言われ、両目とも頭部の左側にあるお魚です。漢字では、魚の体の状態をそのままに「鮃」と書きます。
 稚魚は普通のお魚と同じで細長く、目も両側にありますが、2.5㎝くらいから親と同じ形になるそうです。
冬のひらめは身が締まって歯ごたえが良く、和食の高級食材とも言われておりますが、とんでんではお手頃の価格でお召し上がれることから、今お客様から一番のご好評を得ています。
 「ひらめ刺身膳」には、春を先取りの菜の花の天ぷらも添えられています。「北海道そばとひらめの特選鮨」、「ひらめのにぎり鮨」、「ひらめのえんがわのにぎり」、ひらめを中心とした「旬鮮刺身」、「ひらめあらのすまし汁」と、ひらめ料理をお楽しみいただけます。今月、1月一杯までの販売ですので、ぜひ、お出掛けください。
また、1月8日から、真だらの白子料理(北海道店舗の名称は〃たち〃料理)が《感謝価格》で始まります。
 寒い日にはこたえられない「まだらの白子(たち)鍋」をはじめ、「まだらの白子(たち)ポン酢」「まだらの白子(たち)天ぷら」「まだらの白子(たち)にぎり」「まだらの白子(たち)そば」「まだらの白子(たち)汁」と、白子(たち)料理のバリエーションも十分にご堪能(たんのう)いただけます。
従業員一同、心からのおもてなしでお迎え致します。

カッパリバー

札幌では11月1日に初雪が降りました。それに合わせるように関東にも冬の使者、木枯らし1号が昨年より1日遅い11月2日夜に吹き渡り、この秋一番の冷え込み、摂氏5.5度を記録。
 マフラーを首に巻いて登校する女子高生に、えっ、もう冬なの…と思ってしまいました。


 北海道で育った筆者は、秋の味覚と言えば、秋味(あきあじ)と呼んでいた鮭を忘れることができません。
 粗塩(あらじお)が皮に付いたままの焼き鮭の香ばしい匂い、そこには間違いなく脂がジリジリッと焼き網の上でこげたことも想像され、白いご飯にはこのうえない秋のごちそうでした。


 子供のころの北海道の秋冬は本当に寒くて、海の魚たちの脂の乗りも、温暖化の今とは格段と違っていたように思います。
 札幌から関東に転勤になって17年が経ちます。魚に関してはいつも北海道の魚と比べてしまうのですが、スーパーで北海道産かれいを買ってきて煮付けても、脂の乗りの少なさに、本当に北海道産? と妻と嘆くこと、しきりです。


 鮭にしても同じです。日が暮れて冷たい風が頬を打つと、ああ、子供のころの、あの美味しい脂の乗った秋味が食べたいと思うのです。
 ところが、その北海道の鮭より脂の乗った美味しい鮭があります。


 アメリカは最北端、アリューシャン列島を含むアラスカ州、大自然の美しい、すなわち、海も川も山もすべて清く、そこに流れ、北太平洋にそそぐカッパリバーを遡上(そじょう)する「天然の紅鮭」です。
 このカッパリバーの鮭の遡上が、日本のように秋ではなく、世界でもいち早く5月下旬から7月中旬だと言う。


鮭は産卵のため川を遡上する途中では餌を食べないため、遡上前に餌をたくさん食べて栄養分を溜め込みます。カッパリバーはアラスカの川の中でも距離が長く、なおかつ激流で、それゆえ、カッパリバーを遡上する鮭はそれに耐えるため、特に餌をたっぷり食べて脂が乗って、この上なく美味しいとされています。


カッパリバーの紅鮭はもともと日本に輸入される量が少ないのですが、昨年は不漁で、とんでんのおせち料理のお重にお詰めすることができませんでした。
 しかし、今年は朗報です。今年6月下旬までに遡上した、このカッパリバーの天然紅鮭を毎年の限定販売数、5万5千セット分を確保できました。このことは、すでに多くのお客様にお知らせをしております。


 水産業界でも、高級紅鮭の代表格とされるカッパリバーの紅鮭。
 実は今日、11月4日(水)から和食レストランとんでん全店で、今年のとんでんのおせち料理に盛り込まれるカッパリバーの天然紅鮭を、ひと足お先に、限定販売で召し上がることができます。


「天然紅鮭のハラス焼」380円、「天然紅鮭のあら汁」380円、お値段も非常にお手頃です。今月、11月中、期間限定販売ですので、お近くの和食レストランとんでんに、お急ぎご来店のうえ、お召し上がりくださいませ。


そしてぜひ、まだご購入でないお客様は、そのお店で、「とんでんのおせち料理」(3段のお重/税別1セット2万4千円)のご予約も賜ればありがたく存じます。全国にお届けできます。


 「生ししゃも」につづき、関東本部事務所の北海道出身者は、このカッパリバーの紅鮭を見逃すわけがなく、さっそく今日のお昼の食事を白幡店で取り、「焼き立ての天然紅鮭のハラス焼と、あつあつの天然紅鮭のあら汁、最高だった!」と大満足の声を上げていました。

生ししゃも

秋雨の関東に金木犀(きんもくせい)の香りが漂っています。


 筆者は海のない街、北海道の旭川で育った。海が近くになくても市場が発展していたのだろう、魚は年中おいしいものが食べられた。
秋になると、北海道の魚は脂がのってくる。ひと口、口にほお張ると、何とも言えないうまさで、舌も、脳も、ハートにもしびれがまわる。
 秋ならではのおいしさに目は大きく開き、やがて、ほほがゆるんでくる。 にんまりして、それから、やっと息ができたかのように「うんまい!」と、言わずにいられない。そして、家族のみんなの目と目が合い、しあわせの確認をするようにうなずき合い、あとはまた、ひたすら目の前のごちそうの虜(とりこ)になっている。
父は製紙工場労働者で、3交替勤務制だった。7時-15時、15時-23時、23時-翌朝7時勤務を1週間くらいで交替勤務していた。お酒が飲めた人なので、朝7時に帰ってきても、朝から寝酒のように、母が用意した季節の魚を肴(さかな)にコップで2杯くらい飲んだ。
秋の魚は何を食べてもおいしく、小学生の私達兄弟は、私達のおかずとは別の、父の肴がおいしそうで、横目でちらちら見ながら、母に「学校、学校」とせき立てられながら、すった長芋をご飯にかけて、ずるずるとかき込む。
日高の軽く焼いた柳葉魚(ししゃも)は焼くと特に香ばしい香りで、匂いだけで我慢するのは子供にはとっても無理なことだった。
母は焼いたそばから、熱々の柳葉魚を皿に盛って父の前に出す。父は柳葉魚のしっぽを指先でつまんで、頭からがぶりとかじり、はふはふ言いながら食べ、お酒をごくりと飲む。にんまりと笑って、残りの柳葉魚を口の中にほうり込む。それから指先をなめ、もぐもぐ噛みながら、またコップをつかむ。
私達兄弟は一瞬、呆然と父の様子に見入っている。そうすると、父は私達が持っている茶碗の上に、柳葉魚を1本ずつ載せてくれる。
そして、「母さん、悪いけど、ししゃも、もう少し焼いてくれや」と笑いながら言う。私達兄弟はうれしさも噛みしめながら、旬の柳葉魚のおいしさを味わう。うまい!
 母は黙って台所に戻り、柳葉魚を焼く。また、柳葉魚の香ばしい香りが
流れてくる。父は少し酔いの回った口調で「遅れるぞ」と私達をせかした。


 とんでんの関東本部事務所には北海道出身者が多い。当然、北海道弁が飛び交うことがある。
「いやあ、今回はたまげた」
「何がさ」
 「生のししゃも、メニューに入ったんだ。十勝の海の近くの出身だけど生のししゃもは食べたことがなかった。いやあ、たまげた」


ということで、ただ今、とんでんでは、北海道にいてもなかなか目にもできないし、生で食べることもまれな北海道産「生ししゃも」を和食レストランとんでん全店で召し上がることができます。
生ししゃもの刺身、お鮨、天ぷら、焼き物、骨せんべいのお料理をお楽しみいただけます。期間限定、この10月が漁の最盛期です。
 急ぎ、お知らせ致します。

時しらず

8月7日、北海道と仙台の七夕様の日です。
 筆者の子供のころ(北海道旭川)は、5~6人で、ろうそくを灯した提灯(ちょうちん)を持って、家々をまわり玄関前で「ろうそく出~せ~、出~せ~よ~。出さないとかっちゃくぞ~。おまけに引っかくぞ~」と合唱し、ろうそくをもらったものです。


 かっちゃくは北海道の方言で、意味は、そのあとで歌っている、引っかくという意味です。


 空き缶に針金の取っ手を付けて、ろうそくを灯すのはどちらかと言うと活発なガキ大将グループに多かった。彼らは子供ながら、真っ黒に日焼けして、目がギラギラしていて、野心に燃えていた。それはあたかも黒澤明監督の白黒映画の世界のようでした。色白で、ちっちゃくて、臆病な私は彼らに盗賊や山賊のような恐さをおぼえたものです。(笑)


七夕の日の「お屋敷まわり」でもらえるのは、いつのころか、ろうそくではなく、駄菓子に変わっています。
 札幌に住んでいる私のガール・フレンドは毎年、七夕の夜に浴衣を着た可愛い孫のような小さい子たちが、提灯を下げて訪ねてくるのを楽しみにしています。どこのお宅にも負けないほど、たくさんのお菓子を用意して今か今かと少しドキドキしながら待っているのだそうです。


 8月7日は立秋で、季節の暦ではこの日から秋に変わります。秋に変わると言っても関東はとても暑い日が続き、手紙の挨拶も「暑中お見舞い」から「残暑お見舞い」に変わります。
 今年は梅雨明け宣言後、ぐずぐずとはっきりしない日が続き、夏特有のカラッとした日が数えるほどしかありません。
それでも何が夏らしいかと言って、蝉の鳴き声の暑苦しさ、騒がしさです。その蝉の鳴き声を聞き分けていくと、カナカナカナ…とヒグラシの鳴き声が混じって聞こえます。そこに涼しさを感じる時があります。ヒグラシは名前のとおり日が暮れるころ鳴くからです。もう日が暮れますよ、と知らせているのです。


 もうすぐお盆。お盆には久し振りにお会いする方も多いと思います。会えば、親しみがほのぼのと、よみがえって来ます。

 とんでんでは、今が旬の「いわし」メニューが今年は順調に入荷しております。
 そして、おすすめは、北海道の夏が旬の時鮭(トキシラズ)メニューです。時鮭は、卵、白子を持つ前の若い鮭で、そのために脂のうま味が身にしっかりと残り、この夏ならではの絶品のおいしさをお召し上がりいただけます。この時鮭を刺身、お鮨、天ぷら、フライでお楽しみください。


 従業員一同、皆様を「心からのおもてなし」でお迎え致します。

七夕

7月に入り、サルスベリの花が咲き始めました。ピンクで「夏のお嬢さん」を思わせる華やかな花です。
 この春、女子短大を卒業して某企業の事務系に就職したQさん。先輩社員と合わず、前の会社を辞めて、「近所のお姉さん」として親しくしていたZさんに相談していたら、「会社を辞めて自宅にこもっていたら病気になっちゃうわよ。しばらく、うちのお店で働いてみない?店長にお願いしてみるから」と助言されて、この7月からディナータイムにパートさんとしてフロアーに立ち始めたQさん。


先輩のZさんも同じような経験を2年前に持つが、Qさんと違うのは年明け、結婚予定で、そのあと赤ちゃんも生まれる予定。
Qさんは、接客の仕事がお料理を出せば済む、ということだけではないとは思っていたが、実際にフロアーに出る前の教育の深さにも驚いたし、でも、そのお陰で知らなかった世界に対する興味も覚え、やさしい仕事ではないと思えたので逆に、やってみよう、と日が経つにつれ真剣になっていった。


 初めてフロアーに出る時、先輩のZさんから最初に言われたのは「肩の力を抜いて。肩の力を抜かなきゃ、自分では笑顔と思っても、その笑顔も怖い顔にしかならないわよ」と、ほほ笑みながら言われた。
「はい。わかりました」と、Qさんは明るく返事をしてフロアーに出て行ったものだ。


それから、数日して、Qさんが気が付いたことだが、ときどき、Zさんがお客様から見えないステーションに戻ってきたら、ポケットから小さなメモ帳を出して、何かを書き込んでいることであった。
 ある日、Qさんは思い切って、何を書いているのか、聞いてみた。するとZさんから返ってきた答えは、「新しい発見」。「今日はね、30卓のお客様に妹さんがいらっしゃるということ」。
Qさんは言葉に出さなかった、いや出せなかったが、心の中で思ったことは「すごい」ということだった。
「いつか、私のメモを見せてあげるわね」とZさんは言った。
「そうなのか…」とQさんはひとり納得するものがあった。


 今日、Qさんはお客様がお食事の済んだころ、お席にお伺いし、「お食事はお済みでしょうか」と確認したうえで、下げ膳をしてからお茶サービスをおこない、「ただ今、私共とんでんではテレビドラマ〃北の国から〃で有名な北海道富良野、そして千歳空港に近い追分町を生産地とします北海道メロンをご用意しています。今が旬のとてもおいしいメロンです。いかがでしょうか」と思い切って、初めてのおすすめをおこなってみた。
Qさんが自分なりに考えたメロン・メニューのおすすめの言葉で、少しどきどきしていたが、Zさんの「肩の力を抜いて」という魔法の言葉を思い出しながら、やさしいほほ笑みも添えて。
 「北海道のメロンがあるの? おいしいの?」とお客様。
「はい。とてもおいしいです。私も、昨日、いただきましたので、自信を持っておすすめします」とQさん。
「そう。じゃあ。いただくわ。人数分お願いね」
 「ありがとうございます。北海道メロンを4つでございますね」
 「そう。お願いね」とお客様もうれしそうにご注文された。


 Qさんは、離れて見ていた先輩のZさんに、笑顔だけで「できたわ」という思いを伝えた。先輩のZさんも、ほほ笑み返しで「最高!」と言ってくれているように思えた。
Qさんはポケットに入れてあるメモ帳を、ユニフォームの上から確認するように触れながら、「今日は七夕、とても良いお客様に巡り合えて幸せ」と書こうと、ステーションに入って行った。

 

夏季限定

 夏の使者のような、白い清楚な花をつける夏椿が咲き始めました。夏椿

の別名はシャラノキ(娑羅樹)。昔、ある僧侶が、お釈迦様が悟りを開い

たとされるサラソウジュ(娑羅双樹)の木が、この木だと思い込んだとこ

ろからシャラノキと呼ばれることにもなったようです。

涼しげで、品があり、この花を見ていると心が洗われる思いがします。


 筆者は戦後生まれで、昭和20年代に小学校に通いました。小学校入学式

の日の登校前の記念写真が残っています。父は北海道旭川の製紙工場に勤

めていましたが、写真が趣味で当時のマミヤのカメラを持っていました。

 入学式の朝の写真はそのカメラで撮ってくれたのだろうと思います。


社宅前の雪解け道に立って、小さな私は大きな学帽をかぶり、金ボタン

の紺の制服に、紺の半ズボン、いつころからなくなったのか、膝から下は

毛糸で編んだ脚絆(きゃはん)をはいています。


 米は配給の時代で米穀通帳を持って、社宅内にあった米屋で配給を受け

ました。棟長屋(むねながや)のような社宅ですから、隣近所の関係が濃

密で米、味噌、醤油がなくなれば、貸したり借りたりし合ったものです。


 大体の母親が家計を助けるために、今はパートさん、アルバイトさんと

呼ばれていますが、当時は「出面取り(でめんとり)」と言って、特に近

郊農家の田植えや、たんぼの草取り、稲刈り、馬鈴薯などの野菜の収穫時、

いわゆる農繁期に近所の奥様方と連れ立って、日銭(ひぜに)を稼ぎに行

っていました。


 そんなことで母のいない日もあって、小学校の夏休み、暑い夏の日だっ

たと思います。お昼に弟とふたりきりで、おなかが空いて、釜に冷えたご

飯はあったのですが、おかずらしきものが見当たらなかったのです。


 そこで弟とふたりで、近くの小川に行き、ドジョウをすくってきて、小

さなドジョウの腹をさいて、開きにして、フライパンで焼き、醤油と砂糖

をからめ、かば焼きのようにしたのです。


茶碗にご飯を八分目ほど入れ、ドジョウのかば焼きを載せ、弟とふたり

で、かき込むようにして食べました。


おなかがふくれた二人は眠ってしまい、雷の音で目が覚め、雷にへそを

取られるという大人の言葉を信じていましたから、ふたりして、へそを取

られないように抱き合って大声で泣いていたような、今となってはそれも

夢かもしれないような思い出が残っています。


 とんでんでは夏季限定で、ランチタイム(月曜日~土曜日の開店から午

後3時まで)にかぎり、1380円のうな重を1100円、1580円のうな重・そば

を1300円で提供しています。


包丁研ぎ

ひと雨ごとに緑が濃くなっています。ほんのひと月前、華やかに春を飾る花を咲かせ、花を散らした桜の木も、あっという間に、目にも濃い青葉で幹も枝も隠してしまっています。
 その桜並木の下で、雨の好きな紫陽花(あじさい)の花のつぼみが大きくなって、今にも咲きそう。きっと梅雨入りを待っているのでしょう。


 アジサイの名前の由来は、花の色の藍(あい)が集まったものを意味する「集(あつ)」と「真藍(さあい)」の合成語が変化していったという説があります。


アジサイの花は、花びらのように見えるのが萼(がく)で、花はその中の小さな粒々。何か理由があってのものだろうから、アジサイに聞けるものなら、どうしてそうなの?と聞いてみたい気がする。でも、言われてみれば額紫陽花(がくあじさい)が、その説明にぴったり合う花でしょう。


 大卒新入社員のA君。キッチンに配属されて2カ月が過ぎた。勤務終了後に、先輩のチーフから包丁の研ぎ方を見てもらっている。
 新入社員導入研修で、研修スタッフから教えられた「切れる包丁で調理をすることが基本」ということが強く頭に残っていて、研ぎ方をきちんとマスターしておきたかった。


 大学を出るまで、学生寮に入っていたこともあって、包丁を握ること自体、ほとんどなかった。
 「家庭の包丁と違って、店の包丁はよく切れるから気を付けろ」とチーフから何度も言われていた。


よく水を吸った砥石を前に立つA君。
砥石に刃を寝かせ、押したり、戻したりする力加減がうまくつかめない。 刃を押すのはそう感じないが、刃を手前に戻すときに指を切るようで恐い感じがなかなか抜けない。


 先輩のチーフが研いでいるのを見ていると、シャッ、シャッと研ぐ音も心地よい。
「馴れ(なれ)だよ。毎日やっていれば、必ずこつはつかめる」とチーフ。
 「はい。頑張ります」と彼は手を休め、チーフの顔を見ながら、ほほえんでいる。


「どうした?」とチーフは少し怪訝(けげん)な顔で聞いた。
「はい。チーフ、私が包丁研ぎを完璧にマスターできたら、その技術をまだ良くできない人達に教え、包丁の切れ味では全店一と言われるようにするのが私の目標です」と、口を真一文字にむすんだ。
「そうか。うれしいね。何でも目標を持ってやると確実に前進する。その目標に一緒に向かってみようじゃないか」と賛同したチーフ。


「はい!」若い彼の顔が磨かれた包丁の刃のように、ピカッと光った。


卯の花

 5月のゴールデンウイークも終わり、ハナミズキ、ツツジの花と入れ替わるようにウツギ、卯

の花が咲き始めました。

 陰暦卯月(4月。新暦で4月25日から5月23日)に咲き始める花なので卯の花とも呼ばれて

います。


 茎が中空のため、空木(うつぎ)と名づけられた花木です。庭の生け垣で多く見かけます。

近づいて花びらを見ると、5弁の桜の花を小さくしたような白い可憐な花でした。


 北海道で育った筆者は見たことがなかった花で、これが世に歌われる、と言っても、今は小学

校で歌っているかどうかはわかりませんが、『夏はきぬ』の一番の歌詞「卯の花のにおうかきね

に 時鳥(ほととぎす)早もき鳴きて しのび音もらす夏はきぬ」と歌われる卯の花とは、この

花かと思ったものです。今でも、月に1度の割合で札幌に出張で行きますが、札幌で卯の花を見

かけたことはありません。


 『夏はきぬ』の作詞は歌人、佐佐木信綱さん(明治5年~昭和38年)。明治29年、25歳のと

きに教育唱歌として発表されたものです。朝日新聞の短歌選者、歌人、日本芸術院会員、佐佐木

幸綱さん(昭和13年~)はお孫さんに当たります。


 北海道から東京の大学に進学して、西武池袋線江古田駅に近い大学校舎に通ったのはもう40年

以上も前。授業が終わった後、クラスメートや研究会の先輩に連れられて、よく江古田駅周辺の

居酒屋に行きました。この時期、北海道では食べたことがなかった鯵(あじ)のたたきやフライ

がおいしかったことは今でも忘れらません。


 大学進学で東京に出て来てわかったことは、鯵は、育った北海道で言えば、ホッケやカレイの

ような存在で、いつも庶民のそばにありながら、おいしい魚です。


 鯵は一年中、水揚げされ、食卓にのぼりますが、日本近海物では、春から夏、ちょうど今頃

が、脂が乗っておいしい時期です。


 鰯(いわし)や鯖(さば)と同じ青魚で、血液の粘度を下げ、よく言われる血液さらさら効

果、目の網膜や脳の働きを活性化するDHAやEPAが豊富なことから、動脈硬化、ボケ防止に

も良い食品と言われています。


 とんでんでは5月14日より、近海より産地直送で取り寄せた生あじのメニューをこの一番おい

しい旬の時期に提供致します。

 鯵の刺身をメインに、小鉢は3種で鯵フライ、鯵のほねせんべいのマリネ、煮物、茶わんむ

し、ご飯、味噌汁、漬物がセットの「あじ御膳」。

 あじ、いか、さけ、まぐろ、えびを一盛りにした豪快な「旬鮮刺身膳」もおすすめの一品。


 とんでんの〃北海道そば〃はお馴染みとなっていますが、関東の店舗は摩周そば、北海道の店

舗は黒五穀そばと地域によって違いますが、あじの巻き鮨と組み合わせた「あじ鮨」をセットし

たメニュー、大ざるそばとえびとかにの天ぷらをセットしたメニューの2品もぜひお試しいただ

きたいお品です。


そのほか単品の「あじのサクサクサラダ」「あじ鮨」「あじフライ」「あじのにぎり鮨」と、

一番おいしい時期の鯵メニューを7月15日までいろいろとお楽しみいただけます。


 なお毎年、この時期、期間限定の北海道の幸「ホワイトアスパラのサラダ」は収穫が始まり次

第、開始させていただきます。


 どうぞ、連休後も新鮮な鮮魚メニューをご用意しておりますので、ご来店をお待ちしておりま

すし、5月10日(日)の母の日は、特別メニューをご用意しておりますので、ご家族そろっての

お出でをお待ち申し上げております。

春の味

4月も10日になり、関東の桜並木は花吹雪です。並木道が桜の花びらで埋め尽くされています。まさにこの世にありうべからざる幽玄のおもむきがあり、背筋がぞくっとさえします。


 散り行く桜を惜しむように、並木道の花吹雪の中で若者や、小さなお子様を連れた親子、あるいは三世代で敷物を敷いて陽気に花見をしています。 落ちた花びらを手のひらですくい、また、ぱっと散らせたりしています。 ぜいたくな花遊びの風情(ふぜい)のようで、心もほころびます。


このところの関東は暑く、日中、摂氏25度にもなり、窓を開け放ち、団扇(うちわ)であおぎながら仕事をする事務所風景に、早、夏さえ感じさせます。ほんの4、5日前まで肌寒かったのに不思議な感じがします。


 桜が散るのと替わって、花水木(ハナミズキ)が咲くのですが、その花水木のつぼみが開き始めています。赤いツツジも咲き始めました。
 今は朱モクレンも見ごろですが、海棠(かいどう)の花が見事です。ピンクの花盛りの花蘇芳(はなずおう)にも目を奪われます。


 ピンクと言えば、荒川のサクラソウ群生地も、さいたま市に住んでいればこそ身近に見られます。サクラソウと共生する、さ緑の広大なノウルシの群生と満開の桜、黄色のレンギョウと桜も写真におさめてきました。
荒川に寄り添う野はあくまでも広く、のびやかでした。


 関東の何が好きかと言って、年中、花が絶えないことです。


「ねえ、桜ます、食べた?」と社内でも、話題もちきりの新メニューの「桜ます」。


桜が咲く頃、日本海で漁獲されるので「桜ます」と呼ばれ、北海道生まれのとんでんは、函館港にだけ水揚げされた「桜ます」を関東と北海道の全店にお届けしています。


「桜ます」の名前の由来ともなっている、桜色の身質もあざやかです。
『北海道/春の味めぐり』メニューの中で、「桜ます」はお刺身、にぎり鮨、巻鮨、押し鮨、カルパッチョ、あら汁のバリエーションをお楽しみいただけます。


「桜ます」とセットの北海道そば、春の北海道産グリーンアスパラと筍の天ぷらもおすすめです。


 北海道の桜は4月末から5月のゴールデン・ウイークが見ごろです。それに合わせるように、北海道店舗のセットのおそばは「桜そば」です。
メニュー名も「桜だより」「桜づくし」と洒落ています。


『北海道/春の味めぐり』メニューでは、北海道オホーツク海産浜茹で毛がにもおすすめで、この時季ならでの旬のおいしさを堪能(たんのう)できます。関東店舗ではこの浜茹で毛がにと、ずわいがにも一緒に盛り込んだ豪快なセットがお得になっています。


ほかに厚岸(あっけし)産の活あさり、日高産の真つぶ貝、苫小牧産の生ほっき貝メニューも取り揃え、食の話題も豊富な『北海道/春の味めぐり』メニューです。


 皆様、どうぞお誘い合ってご来店いただきまして、とんでんで「春の味」をお楽しみくださいませ。


仕事は足で探せ

 関東の桜のつぼみが大きくふくらんできた3月なかばのこと。


 4月になれば入社3年目になる女性社員。およそ2年のキッチン業務から一転して、新入社員が配属される前にフロアー業務をおぼえるようにと、店長から指示を受けた。


「明日から2週間で、ですか?」と彼女は店長に聞いてみた。目をまん丸にして。


「そう、2週間で。2年間、キッチンをやっていたから、メニューはすべて知っているし、キッチンからステーションでの料理のセットの仕方や、フロアー業務だって、何も見たことがないなんて言わないはず。それに君の指導は私がするから、何も心配をする必要はない」と店長。


「そうですか。それならば安心です」と彼女。少しほほえんだ。


「安心だろうけれど、私は厳しいぞ」と店長は本当に厳しい顔をする。


「店長が厳しいのはキッチンにいても同じです」と返す彼女。


「そうか」と言って店長は笑った。


「要はね、北海道の短大卒の女性社員が導入研修を終えて4月1日の入社式に出て4月4日の土曜日が初出勤だ。そのお姉さん役を君にやってもらいたいんだ」


「そういうことですか。来たばかりの新入社員に、私もまだフロアー業務は20日ほどよ、一緒に頑張りましょう、と言えばよいのですね」


「そう。ほんとにものわかりが早い。頼むよ、お姉さん」


「承知しました」と彼女もほほえんだ。そして、みるみるうちに、きりっとした顔になって、やる気になったようだ。


 人はなすべきこと、果たすべき使命がわかれば、そこへ黙っていても向かっていくものだと店長3年目の彼は思う。店舗運営に余裕も出てきて、そのことは先輩店長から教えられたことだと、本当にそうだな、と気が付くことが多くなった。


 そして翌日から、フロアーで、きびきびと動き回る彼女の姿があった。


 店長から「仕事は足で探せ」と言われていたからだ。


 その名言は、店長が新入社員の時から何度も何度も、かつて鬼のG営業部長が店長だった時に、部下として直接聞いていた。

「止まるな。歩け」ということも。今も恐いけど、ほんとにあのころ、恐かったなと、くすりと笑った。


もうすぐ桜

 関東の桜並木を毎日眺めていて、まだ花は咲いていませんが、心なしかピンク色に霞み始めているように思えます。


 以前も書きましたが、筆者は北海道旭川に高校までいました。父の弟はまだ元気で旭川窯の窯元、陶芸家として毎日、土と火と格闘しているようです。もともとは食料品雑貨商の2代目で、今は叔父の息子夫婦が3代目で継承しています。


 私は小さいころから、そのお店に行ってはお店のお手伝いをしました。小学校、中学校、高校の夏休み、冬休み、春休みもほとんど叔父のお店に泊まり込みで行きました。近所のお屋敷に御用聞きに伺って、御用かごに積んで自転車で配達するということもしました。


 鉄工所の社長宅はシェパードを飼っていて、吠えられ、いつもこわごわ配達に行ったものです。


 大人の男達を相手に、立ち飲みの清酒、合成酒、焼酎のもっきり(盛り切り)もコップに注いであげることもしました。焼酎の梅割りなども上手に注げました。味噌、醤油、砂糖、塩、駄菓子は計り売りで、おまけしてあげるのも商売のこつでした。お盆の子供相手のくじ付きお菓子などは私が問屋に行って仕入れてきたこともあります。


 手伝いに行って、何が楽しみかというと、食事をおなかいっぱい食べられたり、おやつのお菓子もいろいろと食べることができましたし、働きに応じてお小遣いも、はずんでくれました。


 叔父は変わり者で、お店の経営は奥さん任せで、若いころからピアノを弾いたり、ヴァイオリンを弾いたり、録音テープデッキや8ミリカメラ、最先端のものを次々に購入しては楽しんでいました。


 川釣り、海釣りも好きで何度もヤマメ釣りや留萌、増毛海岸の海釣りにも連れて行ってくれました。


 刺し網漁も大好きで郊外の沼に出掛けて行っては網を張り、ウグイや鮒、鯉を捕獲して、ウグイは焼いて干して煮干し代わりにしたり、鮒、鯉は自分でつくった自宅の池に放しました。


 どういう理由だったかはわかりませんが、最後にたどり着いたのが陶芸でこれはもう40年以上続けています。札幌、東京のデパートで個展を開いたこともあり、海外の賞も受賞しています。


 今は奥さんも手伝って、二人して土をひねり、壷や茶碗だけでなく、ふくろうなども焼いているようです。


 その叔父はよく旅行にも連れて行ってくれました。一番遠かったのは夏のサロマ湖だったように記憶しています。


 40年以上も前の話ですから今はどうなのかわかりませんが、サロマ湖に着いて、叔父も私もパンツ一枚になって、サロマ湖に入っていき、足で水底をさぐり、天然のほたて貝を採りました。


 それを湖岸で焚き火をたき、すぐさま焼いて食べました。今では考えられないぜいたくであったように思います。


 今、関東の和食レストランとんでん・きろろ庵では、北海道オホーツク海、野付半島の活ほたて貝が空輸で直送され、そのメニューをお楽しみいただけます。また、北海道の和食レストランとんでんでは旬の生やりいかメニューをお楽しみいただけます。


 そして、季節の桜そばメニューを関東、北海道の全店で召し上がることができます。


 桜そばの製造担当は恵庭工場のKマネジャーです。彼はかつて、別の会社にいて、札幌のインストア・ベーカリーでパンをつくっていました。いわゆるパン職人です。その彼が、今はそばをつくっています。人生というのは本当におもしろいものです。そばではありませんが、まっすぐ生きていれば良いこともある…。


どうぞ、とんでんの季節メニューもお楽しみください。

sakura.png

梅の花が咲くころ

 絵に描いたような枝垂れ梅がお店の近くにある。ウインドー越しに見えるその梅の花を見てお客様が「きれいね」と声を上げているのが耳に入ってくる。


 料理提供のワゴンを押しながら、ついそのお客様の声につられて外の景色に目がいってしまうことがある。


 梅を見ているお客様はうれしそうに笑っている。それにもつられて自分にも笑みが浮かんでくることがわかる、入社丸2年がたとうとする男性社員のA君。


 キッチンに1年7カ月いて、店長からフロアー業務もおぼえてもらうと言われて、4カ月目の2月半ばのこと。やっと、フロアー業務に慣れてきたところだ。


 誰でも経験するように大体、慣れてきたところで失敗をする。キッチンでも4カ月目に包丁で爪をそいで、ひやりとしたことがある彼。


 ランチタイムのピーク、満席だ。料理提供のためにお客様のお席に行って「さざんかの冷たいおそばのお客様」と尋ねると、「冷たいのじゃなくて、あたたかいのだよ」と男性のご年配のお客様から言われた。


「えっ、そうでしたっけ」と、つい、なれなれしい言葉を使ってしまった。自分でも、しまったと思ったが、あとの祭りで「そうでしたっけってなんだ。自分のミスを客になすりつける気か」とお客様を怒らせてしまった。


 すかさず、気づいた店長がすっと入ってきて、「申し訳ございません」
と深々と頭を下げた。


 お客様は「しっかり、教育してくれよ。だいたい、注文のとき、復唱しなかったからな。案の定だよ」と注意をされた。むろんA社員も平謝り、冷や汗びっしょりだった。


「いいよ。いいよ。このそば、食べるから。気を付けてくれよ」とお客様が救いの手を伸ばしてくださった。


 馬鹿だなおれって、復唱はしないわ、ため口はきくわ、最低だ、お客様に叱られて当たり前だ、馬鹿馬鹿と自分を責めた。


 それでも、空のワゴンを押しながら、自分を立て直すように、お客様がお帰りになったお席の下げ膳をして、なおかつお帰りになるお客様に「ありがとうございました」と言えた時にはしっかり反省もできていた。


 洗浄で下げた器類をおろし、ステーションに戻って、ベルスターで呼ばれたお客様の元へ行き、ご注文を受けた。もちろん、今度はしっかり復唱をしながらお伺いした。


 ステーションに戻る途中、先ほどご迷惑をお掛けしたお客様のお席を見ると、お食事がそろそろお済みになりそうな気配であった。


 ワゴンにお茶の入った急須を載せて、ステーションから近いお席から順にお茶サービスをしていきながら、彼をたしなめてくださったお客様の席にお伺いし、「先ほどは大変失礼致しました。お茶のお代わりはいかがでしょうか」とお尋ねした。


「ちょうど良いときに来てくれた。ほしいね」とお客様は、にこにこ顔でおっしゃってくださる。連れのお客様はご友人のようで、皆さん、にこにこしていらっしゃる。


 彼は思った。皆さん、こんな私を励ましてくれているんだ、ありがたいなあと思い、つい、彼は「ありがとうございます」と声に出して最敬礼をするように頭を下げた。


「がんばんなよ」「がんばんなよ」「がんばんなよ」「がんばんなよ」
と4人様の励ましの声が彼の頭の上で心地よく響いていた。

誓い

 北海道から妻子を連れて関東に転勤してきたチーフ。勤務歴は10年を越えている。

 元日、早番で勤務を終え、社宅に帰って「只今」とドアを開けると小さな彼の娘が飛んで来た。


「パパ、お帰り」と飛びつく。「ああ只今」と抱き上げて、ほほずりをする。「ママ、これから神社にお参りに行こう」と彼。


「ほんとに?」と彼の妻。目を丸くしている。


「ああ行こう。風邪ひかさないようにたくさん着せてくれ。関東の風は冷たいからな」と彼はまた、娘をぎゅっと抱き締めた。


「どうしたのパパ?」と少し怪訝(けげん)に思いつつも、家族そろって出掛けることに彼の妻もうれしそうな目になっている。


「うん。ママ、俺、店長になる」


「えっ、パパ、店長に?」


「なる。お前達を関東に連れてきて、いつまでも万年チーフというわけにはいかないだろう。経済は厳しいが会社は出店に力を入れている。チャンスを自分でつくるために、俺は店長になることを誓うことにした。家族そろって、神様の前で誓うことにしたんだ。だから行こう。神社に」


「パパ、店長さんになるの?」と抱かれたままの小さな娘が聞く。


「なるとも。絶対になってやる。俺も30歳だ。札幌の親にも喜んでもらいたい。北海道から何人も転勤して来て何人も店長になっている。俺になれない理由はない。一生懸命、目の色変えて仕事をやる。お前達も協力してくれ。キッチンとフロアーの仕事ができるだけでなく、店長になるための勉強も必要だ。勤務時間の前や、勤務後に店長からいろいろと教えてもらったり、自分でも足りない部分をおぎなう時間が必要だ」


「わかったよ、パパ。協力するよねえ。すごいね。パパ」


 抱かれたままの娘も「うん。キョウリョク、キョウリョク」とはしゃぐようにからだを動かす。「おいおい落ちるぞ」と彼。「さあ行くぞ」と、妻と娘に外出の用意をさせた。


 それから、1週間が経った1月8日。新メニューの「ひらめ」のメニュー開始の朝。お店にシフトより早めに出て、キッチンでの「ひらめ」の仕込みを一緒におこない、「ひらめ」のさばき方を確認する。


 特に「ひらめ」の「えんがわ」をいかに上手に切り取るか、ということに神経を使い、調理担当のパートさんとも確認し合った。


 キッチンで仕込みが終わったら、フロアーの朝礼に出て、毎月の店舗業績表彰でトップクラスをつづける店長からの言葉を聞く。


「おはようございます。本日から新メニューが始まります。ひらめメニューと、真だらメニューです。真だらメニューは昨年もおこなっているので特に問題はないと思いますが、ひらめメニューは今回が初めてです。


 とんでんの強みは鮮魚です。しかも、ひらめは高級魚です。とんでんのお客様の90%は常連様です。その常連様に喜んでいただける価格で提供します。経済は厳しいですが、その中でお客様はお店をしっかり選択してご来店されます。キッチンもフロアーも連係プレーで良い商品を提供してください」


 チーフ、何かあるか? と店長からうながされ、彼は「はい」と言って話す。
「おはようございます。今、店長からお話がありましたように、ひらめの〃えんがわ〃と、あら汁は限定メニューとなりますので、キッチンはこまめにフロアーに情報を流してください。


 ひらめの旬は冬です。今がひらめの一番おいしい時季です。高級白身魚で、うま味成分のイノシン酸やグルタミン酸が含まれているので淡白ですが、うま味が濃いのです。高タンパク、低カロリーでダイエットに良いメニューでもあります。また、えんがわにはコラーゲンが豊富に含まれています。以上、よろしくお願い致します」


 チーフは自分なりに調べたことを話した。


 店長は、ちらりとチーフを見た。「やる気だな」とチーフが聞こえるか聞こえない程度の声をもらしたあと、「チーフが話したことも参考にしてお客様にしっかり商品案内をしてください。それでは朝礼を終わります」と店長はきれいな45度の会釈をした。


 チーフもそれを見て、切れのある45度の会釈で返した。頭を下げながら、一つ一つしっかりと見習わなくては、と誓いを新たにした。

モジリアニ

 無限の繁栄を思わせたアメリカ経済が、まるでブラックホールにでも吸い込まれていくかのように急激な衰退の始まりを思わせるニュースが24時間、リアルタイムに流れてきています。


 日本も時差の分だけずれるように、日本の繁栄の象徴でもある自動車産業、電機産業の大リストラが始まっています。


 ところでこういう時だからこそ、どうしてこうなったのかなと振り返ってみたりするのですが、日本の戦後民主主義はいつの間にか個人主義に変質してしまって、隣は何をする人ぞという”隣人愛”不毛地帯にでもなったような気がします。


 これほど時代が悪くなってきたからこそ、あらためて多少不自由なことがあっても”隣人を思う心”を発信し合ってはどうでしょうか、と戦後民主主義と共に育ってきた一人として反省を込めて、祈りを込めて発信してみたくなります。

 元日の朝、きりりと髪をととのえ、シフトより1時間早めに出てきて、良いスタートを切ろうとお店にやってきた女性チーフのY子さん。


 ユニフォームに着替え、鏡の前に立って、汚れがないか、目立つようなしわはないか、くるりと回って全身をチェック。最後に、好きなフランスの画家の名前「モジリアニ」と言って、特に最後の「ニ」に力を入れて発音し彼女独特の笑顔法を実行する。


 モジリアニ夫人、ジャンヌの肖像画は24枚もあり、彼女がいかに愛されていたかを物語っているのですが、89年前の1月24日、モジリアニが36歳で病没後、21歳の彼女も2日後に彼のあとを追って、若くしてこの世を去りました。火のような恋をしたまま…。


 モジリアニの一生はのちのちまで伝説となって語り継がれていますが、Y子さんはモジリアニの展覧会があれば、できるだけ見に行くようにしています。本物の絵はやはり、伝わってくるものが違うからです。


 笑顔を浮かべたY子さんは、次にフロアーに出ようとシューズをチェック。シューズを手にとって、フレッシュな気持ちできれいに磨く。


 そしてフロアーに出ようと、靴を履きおえたところで、店長が出勤してきました。彼女は、それこそまた心の中で「モジリアニ」と言って笑みを浮かべ「店長、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します」と挨拶をした。


 店長もそれに応えて「明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します」と二人、共にお辞儀を交わして、店長は「早かったんだね」と気づかいの言葉をかける。


「はい。元旦ですから。気持ちも新たにスタートしようと思いまして。店長のほうこそ、昨日は遅くまでおせち料理のお届け確認でお疲れでしょうに」と彼女もまた気づかいの言葉を返した。


「皆さん、早めに出勤してくださってありがたく思っています。新年スタートの朝礼を始めましょう。皆さんに声を掛けてください」


 すでにキッチンとフロアーで仕事を始めていた朝出勤の社員、パートさんが店長の前に整列しました。


「新年明けましておめでとうございます」と店長。それに応え、「新年明けましておめでとうございます」とさわやかに挨拶を返す皆さん。


「昨日までのおせち料理販売は皆様のおかげで店舗目標も完売できましたし、ご注文のお客様にすべて無事にお届けすることができました。あらためてお礼を申し上げます。ありがとうございました」と店長はスパッと切れの良いお辞儀をする。


「さて今日から2009年、平成21年の始まりです。始めよければ終わりよし、ということわざもあります。今日、最初のお客様に感謝を込めてお迎えし、良い料理をつくり、良いサービスで心から満足していただくようにしましょう。そしてその気持ちをずっと持ちつづけて一人一人のお客様に喜んでいただきましょう。新年のおすすめメニューは、ずわいがにと、本まぐろメニューです。また三が日はお宮参りで晴れ着のお客様もご来店されます。料理提供時、下げ膳時、気配りをして、あわてず、確実なおもてなしをお願い致します」と、きちっと本日のポイントを話す。


「最後に、今日もチーフ、なんて言うんだっけ?」
「えっ?」Y子さんは一瞬ピンときていない。
「ほら、笑顔が浮かんでくる魔法の言葉」
「モジリアニ、ですか?」
「そう、それ。幸せなほほえみをお客様に楽しんでいただきましょう。以上、よろしくお願い致します。モジリアニ!」


皆さん、ニッとほほえんで、それぞれのポジションに向かいました。

トナカイチルドレン

 12月に入る前からクリスマスのイルミネーションが街の店先や並木ばかりでなく、個人の家のベランダでも派手に飾りつけられていて、それほど珍しくなくなってきていますが、それでも、クリスマスは何となくウキウキさせてくれるものがあります。


 去年のクリスマスは東川口店(埼玉県)のM店長がトナカイのかぶり物をかぶって、クリスマスパーティー巻を隣のケンタッキーさんに負けずに店頭で販売して、ひとり気炎を吐いたという”トナカイ伝説”を作り上げましたが、その開拓魂が熱く伝わり、今年はとんでん全体として、クリスマスメニューを企画、開発、販売を開始しています。


 このホームページでも『クリスマスパーティーをとんでんで』というボデーコピーで、とんでんオリジナルの「クリスマスパーティー鮨」がメインに大きく飾られています。
このほかのメニューとして、ローストチキンも盛り込まれている「クリスマスオードブル」、デコレーションケーキを思わせるような華やかな「クリスマスケーキ鮨」、おなじみのお鮨とんでんに厚焼き玉子がプラスされた「クリスマスとんでん」、そしてフライドポテト付き「特製フライドチキン」の5品。


 去年はトナカイ店長が隣のケンタッキーさんに対抗してクリスマスパーティー巻を販売しましたが、今年は、この特製フライドチキンでケンタッキーさんと激突することになるかもしれません。この特製フライドチキン、おせち料理づくりで定評のある北海道・恵庭工場で味付けされている自信の商品です。


 ぜひ、お近くのお店でご家族、ご友人、会社のお仲間、グループでのクリスマスパーティーのご予約をどうぞ。なお、お店でクリスマスパーティーを開催の場合はクリスマスケーキを持ち込んでいただいてもよろしいです。ケーキ用ナイフはお店で用意をしております。


 もちろん、お持ち帰り用のご予約もお受けしています。 


 そんなところへ前回、このホームページで紹介した社内ソフトボール大会で優勝した岡本ランボーズの監督O地区マネジャーの地区(江北店・花畑店・草加店・草加新田店・東川口店・越谷店・越谷南荻島店・北越谷店)で12月25日、午後9時半から個室のある草加新田店でクリスマスパーティーを開催するという社内メールが飛び込んできました。
メール発信者はあのトナカイ店長がいる東川口店のGチーフ。自称、トナカイチルドレンの彼がこの企画の幹事。地区内の店舗にメールで「みんな集まれ!!!」というタイトルで呼びかけています。


 草加新田店には個室があり、パーティー会場にはもってこい。そのうえ、店舗階上にとんでんの独身寮が併設されており、招待者はその独身の「若き美男美女」たち20名。もちろん、トナカイチルドレンもこの仲間の一人です。そして野武士軍団の8名の店長と”総監督”のO地区マネジャーも光栄にも「ご招待」です。


 このクリスマスパーティーではクリスマスメニューをごちそうにして、アルコール類を飲んでも、若き独身さんたちは階上の自分の部屋に帰って眠れば良いから安心です。


 イブの24日はお客様に楽しんでいただいて、25日のクリスマス当日に「仲間との交流というプレゼント」の交換をやろうという趣向。


 このトナカイチルドレンさんからのクリスマスパーティーご招待メールは、地区の店長と地区の店舗、そしてO地区マネジャーに発信され、O地区マネジャーの返信欄には「当日はトナカイチルドレンとっておきの隠し芸があります。そのほか、何が飛び出すかわかりません。当日は、無礼講で楽しみましょう」とありました。


 その返信欄を見たのでしょう、地区内の某店長の返信欄には「本当に無礼講ですか…?」とありました。

 
 何やら、風雲急を告げる雰囲気ですが、このようなクリスマスパーティーは他の地区でも催されるかもしれません。このO地区の「みんな集まれ!!!」クリスマスパーティーは風の噂となって、野火のように広まっていき、特に個室のある店舗、階上に社員寮がある店舗では、同じように、「みんな集まれ!!!」クリスマスパーティー開催ということになるかもしれません。


 12月25日、ディナータイムも終わったころ、とんでんの個室だけでなく、客席でも楽しそうにパーティーをやっているのが外から見えましたら、とんでんの仲間たちが「心というともしび」を持って集まり、「心のあたたかさというプレゼント」を贈ったり、贈られたりして、2008年のクリスマスを胸の奥深くに刻印している時間だと思ってください。


 メリークリスマス。あなたの胸にも、あたたかなともしびがともりますように。

すべて勢い

 寒い秋がつづいていた関東。11月6日、第5回社内ソフトボール大会が開催されました。第3回、第4回は雨で流れ、実質第3回目の社内ソフトボール大会で、今度こそと願っていたのは主催者側ばかりではありません。社内のみんなも待ち望んでいたソフトボール大会。この秋の大会は連日の冬のような寒さがうそのように消え、朝から晴天、気温も暖かく、素晴らしい大会の朝を迎えました。


 関東の和食レストランとんでん95店舗、きろろ庵3店舗、本部、グループ企業が8チームに分かれての対抗試合です。


 選手宣誓は前回のむくつけき男性店長(今やトナカイ店長の異名を取るパワフル店長)ではなく、鳩ヶ谷店の勤続7年、女性チーフのWさん。


 秋葉系ファッションのコスプレと思われるド派手なピンクの衣装で、今年入社の男子社員これまたアキバ系のI社員(激辛のT地区マネジャーの情報)を従えて登場。Wチーフは選手宣誓というより「鳩ヶ谷店はおせち料理販売で全店トップで目標を達成させます!」と自店舗の目標を強くアピールする”宣戦布告”でした。


 今大会の実行委員長は、第2回大会で優勝をジャンケンで奪取したG部長。G部長は開会の挨拶で「今日は仕事の話しはしません。ソフトボール大会の試合もおせち料理販売も勢いのあるところが勝つ!」と変わらぬ熱いメッセージで、300人を超える参加者をふるい立たせました。


 試合のルールで、ピッチャーは女子と決められていますが、オリンピックの女子ソフトボール大会金メダルリスト上野由岐子さんのような豪速球は認められず、ゆるやかな山なり投球というルール。ゆるく、山なりなので誰でも打てそうで、逆にタイミングが難しい、と野球巧者は言います。


 参加8チームの内訳は、店舗が2地区ずつチームを組んで6チーム。その他に、きろろ庵と本部で1チーム。もう1チームは岩槻工場、とんでんビジネススクール、グループ企業3社(長栄商事/長栄設備/とんでん製菓)の混成チーム。


 チーム名はそれぞれのチームで命名しており、オールドルーキーズ、ヒット・エンド・ラ~ン♪ズ、佐藤吠ぇーるず(前回優勝)、岡本ランボーズ、ビッグボイスPartⅡ、千葉ウッテマリーンズ(前回準優勝)、お・もろ~ズ、宮武タイガース、とありますが、監督にちなんだ名前が多い。


 監督のキャラが色濃く出ている、といっても過言ではありません。トーナメント制で、3回勝てば優勝です。


 1回戦で勝ち上がってきたのは、ビッグボイスPartⅡ、岡本ランボーズ、佐藤吠ぇーるず、お・もろ~ズの4チーム。2回戦が準決勝で、勝ち上がったのが岡本ランボーズ、佐藤吠ぇーるず。準決勝で勝った佐藤吠ぇーるずの監督S地区マネジャーが興奮気味に「3連覇!」「3連覇!」と


それこそ吠えていました…。


 ちなみに3位4位決定戦では、若さのきろろ庵が奮闘したお・もろ~ズが勝ち上がった。


 さて、いよいよ決勝戦。佐藤吠ぇーるず以上に”全員吠え野球”で勝ち上がってきた岡本ランボーズが決勝でさらにヒートアップ。審判に「野次がひどいので減点を」と抗議されるほど、勝ちにこだわっていることが観客にもはっきりと伝わってくる。


 岡本ランボーズには監督のO地区マネジャーより目立とうとする”トナカイ店長”も選手でおり、ベンチを飛び出して声も体も出てくる、出てくる。それを激情のO地区マネジャーが激しく制止する。二人の掛け合い漫才みたいで笑いもさそう。


 勢いで押されっぱなしの佐藤吠ぇーるず。決勝の結果は2対0で、岡本ランボーズが勝ちにこだわった勢いと力でねじ伏せた。


 第5回社内ソフトボール大会で監督として優勝に導いたO地区マネジャーの10月の営業振り返りレポートの末尾に書いてあった言葉を引用させてもらいます。そこに優勝の秘密があるかも…。


「現状の困難を力に変え、明るく、ワクワク感、結果の楽しみ感を持って、本気で向かって生きます」


”行きます”ではなく、”生きます”という凄み(すごみ)が他を圧すると思うのです。

魅せるお辞儀

 お店のフロアーは「舞台」という考え方もあります。サービス業界ではかなり以前から言われている考え方のひとつです。


 フロアー担当者はその意味で、アクター(俳優、役者)という考え方です。ご来店のお客様に喜んでいただくために、いかに自分を演じ切るか、そのようなことも言われています。


 しかし、それはお客様から「演技なの?」と思われてもいけないのです。そこが難しい。心からのおもてなしを基軸にしている私共とんでんです。演技ではなく、身にしみるほど、体の中におもてなしの心が溶け込んでいなければなりません。


 営業部のG部長は店舗巡回をして帰ってくると、その日、気が付いたものをまとめ、1店舗の問題としてではなく、全店の問題としてメールで投げかけます。


"企業秘密"の部類に入りますが、ある日のG部長の全店メールを紹介しましょう。テレビのドキュメンタリー番組にあるような舞台裏の苦労話の一つとして。


45度のお辞儀はできる時だけやれば良いと思っていませんか?


徹底的にこだわってやろうと本当に思っていますか?


90度までこだわってお辞儀に徹底した店舗が過去にありました。


そこまでしなくても、しっかり45度のお辞儀に徹底的にこだわった時期がありました。


 そのお辞儀に同業他社さんも感心し、お客様が声を上げて感動するほど徹底的にお辞儀にこだわったあの頃。お客様に感心していただいて、おほめをいただいて、そのことに喜びを感じて、本当に大変だったけれども、そのことに手を抜く従業員はどこにも一人もいなかった当時を思い返してほしい。あんなに真剣になれたのは、お客様におほめをいただいて、誰より、自分がうれしかったからではないですか?


 その45度のお辞儀がとんでんからなくなって良いわけがないのです。


 お客様のお出迎え、お見送りの45度のお辞儀に100点満点の評価をできる従業員は今、何人いますか?


 それ以前に、店長がいつもフロアーに出て良い見本になれていますか?


 背筋がきれいで、切れのある45度のお辞儀。見せる(魅せる)お辞儀を自分自身の心の武器として、そのためだけに、ウォーターステーション(お客様のためにお茶・おひや・コーヒー・生ビール、おしぼりなどを用意する場所)から出て、お客様が自分の前を通過する3秒前に、すぱっと切れのある、価値のあるお辞儀を今、演じて魅せられますか?


 フロアースタッフに「きれいなお辞儀だね」とほめてほめて、ほめ殺さん程度に、とことんスタッフをほめることができる店長ですか? その気にさせる店長ですか? お客様に喜んでいただこうと、体のしんから思っていますか?


 笑顔とお辞儀はお金で買えません。その人の仕事に対するパッション、情熱とプロ意識に火をつけてやるのが店長の仕事です。


 魅せるお辞儀でお客様に感動をあたえることで、自分の仕事に誇りを持てたあの日を思い出そう!


 お客様が待っているのは予期しない感動です。それをやってみようじゃないか。自分が納得できるまで、お客様が感動してくださる瞬間を自分の心でつかみ取れたと実感できるまで。

人が集まるお店

 なんでもそうでしょうが、特に職業は好きな仕事でなければ長続きしないと言われています。しかし、仕事に就いてみないと、その仕事が好きかどうかわからないという面もあります。


 また一方、仕事はどんなものでも厳しいものがあるけれど、会社が良くて、私共とんでんであれば、店舗あるいは職場が良くて長続きするということもあります。


「うちの店は、ここ何年も費用の高いチラシ等の募集広告を出さなくても、お店の前のバナー(旗状の広告)や店内ポスターを見て、パートさん、アルバイトさんとして応募してくださっています」と胸を張って話す店長がいます。


 人員補充のための採用で苦労している店舗が多いなか、あらたに経費を掛けることなく採用できることをうらやむ店長は少なくありません。


「うちの店は、本当に退職者が少ないのです。ご主人の転勤とか、親御さんの介助が必要になってとか、よんどころないプライベートなことが退職理由で、仕事が合わないとか、職場がおもしろくなくて、ということはないので、永く勤務されている方が多いのです」とこれまた、にこやかに話します。


 それに、とつづけて、
「アルバイトさんも大体、大学進学や就職でやめていくのですが、大学に進学しても続けて勤務されている学生さんもいますし、場合によっては就職したけれどもそこになじめなくて、パートさんで再雇用してくださいと言って戻って来る方もいらっしゃいます。ありがたいですし、とってもうれしいですよ」と、先ほどより、もっとほほえんで話すのです。


 きっと、居心地の良いお店なのでしょうね、と聞くと
「それはまあ、当然です。お客様も同じ理由で、うちの店で必要な仕事をしてくださる人がなぜ、集まるかと言うと、雰囲気です。お店の雰囲気が良いから、お客様も、仕事をしていただきたい人も集まるのです」と言いながら、少し照れています。


「自慢しているように聞こえるかもしれませんね。でも、本当に、お店の雰囲気が良いのです。うちの従業員だけでなく、お客様にとって、居心地の良いお店なのです。なぜって、永く勤務されている人が多いって言いましたよね。だからと言って、年輩者ばかりという構成ではないんです。これが、どの年代もまんべんなくいるのです。お客様に居心地が良いと思っていただけるのはこのあたりだと私は思っているのです。お客様にさまざまな年代の方がいらっしゃるように、従業員も色々な年代の人がいると安心なのでしょうね」


 なるほど。


「そしてですね。従業員の皆さんにいつもお話ししているのですが、お願いしていることは家族はもちろんですが、友人、知人に紹介できるお店になっているかと自分に問いながら仕事をしてくださいということです。ですから、皆さん、仕事についてはとても厳しく、真剣に取り組んでいただいています。うちの店が居心地の良い、あたたかい雰囲気の店だということは、うちの従業員の誰もが、そういう店で食事をしたいと思っているからです」

 これをお読みのお客様、雰囲気の良い、あたたかなお店をご利用であれば確かにこのお店です。

3秒で決まる!

 アメリカの証券会社の破綻(はたん)から株価の暴落が止まらず、アメリカがくしゃみをすれば風邪を引くと言われる日本も連動して株価の暴落が始まっているし、経済の悪化が世界に波及している。


 かつて伝説のジャンケン王だった(ホームページ2007.5.20掲載)営業部のG部長は今、営業部長として店長に直接、メールを発信して自分の思いを伝えることがある。
「お客様がいらっしゃらないのはこの悪い経済のせいではなく、お客様をお迎えできる体制、心ができていないからだ!」と、がつんとぶつける。厳しい。だが、G部長のメッセージは「理」にかなっているし、何よりも「熱い」ものを感じさせ、店長たちの脳と心を揺さぶる。


 たとえば、お客様をお迎えする体制とは、と次のようなメール発信から始まる。


「お客様にご来店いただいた瞬間(それは、とんでんの敷地内に入った時からはじまる)を店内から確認できる店舗とできない店舗があるので、そこまでは問わないが、ピークタイムであろうと、アイドルタイムであろうと、お客様が玄関ドアの2枚目を開けた瞬間に、従業員がどう対応できているかということが、店長が想像している以上にとても大事なことなんだ。聞こうとしないから聞こえないだけで、お客様が開けるドアの音は、耳と足の裏で聞け! しかも、その時から3秒以内が勝負、その3秒以内がお客様のお店に対する印象の分かれ目であることをしっかりと脳と心にたたきこんでおけ!」


 そして、こう続ける。


「お客様が玄関を開けて入店時に気づかれない、放っておかれるさびしさを心の底から感じ取れない者は、サービス業には向かない。さっさと、気をつかうことがまったく不要な次の仕事(そんな仕事があるとは思えないが)を探したほうが良い。


 特に、季節のメニューを載せた新聞折込のチラシをご覧になって、このお店はおいしいものを食べさせてくれそうだ、と期待されて初めてご来店のお客様であったなら、入店時に気づいてくれない店舗なんて、そのあと食事をしたって、どれほどつまらないものになってしまうことか。むろん気づくのに5秒も過ぎてしまったら、二度と来たいとは思わないだろう」


 だから、


「たとえ、ピークのど真ん中であっても、お客様が入店されたら、3秒以内にお客様の耳に、心に届く声で、『いらっしゃいませ』と安心していただくこと。ここから、お客様と私達のドラマは始まるのだ」と。


「サービスとは、その意味で”一発勝負”なのだ。お客様のお店に対する第一印象は3秒で決まる!」と結論づける。


 サービス業とは、毎日が精神修行のようなものでもあり、心が深くなければ、お客様をおもてなしすることなど、簡単にできることではないのだとG部長は店長の心を目がけて訴えています。


「経済が厳しいときだからこそ、なおのこと、とんでんを選んでよかったと思っていただける仕事ができているか!」と、G部長は毎日のように
個別にもメール送信をしています。


 心を眠らせないように、そして自分もまた生きてきて良かった! と言える瞬間を持ってもらうために…。

ウエルカムな心

 アメリカ発の世界不況はこの日本にも大きな影を落としています。


 多くの人々が生活防衛にまわり、スーパーに行っても買い過ぎない、必要なものだけを買う、同じ品質でも安く購入できるところを探したり(ガソリンスタンドなど)はしますが、品質の良くない安い物は買おうとしません。


 筆者は何十年振りかで、マイワイフの案内で暑い夏の真っ盛りに六本木を訪ねてみました。噂に聞いていた六本木ヒルズは人波がいっぱいでいまだ観光のメッカには違いないけれど、私にすればもう輝きを失っていると感じました。


 それよりも、東京駅の地下通路から続いている丸の内新ビル同様のカルチャーショックを受けたのは東京ミッドタウン。ここは日本ではない!という異空間に、たじろぐばかりでした。


 8月なかばの土曜日。マイワイフがマイワイフ自身のバースデーのために予約した東京ミッドタウンのレストランのランチは5千円。午前11時半の予約だったので入ったときはすいていて、眺めもよく、そうだよな、こんな高いランチを利用する人は少ないだろう、と思っていたら、12時には満席。それも三世代家族で、食事のあいだぢゅう赤ちゃんが大きな声で泣いていました。だれもとがめません。ベビーはみんなの宝物ですから。 そんなふうに高級レストランを私ら夫婦もふくめて、イッパンジンが普通に利用していました。ふだん、車で走りながら、目だけはガソリンの安いスタンドを探している私なのに。


 自宅や会社で電気やエアコンの使い方に神経質すぎる程神経を使っていても、だから、逆に、合理的に、精神のバランスをはかるように、行き届いたサービス、おいしいものを食べさせてくれるところに出掛けていくのでしょう。


「どんなに不況風が吹こうと、私には自信があるんです。お客様は必ず私ども和食レストランとんでんにご来店されます。この仕事は大変だからこそやり甲斐があり、辛いからこそおもしろいんです」


 勤務歴、10年以上の男性店長は笑みをたやさず言う。


 不況でありながらも採用難はつづいており、時間帯によっては従業員の少ないなかで店舗運営をおこなわざるをえないこともあります。


「人員が少なくても行き届いたサービスはできます。声かけ、アイコンタクトが深まっていけば、心の連携も強くなるからです。心でお客様を迎えるという軸がぶれないかぎり、この仕事はお客様の心に届きます」


 そして、彼は大事なのは"ウエルカムな心"だとも言う。


「お客様をいかにおもてなしするかを常に考え、可能なかぎりのことを実践するウエルカムな心が大事なのです。この仕事を10年以上やってみてたどりついた結論です。


 お子様には、お客様から要求されなくてもお子様用椅子、エプロン、取り皿、スプーン、フォーク、短いストローを。


 毛がにをお召し上がりのお客様にはタイミングの良いお絞りの交換を。


 突然の強い夕立用に、今年はゲリラ雷雨でしたが、そういう雨用にたとえ駐車場のお車まででも使える置き傘、もちろん、近所のお宅に帰宅いただくための置き傘の用意を。


 思いつくかぎりのお客様へのウエルカムな心を準備しつづけていけば、お客様は暑い日も寒い日も雨の日も風の日も雪の日だっていらっしゃっていただけるのです。私は自分でそのことを実践してきたから、本当にそう言えるんです。


 どんなに不況だってご夫婦、お子様連れのご家族、おじいちゃん、おばあちゃんがご一緒の三世代のお客様、もちろん、お一人様、ご友人同士のお客様、どのようなお客様もいつもウエルカムです」


 そのウエルカムな彼に聞いてみた。「失敗はなかったのか」と。


「失敗ですか。かぞえきれません。どうやったら、今日ご来店のお客様にリピーターになっていただけるかと、思いついたことはなんでもやってみます。やって失敗しても、意味がなくても、何かを変えるために、自分を変えるためにもトライしつづけています。


 トライしつづなければこの仕事のおもしろさなんてわからないですよ」


 彼は笑う。どこまでも明るく。笑っている。

「出前」開始秘話

 前話の「トナカイ戦法」でふれていた出前のことですが、和食レストランとんでんで、「出前」開始という社史に名を残すほどのことを始めたのは川口朝日町店のK店長と鳩ヶ谷店のS店長です。


 川口朝日町店のK店長が6月の関東地区店長会議で発表した「出前」開始秘話を再構成して紹介します。


 このK店長が常に呪文のように唱えている言葉があります。その言葉は部下にも夢を持って語っているのですが、むろん、自分にも何度も何度も言い聞かせるようにして唱える言葉で、それは「とんでんはお客様を満足させる世界一のレストランなんだ」という言葉です。仕事に誇りが持てるのは心的レベルでも高い仕事をしているんだと彼は言う。


 そのK店長が出前を始めようと思ったのは今年の4月初めのこと。地区を担当するT地区マネジャーから、T地区マネジャーが去年の2月まで光が丘店の店長だった頃、出前をやってみたかったという話を聞かされたことから始まる。出前はT地区マネジャーがやってみたかった夢の仕事の一つでもあったのだ。


 K店長は、実行するなら一緒にやろうと、2キロくらいしか離れていない近隣の鳩ヶ谷店のS店長と話し合っていくうちにどんどん現実味を帯びて、ひょっとしたらひょっとするのではないかと、夢をふくらませながら行動に移し始めたと言う。


 最初は宅配と言っていたのですが、宅配は物を運ぶということで、やはり我々はレストランなので、辞書で調べたら「出前」が適切な表現であると理解したとのこと。


 そして、とんでんの味をご家庭でも気軽に楽しんでいただける出前サービスをやっていこうというコンセプトでスタートさせることを決意したのです。「出前」は高齢化の進む現代において、このニーズは決して少ないものではないという判断もありました。


 出前開始を前にS店長と二人で、出前に関するいろいろなチラシを見たり、地域の人口を調べたり、いろいろと研究を重ねました。


 当初は自転車、まずは歩いて届けられる範囲からと考えましたが、安全性と経費面から三輪バイクでやってみたいということを社長に相談したところ、熱意が伝わって「やってみなさい」と決裁も得られ、三輪バイクの購入もできました。


 実際に開始するまでには、商品部の力を借りてのメニューづくり、鮨桶の購入、システムづくりに関しても営業部に協力をしてもらい、関係部署のさまざまな支援があって出前のスタートにこぎつけることができました。 実際に始まるんだな、とS店長と二人でバイクを買いに行った時は中古で21万円だったのですが、出前が失敗した時には二人で買い取ろうという気持ちで買いに行ったと言う。二人はそこまで腹をくくった。


 そうやって始まった出前ですが、まずは出前を始めることを地域のお客様に知ってもらわなければなりません。


 出来上がったリーフレットのローラー(ポスティング)を始めました。これがとても重くて200部も持てれば精一杯でした。住宅地図を買い、一軒一軒チェックしながら配りました。


 ローラーは社員と手分けして朝9時からおこなったり、アイドルタイムにおこなったり、正直、ローラーは大変でした。そのローラーで、お店を利用してくださっているお客様に会うこともありました。


 ある日、社員と一緒にローラーに行っている時のこと。社員が常連のお客様と出会って一生懸命「出前を始めます」と楽しそうに話をしていました。お客様からも、「あらそうなの。じゃあ今度頼むわね。期待しているわ」と言っていただけて社員も本当にうれしそうだった。


 社員に「こうやってローラーするのも、お客様のお名前が覚えられて、お客様のご自宅もわかって良いもんだろう」と言うと、「はい」とにこにこ顔になっている。このローラーでお客様とのつながりがさらに深いものになった、とK店長は言う。


 そうやって苦労してリーフレットを配って歩いて、出前注文の1件目が入った時の最初の喜びというのは、「今まで味わったことのない喜びでした。あの1件目は本当にうれしかった。次の日も次の日も自分で歩いて、ポストに入れて、その日に反響がある、その日に電話がかかってくるというのはなんとも言えない快感でした」とも言う。


 ある日のこと、午後8時までの受付なのだが、8時を過ぎて出前の電話が鳴った。おばあちゃんの声だったが、「2000円以上のご注文での配達でお受けしています」と何度言っても「うな重一つお願いします」と言われつづけた。しかし、ようやく理解していただいたようで、「では、かれいの唐揚げも一つ」と注文いただいて出前に行った。


 出前で訪ねたら、とても感じの良いお客様で、雨も降っていたので「雨の中、すみませんね」ととても恐縮されてしまい、2000円でなくても届けてあげれば良かったかな、とK店長は心が揺れたと言う。高齢者に、雨の中、お食事をお届けをする、出前という仕事の意味が深まっていくようだったとK店長。


 また、出前に行って、呼び鈴を押してもなかなか出てこないお客様がいらっしゃっいました。呼び鈴を3回くらい押してしまったことがあったのですが、玄関に出て来られる姿を見たら松葉杖をついておられて、申し訳ないことをしたと恐縮をしたこともありました。そのお客様からも「またお願いしますね」と言われ、深く感激したK店長。人様にお役に立つ仕事というのは本当に良いものだと心の底から思えるようになったとも言う。 出前が始まってみてわかったことですが、ご注文のお客様の中にはこのように足の不自由なお客様がいらっしゃいます。


 ご注文の電話の中で「そちらのお店、階段があるから行きたくても行けなくて」と話されることもあり、そうすると胸にじんとくるものがあって「申し訳ございません。すぐにお届け致します」と答えたこともあった。 まだまだ進む高齢社会と福祉社会…。この出前サービスという仕事の需要はまだまだあるのではないか、これほどヒューマンなビジネスもないな、と思うようになったK店長。


 今日も、出前専用の電話のベルが鳴るのを楽しみにしています。

トナカイ戦法

 北京オリンピックが始まっていますが、この時期に体調と心的レベルをベストに持ってこれた選手が良い結果を出しているように感じます。


 この北京オリンピックに合わせるように出前を始めた店舗(東川口店=川口市戸塚/日野店=日野市)があります。この出前は2店舗(川口朝日町店=川口市朝日/鳩ヶ谷店=鳩ヶ谷市)の店長が考えに考え、準備をし6月5日から先行しておりました。


 出前を最初に始めたこの二人の店長の行動力も並外れたものです。それにつづけとばかりに出前を始める店舗が、港を離れる漁船のように1隻、また1隻という感じで静かに増えようとしています。


 このうちの東川口店のM店長は、いろいろなことにチャレンジして結果を出す店長で、関東の店長からは一目置かれています。


 今から1カ月前の7月7日の七夕の日に向けて、お店に勤務するパートさんにお願いし、七夕お飾り用の笹竹を自宅から持ってきていただいて、店舗入口に飾り付けをおこないました。


 7月1日~7日までご来店いただいた小さなお子様連れのお客様に、お店で用意した短冊をお渡しし、願い事を書いていただきました。むろん、お子様には喜んでいただきましたが、お子様が喜ぶことにより親御さんにも喜んでいただけました。


 短冊の中には、おさない字で「おいしかった。またきます」というのもあり、うれしくて、ほろりとする短冊もあったようです。


 昨年のクリスマスイヴのことですが、このM店長の取った作戦は、大まじめなだけに絶対に笑ってはいけないのですが、思い浮かべるだけでも、とてもユーモラスなのです。


 昨年12月24日のクリスマスイヴの日は振り返り休日でした。クリスマスイヴというと、洋食系レストランが圧倒的に強く、そこでM店長は一計を案じました。


 東川口店は本屋さんとケンタッキーさんと合同の駐車場です。そこで、M店長が思いついたのが、2月3日に販売した恵方巻を応用した「クリスマスパーティー巻」の店外販売でした。開始を前に数名の先輩店長に相談したところ、「本当にやるの?」と驚かれたというのですから、なかなかのアイデアだったのでしょう。


 その日、社員にはサンタの帽子をかぶってもらい、M店長はトナカイの帽子をかぶり、午前11時から販売を開始しました。午後4時までで店内では10本以上の販売がありましたが、店の外ではまったく売れませんでした。 M店長は自分がサンタの格好をするべきだったのではないか、腰を引いた俺の弱気が失敗だったか、とあきらめかけた午後4時以降のことです。 ケンタッキーさんのフライドチキンの袋を持った方の列から少しずつ、とんでん側に流れ始め、店の外で22本の販売があり、6時までで結果、事前予約も含め「クリスマスパーティー巻」を計100本販売できました。


 M店長、今年のクリスマスイヴでは自信を持ってこの「クリスマスパーティー巻」を3倍は売ってみせると、今から新たな作戦を練っているようです。


 まさに、自分の望むことをすぐに実行してしまうM店長のトナカイ戦法、まだまだ何が出てくるかわかりません。


 今年のお盆の暑い週も終えた平日のランチタイム。出前専用電話が鳴りました。お名前とご住所をおうかがいしましたが、住宅地図に載っていなく、あせる気持ちもあって番地周辺を汗だくで探しました。


 目的のお客様宅を見つけて呼び鈴を押すと、出て来られたお客様が「やあ、よく来てくれた。足が悪いので助かるよ。出前、これからもお願いしたい。思ったより届くのが早かった」と喜んでくださった。


 M店長は恐縮した。とてもとても恐縮した。心が洗われる思いがした。お客様からの感謝の言葉に。M店長は心から「ありがとうございました」と頭を下げた。


 表に出ると、トナカイ戦法のM店長は何か頭上に光るものを感じ、見上げると天空から声が聞こえてくるようであった…。


 …トナカイはきっと気づくだろう。出前はきわめてヒューマンなビジネスであり、サンタを乗せて夢をお届けするトナカイの最高のミッションであることを…


 その「天の声」をM店長は少し震えて聞きながら正気に戻るように、店に戻らなければ、と思った。出前はすごい仕事なのだということも思いながら。


 北京オリンピックも終盤ですが、出前注文で暑い夏に汗だくになって熱い戦いをやって、曰く「狙うは金メダル」と笑いをたやしません。


 そして、ぴたっとほほ笑みが消えると、M店長はこう話すのでした。


「今は本当に経済の厳しい時ですが、あきらめることなく常に前を見て我々店長が店舗を引っ張っていかなければ、店舗も従業員も守ることはできません」

上水道のない町

 どうやら梅雨明け宣言も近いような暑い日差しの日もある関東ですが、7月16日から、関東のとんでんでは、北海道そばシリーズが「大雪山そば」に変わりました。なお北海道のとんでん、つきさむ温泉では7月1日から先行して「大雪山そば」を提供しております。


「大雪山そば」の産地は北海道のほぼ中央、旭川市の隣町、東川町です。東川町のホームページによると、東川町は大雪山国立公園のふもとにある人口約7,700人の町です。


 この町の何がすごいって、北海道で唯一「上水道のない町」とうたっているのです。
 どういうことなのか、役場に問い合わせてみたところ、
「上水道がないということは、地下水を汲み上げて各戸に給水しているのですか」と聞くと、
「いいえ、各戸で電動ポンプで地下水を汲み上げて使っているのです」という答えでした。水が自慢の町なのです。

 東川町の地下水や湧き水は大雪山の大自然がたくわえた雪解け水。大雪山の雪解け水が長い年月をかけて、地中というフィルターを通して深くしみていって、それがミネラル豊富な大雪旭岳源水としても湧出しています。その源水は今年6月に平成の名水百選にも選ばれています。


 天然の名水で育った東川町のそば粉を入手し、弊社恵庭工場でその名も「大雪山そば」と命名し、腰のあるおいしいそばを作り上げました。


 そして、この「大雪山そば」の麺の太さが3種類混じり合った”乱切りそば”ともなっていることもお伝えします。


 とんでんには店長とマネジャーで構成する幹部会という組織があって、その中で部会による提案活動をおこなっています。関東に24部会、北海道に5部会あり、”乱切りそば”はその北海道の部会からの提案です。


 ところで「大雪山」の読み方ですが、筆者が暮らしたことのある旭川では「たいせつざん」と呼ぶのが一般的でしたが、本当は「だいせつざん」と呼ぶのが正しいのだそうです。実際に広辞苑では「だいせつざん」でなければ出てきません。


 筆者の私は高校まで旭川にいまして、子供のころから夏休みや紅葉の時季にはよくこの隣町にある天人峡に連れていってもらいました。駐車場に車を置いて、羽衣の滝まで歩くのですが、今で言う森林浴でとても気持ちよく、滝を見ながら夏は裸足で流れの中に足を入れて「ひゃっこい」「ひゃっこい」とはしゃぎ回ったものです。そして冷えた足を天人峡温泉で温めて帰ってくるのでした。


 ちなみに、北海道そばメニューの「大雪山そばと特選鮨」のそばは、3種類のお召し上がり方を提案しています。これもお楽しみください。


 そして夏、旬の味の真いかメニュー、浜茹で毛がにもおすすめの季節メニューですし、デザートの北海道メロン、ご贈答に最適なメロンゼリーも直球勝負のおいしさです。

機転

 飲食業はサービス業とも言われ、一人一人のお客様に合わせて対応できなければなりません。マニュアルどおりにいかない、と最初から思って、お客様に接しなければ二進も三進も(にっちもさっちも)いきません。


 その意味で経験とセンスが必要な職業でもあります。


 和食レストランとんでんでは創業40周年を記念して、感謝キャンペーンをおこなっています。


 メニューの対象商品にスピードくじが付いています。


 さらに応募券を5枚集めて専用応募ハガキに貼って、店頭の応募箱に投函するか郵送していただくと、抽選でダブルチャンスの特等が「関東圏にお住まいの方であれば北海道2泊3日の旅」「北海道にお住まいの方であれば東京か沖縄2泊3日の旅」がそれぞれ2組4名様に当たります。


1等はとんでんのお食事券1万円分が20本
2等はとんでんのお食事券5千円分が200本
3等はとんでんのお食事券3千円分が300本です。


 6月末で、第2回目のダブルチャンス応募が締め切られ、7月7日に抽選がおこなわれます。

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勤務歴3年の女性社員から聞いた話を紹介します。6月最終の日曜日のディナー。その日、彼女はフロアー担当でした。


小学校に上がる前のお子様3名をお連れになった、まだお若いご夫婦のお客様をお席にご案内しました。5歳、3歳、1歳くらいのお年のお子様でしょうか。


お子様ですから、スピードくじのことは気にすることなく、お好きなものを注文されました。上のお子様はメニューから「サッカーボール」、2番目のお子様はフライドポテトの単品でした。一番下のお子様はお母様のお食事の中から何かお与えになるような感じでした。


「サッカーボール」はスピードくじの対象商品ですから、当然のように
お子様スピードくじが入った箱を持って5歳の男のお子様に引いていただきました。ミニデザート券が当たり、彼女は「おめでとうございます」と
にっこり言って席を下がろうとした途端に下のお子様が泣き始めました。


 それもどんどん泣き声が大きくなっていくばかりでした。つられて1歳のお子様も泣き始め、合唱状態になってしまいました。


 5歳のお子様もまゆをしかめて困ったような顔をしていました。いったん、下がっていましたところ、チャイムが鳴り、お呼びでしたのでお席に伺いました。


 お母様が、泣いているお子様たちをなだめながら「あのう、うな重単品でもスピードくじはつきますか? パパ、ね」とご主人の顔も見ながらフロアー担当の彼女に聞きました。「はい。つきます」とお答えしましたところ、すぐに追加オーダーをしてくださいました。


 彼女は、お母様なりの機転なのでは、と察知して、少し急ぎ足でステーションに行って、店長に相談をして一般くじではなく、お子様くじを持ってお席に戻り、泣いているお子様に「くじをどうぞ」と差し出すと、泣き声がぴたりとやんでしまいました。


お母様も「よかったねえ」とお子様の顔を見ながら、本当にうれしそうにほほ笑んでおられました。


引いたくじをお母様に渡して開けてもらい、「当たったわよ。ソフトクリーム!」とお母様が声を上げてお子様に伝えます。お子様は目を大きく開けて喜んでおられます。


 そして「ありがとうございます」とお母様から言われて、彼女はとても不思議な気持ちになりました。「おめでとうございます。こちらこそ、ご注文いただきまして、本当にありがとうございます」と彼女は深いお辞儀をして下がりました。


お母様の機転に、自分はどれほど機転をきかすことができたろうか、サービスでこれが正解、というものはないんだな、と思いながら、この日も勉強になったと胸の中の日記にしるしたそうです。


 「それにしてもソフトクリームが当たるなんて、神様、できすぎです」ということも付け加えて。


※創業40周年感謝キャンペーンは8月27日(水)まで。ダブルチャンスの第3回締切は9月5日(金)到着分までです。

黒ビール

 関東は梅雨となっておりますが、昔(数十年前)ほど、毎日のように鬱陶(うっとう)しい雨という感じではなく、6月末になっても週に一度きりしか雨は降っていません。


 それどころか日中はカッとお日様が暑いくらいで、「夏はやっぱりビールでしょ」というビール好きには「ビールが飲みたいなあ」と思わせてしまうほど変な空梅雨(からつゆ)のような日がつづいています。


 そしてビール党は、やっぱりジョッキ生がたまらなく恋しくなるのも夏です。


 自宅では慣れれば発泡酒も第三のビールもいける、という世のお父様方が増える中、暑くなれば、外では「自分へのごほうび」とかなんとか理由を付けてやっぱり冷えたジョッキ生の誘惑には勝てそうにないものです。


 筆者は高校まで北海道の旭川にいましたが、四十年前、東京の大学に進学したので、初めての東京の梅雨、夏の暑さには本当に参ったものです。


「夏負け」「夏バテ」「夏やせ」なんて言葉が季語のようにありました。今のようにエアコンなんてない時代ですから。最高のぜいたくは扇風機で、濡れタオルを首に巻いて団扇(うちわ)であおぐ、今でいうエコスタイルがほとんど。関東の夏の水道水はぬるく、田舎のポンプで汲み上げた冷たい地下水が恋しかったものです。


 学生時代の夏バテ対策は、学生食堂の安いカレーライスに生卵をつけること、食欲とお金があれば大学前の安い中華屋でレバニラいためを一週間に一度か二週間に一度食べること、食欲がなくて流動食だけしか受け付けないのなら、究極の夏バテ対策として、黒ビールに生卵の黄身だけを入れて黄身を潰さずにゴクリと飲み込むこと。


 その黒ビールを入手するのが大変でした。そこらの近所の酒屋にはありませんでしたから。今のような栄養ドリンクのない時代で神話、伝説、おまじないがまだ幅をきかせていました。それでも今よりとても満足することがいっぱいあった時代でした。


 その黒ビールが今は簡単に手に入りますし、生だって飲める時代です。


 芳醇(ほうじゅん)な香ばしい黒ビールののどごしは、けっこうくせになる味です。2杯目は、普通の生と半々に合わせたハーフ&ハーフにするのも今風(いまふう)です。


 夏の夜は車を置いて、お仲間、奥様、ご家族とさまざまなお話をしながら、エコで歩きながらご来店されると、ビールもゆっくりお楽しみいただけます。


 7月1日からは、人気のサワー類も北海道メロンサワー、ブルーハワイという新サワーもふくめ10種類でご来店をお待ちしています。


 おつまみも定番の「枝豆」「ソーセージ盛合せ」「とんでん特製いか塩辛」はじめ、「鮭の切り込み」「まぐろ竜田揚げ」「とりのなんこつ揚げ」「鮭とば」「はたはたのから揚げ」「ジンギスカンのから揚げ」「わかさぎのマリネ」「かすべの煮付け」という珍しい一品料理もそろえています。


 どうぞ、とんでんにご来店いただきまして、しっかり冷やしたおいしい生ビールでこの鬱陶しい夏の暑さに涼を取り入れてはいかがでしょうか。

心ってすごい

 関東は梅雨入り。気象庁の発表によると、平年より6日、昨年より20日早いとのこと。


 雨の季節に似合うのは、小さな傘を広げたような花をたくさんつけている紫陽花(あじさい)。6月に入っても最低気温が摂氏10数度で、札幌とさほど変わらない。札幌が暖かいのか、地球温暖化か…と札幌出身の店長は雨の降る交差点で信号待ちをしていて、歩道に咲く紫陽花に目を向けたのだった。


 5年前、店長になるチャンスをつかみたいと、札幌からチーフで関東に異動してきて1年で店長になった。「自分の手で幸運をつかんだ」と思った。


 出席者が180名くらいの関東の店長会議で、社長から店長の辞令交付を受けた時、感動で膝が震えたし涙もこらえたほどだ。


 店長初任の店舗は土地勘もなく、内心、よそ者のような感じでおそるおそる勤務していたが、よくよく聞いたら、チーフと社員の一人ずつが札幌出身だったり、パートさん、学生アルバイトさんの中にも北海道出身者がいて、日を追って打ちとけていった。


 それでも初任店長だから、張り切り過ぎて空回りするところもあって、年配のパートさんから「店長、飛ばし過ぎよ。一度に何もかも変えようと思わないで、一つ一ついきましょうよ。そうしたら、私達もついていけるから。店長、一生懸命だから私は好きだよ。店長のそういうところって」とアドバイスされ、肩の力を抜くことを教えられた。


 常連のお客様の顔もおぼえられるようになって、親しくご挨拶ができるお客様も増えていった。


 毎週、土曜か日曜のピーク前に、60歳を過ぎたご夫婦のお客様がお二人仲良く自転車で来店されていた。このお客様は窓側の外の景色がよく見えるお気に入りのお席があって、そのお席が空いていれば、どのフロアー係も「どうぞいつものお席へ」と親しみをこめてご案内したものだった。


 従業員に教えられることのほうが多かった日々、お客様のほうから親しく接してくださった日々もあっという間に2年が経ち、次の店舗への異動が決まった。


 週に一度は通い続けてくださっている人柄の良いご夫婦のお客様に「お会いできるのも来週が最後となりました。いろいろとご厚情を賜り新米店長だった私もどうやら巣立ちの時が来たようです。本当にありがとうございました」とご挨拶した。


 ご夫婦は「えっ?!」と言葉をなくし、しばしうつむかれたがすぐに「そうなんだ。新しい店に行っても、がんばんなよ。こっちこそ良くしてくれてありがとうよ。店長」と励ましてくれた。


 次の店も、まったく土地勘のないところであった。従業員の中に北海道出身者を探すこともなかった。どこに行っても”とんでんの仲間”がいるという安心感をしっかり持てるようになっていた。


 関東は北海道から遠いけれど、どこの店舗に行っても、”とんでんの仲間”は仲間なんだ、と自信を持って言えるようになった。


 店長2店舗目の店はあせらず、まず、小さなミーティングをさざなみのように繰り返した。自分のこともわかってもらいたいし、従業員一人一人のことも知りたい。心が通じ合えば、お願いしたいことは必ず通じる、と店長は今の自分の考え方を信じている。


 そして2カ月が経った日曜日のことだった。


 いつものようにフロアーで仕事をしていると、背中越しに「よう、店長久し振り! 元気でやっているかい?」と聞こえた。


 振り向いて驚いた。前任の店舗のあの常連のお客様だった。ご夫婦で。本当に驚いた。なぜってそのお客様は電車を2回乗り換えて、駅からタクシーに乗ってご来店してくださったからです。2時間も掛けて。


 ご主人はいつものおたのしみ膳、奥様は香膳をゆっくりお召し上がりになった。


 帰り際にお客様がまた声を掛けてくださった。


「店長に会えてうれしかったよ。とんでんが好きでね。今も月に4回はとんでんさ。今日、思い切って来てみたら来れたから。4回のうち1回はかみさんと二人でこっちに来るからさ。店長には世話になったものな」


 ありがたかった。うれしかった。この商売、奥が深いなあ。まずいよ、涙があふれてきて。


「店長、じゃ、また来るから」


「ありがとうございます」深々と頭を下げた。


 クラクションが鳴った。信号が青に変わって、後ろの車から鳴らされたのだ。そんなことがあったっけ…と店長は3店舗目の店舗に向かった。

北海道で沖縄

 関東にいてもなかなか沖縄に行く機会はありません。まして、北海道からだと、沖縄はおとぎばなしになってしまうほど遠い。


 その沖縄を北海道の人にも味の面から知ってもらおうと、和食レストランとんでんの北海道の5名の店長たちが今年1月、現地沖縄の料理店や食材を探し歩いて、自分たちで沖縄メニューを作り上げ、4月22日から北海道の店舗だけですが、「沖縄フェア」として開催しています。


 インターネットのアンケート「好きな沖縄料理ベスト10」にも入っている沖縄そば、タコライス、ラフテー、島らっきょう、海ぶどう、ゴーヤ料理のメニューを北海道の店長たちが作り上げました。


 むろん、関東にいても沖縄料理は専門店に行かなければ食べられません。もう何年も前のことですが、JR埼京線武蔵浦和駅の飲食店街にあった無国籍料理店で何の知識もなく”沖縄名物・タコライス”を注文したことがありました。


 頭の中では、沖縄…海…蛸…タコだな…絶対タコを使ったタコライスだと思い込んで注文したら、まったく想像したものとは別で、最後まで蛸はどこに入っているの?と探しながら食べた記憶があります。


 沖縄のタコライスとは、メキシコ料理のタコスの具であるひき肉・チーズ・レタス・トマトを米飯に載せたもので、沖縄では1990年代から、学校給食にも採用されている非常に一般的な料理だそうです。


 今や全国的に有名なゴーヤはニガウリのことで、沖縄の方言でそう呼んでいるとのことです。とんでんでは「ゴーヤの天ぷら」「ゴーヤのおひたし」「うちなーサラダ」にゴーヤを入れた3品をメニューにしています。ラフテーは沖縄の豚角煮。沖縄のラフテーは皮付きでゆっくり時間を掛けて沖縄の蒸留酒泡盛で煮込みます。とんでんでは「ラフテー」の一品料理、「ラフテー丼(もずくスープ付き)」「沖縄そば」に入れています。


 島らっきょうは沖縄で栽培されているらっきょうです。シャキシャキ感があり、独特の辛みがあり、泡盛、オリオンビールのつまみに最適。


 とんでんでは、「島らっきょう」の一品料理、「島らっきょうのかき揚げ」「うちなーサラダ」に入れて用意致しました。


 海ぶどうは別名”グリーンキャビア”とも呼ばれ、プチプチした食感が特徴の海草。とんでんでは「海ぶどう」の一品料理、「うちなーサラダ」に入れています。


 そして、好きな沖縄料理アンケートのナンバーワンの「沖縄そば」。沖縄そばと言っても、そば粉は使用されていなく、小麦粉100%が特徴。


 とんでんでは、この沖縄そば、ミニラフテー丼、海ぶどうも入れたミニサラダ、お漬物をセットにした「沖縄そばセット」を用意致しました。


 そして、ラフテー、島らっきょうのかき揚げ、海ぶどうも使ったミニサラダ、もずくスープ、ご飯、お漬物のセットした「沖縄定食」もおすすめです。


 ドリンクは、沖縄のビールと言えば「オリオンビール」をはじめ、「泡盛・瑞泉青龍古酒」「シークワーサーサワー」「シークワーサーソーダ」もお楽しみいただけます。おみやげに「沖縄産黒砂糖」「乾燥もずく」「島唐辛子」もどうぞ。


「沖縄そばセット」「沖縄定食」は創業40周年感謝キャンペーン対象メニューです。 創業40周年感謝キャンペーン”ダブルチャンス”応募の第1弾は4月末で締め切られ、北海道で応募のお客様の中からは、特等ペア2組4名様「東京・沖縄どちらか選べる2泊3日の旅」の当選が5月2日に決定、このホームページにも公表されています。


 その他、ダブルチャンスの1等はとんでんのお食事券1万円が20本、2等はお食事券5千円が200本、3等3千円が300本当たり、この当選者の方々に賞品をお送り致します。


 ということで、北海道のお客様は只今開催中の「沖縄フェア」で沖縄料理を召し上がっていただいて、創業40周年感謝キャンペーン”ダブルチャンス”に応募していただき当選すると、沖縄旅行に行くことも可能です。


 また、関東のお客様で、ダブルチャンス特等の「北海道2泊3日の旅」に当選された方も、北海道へ行かれましたら、北海道のとんでんのお店に立ち寄っていただければ、北海道で沖縄料理を召し上がることができます。

新得そば

 高校まで北海道旭川に住んでいました。母方の祖父が帯広で電力会社の寮の賄いを含めた管理人をやっていて、小学生くらいまで2、3度、母に連れられて遊びに行った記憶があります。


 寮と言っても旅館のような形で、電力会社の管理職が出張で泊まる宿のようでした。地元の電力会社が宴会で使うこともあり、なかなかの繁盛でした。祖父は調理人で、母は祖父の一人娘でした。私の知っている祖母は祖父の後ぞいで、旅館の女将のように切り盛りし、ぼくらを歓待してくれましたし、ぼくらは旅館に遊びに行ったような感じがしたものです。


 もう50年くらいも前のことですけれど、旭川から帯広には各駅の蒸気機関車に乗って行きました。富良野で根室本線に乗り換えて、落合駅から新得駅までの狩勝峠を越えて行くのですが、その時に機関車がバックをするようにして峠を昇っていったような感覚をおぼえています。


 また、蒸気機関車に乗ってトンネルに入ると、窓を閉めておかなければ車内に煙りが入ってきますし、せっかくお洒落してきた服の襟も、顔もすすけてしまいます。夏は暑ければ、列車の窓を開けて風を入れることができて、窓から入ってくる風がとても気持ちの良いものでした。


 帯広の祖父が亡くなってからは帯広に行くことはなくなりましたが、母の年の離れた一番下の弟、私にとって叔父に当たりますが、叔父が跡を継ぎました。叔父はとても愉快な人で「百も承知、二百も勝手」とか、恐ろしくマイナーな名言(迷言?)を吐いてはよく笑わせてくれました。


 叔父には、とてもきれいで若くて働き者のお嫁さんが来て、子供もできましたけれど、私は東京の大学に進学しましたから、従兄弟と会うことはありませんでした。


 叔父は60代で癌で亡くなり、それ以後、寮管理を続けられなくなって、叔父のお嫁さんは帯広を離れ、根室本線で八つ目の駅新得に住んでいます。昨年、叔父のお嫁さんが元気で暮らしているか、気になって電話をしてみたら「新得はきれいなところよ。若いころやっていた油絵を思い出して時々、新得の風景を描いているわ」と話してくれました。若いときのままの声で、どきっとしました。


 彼女とは小さいときにしか会っていないので、お互いに60歳を過ぎた今も、私に、ちゃん付けで話しかけてきます。懐かしく、今は一人暮らしをしているようで、ちょっぴりもの悲しくもありました。


 義理の叔母が住む新得町のホームページを見たところ、新得町は東京都の約2分の1の面積で、その中に人口が7350人ですから、人口密度が1平方キロメートルあたり7.2人という広さです。


 年間平均気温が6.6℃という涼しさ、というか寒さでしょうか、昼間の暑い夏でも夜は涼しく、こういう気候がそば栽培に適していると言われています。7月中旬から8月まで新得町を訪ねると、国道38号線を包むようにそば畑一面の白、赤、ピンクの花に目を奪われるとのこと。


 ソバロードとも呼ばれ、花の香りも漂い、さながらおとぎの国に迷い込んだような、とてもきれいな景色の中、約1.3㎞を車で走れるそうです。年間700トン、作付面積160ヘクタールを誇る新得町のそば。平成元年第1回全国そば生産優良経営表彰式において、最高の農林水産大臣賞を受賞し、名実共に日本一のそばとして有名な新得そばです。


 亡くなった、そば好きの父は私が小さな子供のころ、新得の干しそばを大鍋にお湯を沸かし自分でゆでて、4人前くらい、ぺろりと食べていたのを思い出します。私にとっても、とても懐かしい新得そばです。

新入社員導入研修③

 前回につづいて、新入社員導入研修における、G営業部長の熱いメッセージの部分その③をお贈りします。

 〇…店舗には店長をはじめ40名~50名、多い店舗では60名以上の従業員がおり、年齢層の幅の広い従業員さんで、若い人で言えば高校生のアルバイトさんからおります。


 幅広い年齢層の中に新入社員として配属されますので、やはりしっかりとした挨拶、返事、そういったものが大事になっていきます。第一印象というのは非常に大事です。


 サービス業としても第一印象は大事です。とんでんを利用されていないお客様が初めてとんでんを利用されたとき、いらっしゃいませの笑顔、発声の第一印象で、イコールとんでんを評価してくれますから、このことは本当に大切なことなのです。


 新入社員の皆さんも、店舗に配属されましたら明るく、はきはきした声でしっかり挨拶をして、しっかり明瞭な声で返事をしていただきたい。


 皆さんが店の中で誰にも負けないことというのは一つだけあります。


 導入研修を終えて、初出勤お店に入っていく時、40~60名いる従業員の中へ、誰にも負けない一番の元気で店に入っていけるからです。


 店舗にはそのことが新鮮なことで、良い意味でも刺激をあたえ、店舗を活性化してもらえるきっかけにもなる、と感じています。挨拶は仕事をする者が身につけなければならない「最低の礼儀」です。返事は「やる気」です。


 店舗に配属されてからもいろいろなことで壁にぶつかることがあると考えます。けれども、仕事は、うまくいかないからおもしろいんだ、と思ってほしいのです。簡単に自分の目標が達成してしまえば、何もおもしろみがないんだ、と思ってほしいのです。


 自分の目標をどこに置くか、その目標に対してうまくいったか、いかなかったかという時もあるでしょうが、やはり志(こころざし)を高く、目標を高く持って、だからこそ壁にぶつかって目標が達成できなかった、仕事がうまくいかなかった、でもだからこそ仕事というのはおもしろいということがあとあとわかっていきます。


 例え話になりますが、ゲームでも攻略本を見ながらゲームをすると、こんなおもしろくないものはありません。いろいろなことを考えながら、いろいろなことを模索しながらゲームクリアに向かっていくからこそやり遂げた達成感があるのです。「やってやった!」というやりがいがあるからこそ、おもしろいのです。仕事もうまくいかないからおもしろいのです。 特に一番、心に置いて行動してほしいということでお願いしたいことなのですが、人生成功の最大公約数は積極性にあり、と言われています。


 先ほど社長から1年目でできない失敗をたくさんしなさいと、それだけ積極的に進んで失敗をするぐらいの気持ちで、いろいろなことに挑戦していってもらいたい。


 仕事は教えられるものではない、与えられるものでもない、自分で吸収していくものだ、自分で盗んでいくものだ。


 私が入社した当時は、仕事は見て覚えろ、見習えということを何度も先輩社員に言われたものです。


 一つのことをやるにしても、与えられたことをやるにしても自分自身で積極的に仕事の幅を広げていく、視野を広げていく、知識を深めていく、なおかつ自分自身の積極的な行動が自分のためになっていく、自分の成長の養分になっていくことなんだということも認識していただきたい。


 ここにいる50名の研修生は同期の仲間でもあります。仲間ですが、同じスタートラインについた競争相手です。


 仲間でもライバルなんだということをしっかり認識してもらいたいのです。でも『されど仲間』なんだ、ということもしっかり心にとめておいていただきたい。


 同じ日に入社した仲間ですから、いろいろな意味での競争もしてもらいながら、いろいろな意味で横のつながりを持っていただきながら、決して傷のなめ合いではなく、良い意味での激励をする、相談をしたり、相談に乗ったりする大切な仲間になっていただきたい。


 これからそれぞれの店舗に配属され、仲間でもある他の方々の仕事ぶりや成長ぶりは目に見えませんが、互いに仲間の活躍を信じて、自分はどうなりたいのか、自分はどこに目標を置くのか、そのことをただ一点、ぶれさせないことです。


 これから先、店舗に配属されていろいろな壁にぶちあたるでしょう。


 仕事に対しての壁、人間関係に対する思い、悩みというものもあるでしょう。しかし、自分一人で悩み苦しまないで先輩社員、店長、あるいは同期の仲間にも相談しながら、一人も欠けることなく、皆さんに、チーフ、店長、マネジャー、次長、部長という幹部職になっていただきたい。


 ただし、自分に甘えて、自分に負けて怠けたい、休みたい、楽をしたいと思ったら、この競争社会の中では通用していかない、厳しくも、おそらく生きてもいけなくなるだろうということも合わせて皆さんにお伝えしておきます…〇

 窓の外の満開の桜が、そよ、と揺らいだ。

新入社員導入研修②

 前回につづく、新入社員導入研修における、G営業部長の熱いメッセージの部分その②をお贈りします。


 〇…新入社員の皆さんは、入社式を終えて店舗に配属されますが、その前にこの導入研修での鮨手握り研修の競争があります。


 誰が一番を取れるか、全員に期待をしながら楽しみにしておりますが、勝ち負けの話をさせていただくと、勝つのはたった一人です。


 2番もビリも同じです、という言い方はこの研修の場では厳しすぎるかもしれませんが、勝つのはたった一人なのです。


 つい、昨日まで学生だった皆さんは、50人いれば25位以内に入れば及第点、合格であろう、と自分を慰める人がほとんどだと考えます。しかし、社会人として、仕事人として、プロとして、勝ち負けの話をするのであれば、二番も負けです。そういった競争意識というものをしっかり持ってほしい。


 そして必ず一番を取るんだ! という高い志(こころざし)を持っていただきたい。


 店舗に配属されても、身近な目標を一つ一つ自分におきながら、その目標を一つ一つクリアすることによって、皆さん方は成長していき、店舗にとっては本当に大切な人財になっていただけると考えます。


 その中で、自分はどうなりたいのか、ということも大事なことだと考えます。


 競争をして一番を取るんだ、ということももちろん大事です。そして将来どうなりたいのか、ということも本当に大事なことなのです。


 自分の目標というものを身近な目標、半年後の目標、一年後の目標、三年後の目標、もっと先の目標というものを自分自身で決めた目標であるならば、必ずやり遂げるんだ! という鋼(はがね)の意志を持っていただきたい。


 何をやっても簡単にあきらめないで、目標を掲げたからにはどこまでもその目標に向かって、執念を持って自分に負けないで取り組んでほしい。そのことが自分自身を強くします。たとえ負けても強くなれます。勝ってもっと強くなれます。


 その目標の置き方、そして自分自身はその目標に対して本当に誠実に向き合ってチャレンジするための行動をしていったか、いなかったか、ということを振り返り、反省することも自分自身を大きく成長させるんだ、と思ってください。


「目標は高く!」ということを皆さんにお願いします。


 私が店長だった時の話ですが、3年半いた店舗の2年くらいたった頃、本当に仕事が少しずつうまくいくようになっていきました。


 そのきっかけは、初めの2年間は「仕事のさせ方」を考えてきました。しかしながら、自分の考えを強要する考え方では決してうまくいかないなと思い直し、「仕事のしてもらい方」ということを考えるようになりました。


 そしてパートさん一人一人に、本当にやりがいを持って仕事をしてくださるようになったな、と感じ始めた時、本気でこの店を『世界一のレストラン』にしてやろう、と思いました。


 そのことをミーティングで、パートさんに伝え始めたのですが、その当時はおそらく大半の従業員がピンときていなかったのではないかと思います。


 しかし、従業員であり仲間でもある一人一人と個別に理解を深め合い、自分の弱さをさらけ出しながらも、一人一人の心をつかみ取ることで、どんどん私の考え方をわかっていただけるようになって、その2カ月後、3カ月後くらいに、ミーティングでまた同じ話をしました。


 この店を『世界一のレストラン』にしてやるんだと!


 その時、パートさんたちは私の考えに共鳴して、本気になって世界一を目指してやろうという気持ちになってくれたように感じました。なぜなら結果としていろいろな数字に表れてきたからです。


 人に動いてもらおうと思えば、その人の心をつかまなければ駄目だということを心底感じました。


 新入社員の皆さんにはサービス業としてのとんでんを選んでいただきまして、縁あってこういった導入研修にも参加していたただいていると思いますが、やはり、お客様に喜んでいただける職業を選んだということです。 お客様の喜びを本当に自分自身で感じ取って、そのことがやりがいに結び付くような仕事を選択してくれた、ということでは、お客様だけではなく、仲間の従業員に対しても、人と人との温かみのあるコミュニケーションを大切にしていただきたい…〇


つづく

新入社員導入研修①

 今年のとんでんの入社式は桜の花咲く4月1日におこなわれました。20数年前から、入社式の前に6日間の新入社員導入研修が泊まり込みでおこなわれています。


 学生から社会人になるための、たとえて言うと、サナギから蝶になるための羽化の期間をもうけています。


研修を担当するのは現在、とんでんビジネススクールのスタッフ。社会人として必要なマナー、食堂業に身を置く者の必要な知識、鮨手握り実習もあります。


今年のタイムスケジュールには、社長講話はじめ、営業部、商品部、事業開発部、人事部の時間も組み込まれていました。


 これから紹介するのは、営業部の時間で新入社員に熱く語った、今年3月1日付で営業部長に昇進したG部長の話の要約です。


 このG部長の逸話(いつわ)については、この"ちょっといい話"で、昨年1月の「風の音が聞こえるか」、5月の「伝説のジャンケン王」、7月の「怒涛の最終回」で登場しています。


それではこれから3回の連載で、G部長の熱いメッセージの部分だけを要約してお贈りします。


 きっと、年齢、職業を問わず、胸をゆさぶるものがあると思います。

 〇…私は昭和34年に生まれまして、今年49歳を迎えました。営業部長とは言え、皆さんと同じ部長の1年生です。49歳になり、24歳の息子と22歳の娘がいます。だいたい皆さんと同じような年代の息子と娘を持っています。


 私が入社したのは昭和57年、札幌のとんでんです。北海道の店舗を2店舗経験し、昭和61年に関東のとんでんに来ました。当時、関東の出店をしていこうということで出店ラッシュがかなりの勢いで続きました。


 出店ラッシュを通して、店長、地区マネジャー、次長、そして今年の3月1日付で営業部長として仕事をすることになりました。


 自分の入社した頃のことを思い返しますと、もともとの入社動機というのは、大学生の時に一人暮らしをしていたのですが、今の時代とは違い、食べること自体に不自由をしていたというと、両親に失礼かもしれませんが、とんでんという会社に面接に行き、当時ランチで580円のすし定食というメニューを食べた時に、ものすごく感動しました。


 お昼の時間とは言え、580円で鮨を食べられるという会社にものすごく魅力を感じ、それで入社しました。


 食べることに苦労はしないだろう、食に携わっている仕事であればそういった苦労はないだろうということで、不純な動機であったのかもしれませんが、縁があってとんでんに入社し、正直、入社できなかった大手企業に絶対に負けない気概を持って、一流、超一流のことをやってやろうじゃないか! という気持ちが自分にありました。そこから北海道の店舗を経験し、関東に来て、はや49歳を迎えます。


 これから鮨の手握りの実習に入っていくと思いますが、アルバイト経験のある方がいると聞いております。


 アルバイト経験がある中で、実際にお鮨を握っている方も中にはおられると考えますが、今日が初めて手握り実習であっても、アルバイト経験のある方に少し遅れをとっているかもしれませんが、大事なことは「負けたくない!」という気持ちです。


 結果としてアルバイト経験のある方に、遅れを取るかもしれませんが、大事なことはそのハンディを背負ってでも「絶対に一番になってやるんだ!」という気持ちが大事なのです。


 たとえ一番になれなかったとしても、その悔しさがあれば、また次の目標に向かってスタートしていけば良いのです。悔しいという思いが必ず次の目標に向かっていく力になります。


 負けたことをしっかり自分の心に受け止めて、次は絶対に勝つんだ! という気持ちを持つことが大事なのです。


 私は2年前まで店長でした。一昨年の春に次長職の辞令をいただき、この春、部長職の辞令をいただきました。


 店長だった時の話ですが、毎日が戦争のような日々で土曜日、日曜日はさらに忙しく、特に私共で言う繁忙期とはゴールデンウィーク、お盆、年末年始で、年に3回は勝負の時期です。


 その繁忙期を万全に迎えるために何をしようか、お客様により多く来店していただけるために「今、何をやらなければいけないか?」ということを常に考えました。仕事というのは競争です。繁忙期に向かって自分の心の中では、気持ちの中では、ケンカの準備でいました。


 競争はケンカです。ケンカに負けるか、勝つかなのです。競争相手と決めた相手に負けるケンカもあれば、自分が決めた目標に負けるケンカもあるのです。負けるだけではなく勝つケンカも、もちろんあります。


 ケンカの準備をして繁忙期を迎えるのですが、このことにどれだけ自分が頑張れるか、頑張ったか。絶対に負けない! という気持ちがあれば頑張れるのです。


 頑張れば頑張るほど「誰にも負けるはずがない!」と自分自身に言い聞かせるのです。こういう気持ちが本当に大事だと考えます…〇

つづく

五つ星

 世界的な健康ブームの中でアメリカ、ヨーロッパ、ロシアの和食店が繁盛しているようで、ごく最近、フランス国内の和食店が一つ星を獲得したとセンセーショナルに新聞、テレビで報道されています。


 厚生労働省の発表によると、海外の日本料理店で年間6億食の料理が提供されているとのことですから、海外で延べにして6億人、和食を味わったということになります。


 6億人と言うと、世界のインターネット利用人口が6億を突破しているとのこと。利用人口トップは欧州、次がアジア太平洋、3位が数年前まで利用人口の中心的な存在であった北米(アメリカ・カナダ)だという。世界の人口が64億人ですから、地球上で10人に1人はインターネットを利用していることになります。


 このとんでんの"ちょっといい話"をご覧になっていらっしゃる方は当然この6億人の中に含まれます。


 このホームページのとんでんのメニューでもご覧いただけますし、すでに召し上がったお客様もいらっしゃると思いますが、"美味しさそのまま低カロリー御膳"というヘルシー志向のメニューがあります。


「恵膳」「香膳」の2品ですが、昨年12月からデビューした「香膳」は、実はとんでんの若き女性社員5名でつくったものです。


 彼女たちはふだん別々の店で仕事をしており、みずから手を挙げ「低カロリーメニュー検討委員会」を昨年7月に立ち上げ活動しています。


 彼女たちが狙うのは「低塩・低カロリーながらも心から満足していただける体にやさしいメニュー」、その上「女性ならではの感性を武器」にして、まるでチャーリーズエンジェルのように、しなやかに立ち向かっていこうと励まし合ってメニュー開発に取り組んでいます。


 その彼女たちの目標どおり、昨年12月のグランドメニュー入りを果たした「香膳」。


 その内容は、帆立と海老の「刺身」、オニオンスライス・大葉・レッドピーマン・花かつおを野菜シートで巻いた「野菜の包み巻」、サーモン・いか・生むき海老・椎茸・舞茸・本しめじ・エノキ茸・玉ねぎ・人参・かいわれ大根の10種類も入ったバター醤油風味の「海鮮ときのこのホイル蒸し」、「季節の小鉢」、「漬物」、「150gの少量ご飯」、「お吸い物」、「季節のデザート/梅ゼリー」以上8品で、何と566kcalという低カロリーなメニューです。


 目で楽しみ、さまざまな食材を舌で味わい、栄養バランスの良さ、満腹感もあります。まさに狙いを外さなかった彼女達。


 3月14日の関東地区店長会議で、彼女達は優秀提案賞として表彰されます。


 やりました! でも、彼女達の挑戦はつづきます。


 次なる狙いは、「低カロリーメニューだけでなく、疲労回復・肌荒れ予防・メタボ対策のメニュー、また不足しがちな鉄分・カルシウム・食物繊維・ビタミンなどをおいしく摂取できるメニュー、食品の持つ体に良い機能を引き出すためのメニューの開発と提案です」と燃える彼女達。


 とんでんの五つ星の彼女達、ますます輝きを放って活躍してほしい。


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北の魚料理

 北海道では2月5日から11日まで第59回さっぽろ雪まつりが開催されていますけれど、関東で勤務するとんでんの社員は北海道出身者が多く寒い冬は特に北海道の魚料理が恋しくなるようです。


 まずはグロテスクな顔の大きな鰍(かじか/カサゴ目ケムシカジカ)。 冬の魚売場に30センチはある鰍が並べられます。今はぶつ切りされ、スーパーでパックになって売られています。身はぷりっとした歯ざわり、狙いはオレンジ色の肝。あん肝よりやわらかく甘い。量が少ないから取り合いになりました。味の素ならぬ子供のころのケンカの素でした。


 50年前、自宅近くの石狩川(旭川市)で川遊びをしながら、釣り糸のテグスに針を何本も付け、みみずをえさに川に沈めて置くと、10センチくらいの川の鰍がたくさん釣れました。水中メガネをつけ、三つまたのヤスで石に同化している鰍を突くのも楽しみでした。


 子供のころの夏の川原では、必ずと言っていいほどグループで焚き火をやっていて、釣った鰍や突いた鰍を柳の枝に刺して焼いて食べたものです。今の子供たちはきっとこんなことはしていないでしょうが…。


 次にカスベ(エイの仲間)。煮付けは翌朝がおいしい。盛られた皿の上でコラーゲンたっぷりの煮こごりがぷるぷる揺れる。煮こごりをあたたかいご飯の上にのせると、みるみる溶けていく。それを口にほおばり、はふはふ言いながら食べる。うまい。カスベは身もやわらかく骨ごと軟骨を口の中でこりこり言わせながら食べます。カスベは食感も楽しいのです。


 カスベ料理は昔からの北海道の家庭料理でもありましたが、1月29日から北海道地区のとんでんのお店では、煮付け、唐揚げ、それらをセットにしたお膳料理がメニューに入っています。


 魚の煮付けと言えば、キンキ、カレイが日替わりでお膳にのりました。キンキは今のように手の届かない値段ではありませんでしたから、冬の脂のあるキンキは煮汁にぎらぎら脂が浮いていました。きれいに身を食べ尽くしたら、目玉をくりっと抜いてほおばり、舌でころころころがして、甘いコラーゲンをすすり飲みます。そして最後に5ミリくらいの真っ白い目玉を皿にぷっと吐き出すのです。


 カレイもすべて身を食べたあとは残された骨にお湯をかけて、さらに身をこそげ取って食べ、最後にお湯割りの煮汁を飲んでおしまいにします。これもおいしかったなあ。


 焼いたホッケの脂のある骨も身からはがして、しゃぶって食べましたし骨も時にはよく噛んで飲み込みました。カルシウムは背が伸びるぞって。


 次に飯寿司(いずし)。昔は鰰(はたはた)だけでしたが、鮭、ホッケ、ニシンの飯寿司も今は普通に販売されています。子供のころは大しておいしいと思いませんでした。父親が酒の肴にして飲んでいましたが、自分が大人になって冬の酒の肴にした飯寿司のうまさに、うなったものです。


 冬の漬物と言えばニシン漬け。母親に言い付けられて外の物置から凍ったニシン漬けを素手でかき出して、どんぶり一杯に盛ってきてお膳(丸いちゃぶ台)に置きます。凍ったニシン漬けも、あたたかい飯にはこたえられません。われ先に手を伸ばすと、どの手も外遊びでつくったシモヤケ、アカギレの手で、朝ご飯はニシン漬けだけがおかずだったりしました。


 ニシン漬けのざっくり切られた大根、キャベツ、身欠きニシン、それに漬け汁の凍った固まりを好みのまま口の中に放り込み、熱い飯を一緒にして、しゃりしゃりと噛むのです。口の中がひゃっこくなりますけれど、その食卓の横では、石炭ストーブがぼんぼん音を立てるように燃えていましたから、かえって気持ちが良いのです。


 子供のころは外で遊んでいて、のどが渇けば屋根から下がっていた氷柱(つらら)だって、ほお張りました。もちろん、新雪も。


 最後の魚は真だら。身の淡泊さ、小骨を引っかける心配もなく、鱈ちり鍋は子供たちが安心して、それこそ、たら腹食べることができました。値段も一番安かったですから。
 真だらの子がおいしい。北海道では、オスの白子を”たち”と呼び、週に何度か味噌仕立ての汁、醤油仕立ての汁が朝夕、出ました。もちろん、お代わりのラッシュです。北海道の子供のころの汁物は小鍋でつくりません。最低でも1人2杯は用意します。豚汁なんて3杯は用意しないと、みんなから、今で言うブーブーコールです。


 子供のころの北海道のたち(白子)料理は、汁物だけでしたが、私どもとんでんでも今、「旬鮮市場」と銘打って、ポン酢、天ぷら、陶板焼きで白子(たち)料理のバリエーションを楽しめます。


 真だらのメスのたら子は大きく、表面は黒い皮をかぶっており、大きいものだとボクシングのグローブを思わせました。この料理でおいしいのは突いたこんにゃくと甘じょっぱく煮た物です。煮たら子のこんにゃく和えのようなものです。


 これも熱いご飯の上にのせて食べます。小さな粒子になってしまった鱈子を吸い込むようにして食べるものですから、時々、気管に入って咳き込んだりします。互いに顔を見合ってけらけら笑いながら食べるのです。


 つくづく、子供の頃の北海道の冬にはおいしい魚料理があったなあ、と郷愁を伴いながら、サメやアンコウと言った食文化の違う魚が並ぶ関東の魚売場を見ることがあります。


注:リンク先はとんでんとは関係ありません。

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雪のFC

 昨年6月に社内関東地区のサッカー好きを集め、とんでんFC(フットボールクラブ)を立ち上げています。


 関東の和食レストランとんでんは95店舗。店舗勤務者はふだん別のお店に勤める仲間と会う機会も少ないので、クラブ活動を通して親睦を深めようということはもちろんのことですが、運動不足の解消、足腰の鍛練、とっさの判断力養成、さまざまなストレス発散、さらには今はやりのメタボ対策まで、その”効能”はいくらでも出てくる、と事務局のNマネジャーは試合にのぞむプレーヤーのような不敵な笑みを浮かべつつ、自信を持って現在も部員拡大路線で進めています。


 真夏から秋にかけ、月1回の練習を重ね、社内対抗試合も何度か消化してきた「とんでんFC」が冬に入って初めてのフットサル対外試合のチャンスを得ました。


 競技場はいつもの埼京線・武蔵浦和に近いクーバーフットボールパーク武蔵浦和。このコート管理者の仲介で対外試合が実現しました。


 試合は1月23日のこと。今年の関東は寒く、雪も何度か降っておりますが、この日も朝から雪となりました。


 対戦相手は車のディーラー会社さんA・Bの2チーム、迎え撃つ我らがとんでんからは3チーム参戦。


 この日の競技チーム名は、①「ただーず」(7名)、②「みずのーず」(7名)、③「おくのーず」(11名)。


「 ただーず」、「みずのーず」はサッカー経験者中心で固め優勝を狙う。「おくのーず」は数名を除き、ほぼ未経験者チームで、ある意味、恐いもの知らず軍団。


 朝早くから降りしきる雪に、北海道、東北出身者が多い我らとんでん3チームは、これは有利かも?と勝手に決め込む。勝てる望みであれば、雪でも雨でもどんな悪コンデションでも味方になってくれれば、大歓迎のチームなのです。


 1%のチャンスでも、勝ってやろう!というのがとんでん魂なのです。


 試合は総当たりリーグ戦で、初戦は、「ただーず」対ディーラーさんA。ディーラーさんのA・Bチームともに攻め手が早く、タテにどんどん斬り込んでくるタイプで、スピード感あふれるサッカーでした。


 それに食らいついていった「ただーず」は初戦を2-1の接戦でものにしました。すごい! やったー、やったーの大喚声で盛り上がりました。幸先よいスタートでした。


 その後の試合は善戦につぐ善戦で、優勝は僅差でディーラーさんA。さすがに毎週活動している差(うまさ)を感じさせられました。


 2位に、我らが「みずのーず」。初戦を勝った「ただーず」は息切れしたか、4位。さすが、未経験者が多かった「おくのーず」は安全第一を貫き4戦全敗、無得点で最下位。そんなの関係ない~と言ったかどうかは別にして、フットボールの楽しさを”雪戦”の中、十分に堪能したことだけは確かなようです。


 この日、特に目立った選手は、初参加の30歳ルーキー、K店・W社員。名門・帝京高校サッカー部出身の経歴はだてではありませんでした。また、紅一点のM店・K社員は大学女子サッカー部ゴールキーパー経験者で好プレーを随所に披露、今大会MIPに選ばれました。拍手~!


 水たまりに降り積むひとひらの雪でさえ小さな波紋の輪をひろげるように、この日の参加者は対外試合という緊張感を味わいながらも、フットボールを媒介に社内外に広がっていく交流という波紋の輪の大きさに、きっと驚きをまじえた感動をおぼえたにちがいありません。

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南南東に

 江戸時代の庶民の初詣(はつもうで)は恵方詣(えほうもうで)とも言われ、自分の住まいから見て恵方にある寺社に詣でることでした。


 恵方というのは、吉神様(歳徳神様=としとくじんさま、とも言う)がいらっしゃるほうは神様の力によって悪い神様の影響を受けない方向とされ、明の方(あけのかた)とも呼ばれています。


 方向は、十干の申・己(きのえ・つちのと)年が東北東、乙・庚(きのと・かのえ)年が西南西、丙・辛(ひのえ・かのと)年が南南東、丁・壬(ひのと・みずのえ)年が北北西、戊・癸(つちのえ・みずのと)年が南南東と五通りありますが、南南東が重複しているので実際は四通りしかありません。


 今年は戊・子(つちのえ・ね)年で、やや東寄りの南、つまり南南東に向いて恵方巻をいただくと良いようです。


 このような習慣は関西から広まったようで、今では全国のスーパー、コンビニで販売されるようになって、黙って恵方を向いていただくかどうかは別にして、全国的に海苔巻を食べる日になってきているようです。


 今年の2月3日は日曜日。節分の日であり、子供のころは父親が仕事から帰ってきて鬼の面をかぶり、子供たちがその鬼に向かって「鬼は外、福は内」と豆をぶつけたりする姿がどこのうちの障子にも影絵のように映っていたものです。住宅事情が変わって、外から障子が見えるおうちというのは、なかなか目にすることはなくなりました。


 翌朝は、どこの玄関の前も豆がまかれた跡があって、ほほえましく思ったりもしたものです。


 午後10時を過ぎて、「お先に失礼致します」と若い男女が二人、近隣の店舗ではあったが、別々のお店をあとにした。


 二人はお店から恵方にあたる小さな祠(ほこら)の前で落ち合った。彼が自分のお店で買ってきた恵方巻を取り出し、そのうちの1本を彼女に渡す。この祠からの恵方は彼女の実家がある千葉の房総方面であった。黙ったまま、二人は恵方を向いて恵方巻をゆっくりいただいた。


 二人は4年前に同期入社で、彼は4年制の経済学部系の大学卒、彼女は食物学系の短大卒で、いくつかの紆余曲折(うよきょくせつ)があったものの「やっぱり、この人が好き」と結婚の意志を固めた彼であった。


 恵方巻を食べ終わって、彼は言った。


「来月3月3日、月曜日は君の誕生日。公休をもらって、君のご両親にご挨拶に行く」


「決めたの? ほんとう?」と目が輝く彼女。


「ほんとうさ。もちろん、君がよければ、だけれど」まだ、自信のない彼。


「そろそろかなと思ってたけど、今日なの?うれしい。ほんとうに?」


瞳が星ほどにきらめきはじめた彼女。


「そうか。オーケーなんだね」彼の目も輝きはじめた。


「そっちこそ、私でいいのね」彼女の両手の指は胸の前で組まれている。


「うん。よかった。女のひとに初めての告白で振られなくて」頭をかいている彼。


「初めて?」少しからかうように言う彼女。


「初めてさ。ものすっごく緊張した」と彼は初めて笑う。


 つられて彼女も笑った。


「お参りしよう」


「うん」


 梅の甘い香りがふたりの鼻孔をくすぐった。春は始まっている…。

お父さん

 今年の成人の日は1月14日の月曜日。成人の日の祝日は正月気分の延長のような、まだどこか浮き浮きした気分が残っていて、ぎすぎすした世情にあってそれはそれで平和で良いのかな、という気分にもなります。


 祝日ですから、和食レストランとんでんはどのお店もお昼前ころからご家族のお客様で混み始めます。もちろん、成人の女性、男性のお客様も和服の晴れ着を着てのご来店、あるいはいかにもおろし立てのスーツという感じのういういしい新成人のお客様もいらっしゃいます。


 三世代でご来店され、皆様笑顔でお祝いのお食事を楽しまれている10名近い団体のお客様もいらっしゃいます。伝統行事のお祝い事、記念のお食事はやはり和食が一番好まれるようです。


 席を別にしてご近所のお客様がお食事をされることもあって、お客様同士、気が付かれてお席に伺い「今年初めてなので、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します」というご挨拶の声も聞こえたりします。そういう意味で、お正月も成人の日までかな、と思わせられることもあります。お正月期間は”松の内”と呼ばれ、一般的には7日までですが、本来は小正月の15日まででした。


 クラス会のように集まった10名を超えるお客様もこの日は多く、お店はお客様によってにぎにぎしくなったり、若やいだりもします。他のお客様も〃若さっていいな。今日くらいは勘弁してやろう〃と大目に見ていただけるのもいくぶん正月気分が抜けないからでしょう。


 1年前の成人の日も月曜であったが、前日の日曜、潮が引くように、ディナーのお客様がそろそろ引き始める午後8時ころ一人の中年男性のお客様がお店の玄関に入ってきた。


 あわただしくテーブルを片付けていた高卒で入社2年目の女子社員が気づき「いらっしゃいませ」と声でお迎えして、見つめると彼女のお父さんだった。心の中で、あれーっ?と思って近づいていくと、緊張していたお父さんの顔がまるく歪んだ。


「元気だったか。正月、帰れないのはわかってたけど、明日、成人の日だからさ。どうしても顔、見たくて夕方の新幹線で来たんだ」


 彼女はうん、うんとうなずいて、急に何かがあふれそうなのをこらえた。


「元気そうで安心した。二十歳の成人のお前に何か記念の贈り物を、と考えたんだけど、父さん、若い女の子に何をやっていいかわかんなくて」


「うん。別にいいよ」と、半べその彼女はまた、うなずいている。


「会いに来てくれた。それでじゅうぶんよ、父さん。会いたかったよ。元気でいた? 血圧、大丈夫?」


 彼女の父親も首を横に振ったり、縦に振ったり、言葉にならない。


「あっ、店長」


「どうかしたか?」と小声でさぐるように近づいてきた店長。


「父です。父さん、店長さん」と彼女。


「どうも、娘がえらいお世話になっています。気がきかない娘で、よろしくお願い致します」お父さんは頭を下げた。


「いいえ。よく頑張ってくれています。お客様からの評判もよいですよ。どうぞ中へ入ってお座りください」


 と店長は招き入れようとするが、


「大宮から9時58分の最終やまびこに乗って帰るもんで」


「そうですか。でも、お茶を召し上がっていかれませんか。もう少し、お嬢さんが元気で働いている姿をごらんになっていかれては」店長はすすめた。


「父さん、ご飯、食べる時間ないのなら、”特急”でお持ち帰りのお鮨を握っていただくから、帰りの電車の中で食べて。席に座って。すぐにお茶を持ってくるし、好きなコーヒーも飲んでって」と彼女はお父さんに強くすすめた。


「じゃ、そう、させてもらうわ」とお父さんはおずおずと招かれるまま席に着いて彼女の姿を追った。


 お持ち帰りのお鮨ができて、彼女はそれに和菓子の「あんころ餅」「べこもち」「黒糖まんじゅう」も袋に入れて父親に「これも持っていって」と差し出した。お父さんはお金を払おうとした。


「父さん。いいよ。わたし、毎月、お給料、もらっているのよ。先月はボーナスもいただいたわ。父さんから言われたとおり、無駄づかいしないで貯金もしてるから」


「そうか。なんも心配しなくていいな。成人の日のお前に、なあんもやるものなくて、だけどおれの大事なものやる。母さんの形見の指輪だ。成人になったお前が持っててくれれば、母さんも喜ぶんでないかと思ってさ」


 彼女はまた、うん、うん、とうなずくばかりで、お父さんの後ろ姿を外に出て見送った。お父さんは見えなくなる前に振り返って「元気でな。頑張れよ」と大きな声で励ましてくれた。聞き慣れたなまりのあるお父さんの声がいつまでも彼女の胸の中でこだましていた。
その胸の中で「父さん、あったかいセーターも、あとで送るからね。父さんこそ元気でいてね」とつぶやいた。外はひんやり冷えていた。見上げた夜空にオリオン座がきらりと光っていた。彼女は涙をさっと拭いてお店に戻った。


 今年3年目の彼女は成人の日のフロアーの中心スタッフに育っている。

クリスマスプレゼント

 12月に入ると、街にはクリスマスソングがあふれ、サンタクロースの飾り物があちこちのショーウィンドーだけでなく、家々の窓にも飾られ、人々の心もうきうきしてくる季節。

 大学の福祉学科を目指す女子高3年の彼女が、夏休みから、とんでんでアルバイトを始めて5カ月になる。フロアーサービスの仕事が介護につながるように感じて、両親に相談したら、「受験勉強をしっかりおこなうこと」を約束させられ、それに「とんでんさんなら礼儀や挨拶の仕方も身につくわね」と承諾してくれた。


 土曜日は学校が休みで朝からも勤務できたので、オープンの10時から午後4時まで6時間のシフトが多かった。夏休みが終わり、秋の始まり頃から80歳くらいの男性のお客様が一人でご来店されるようになった。


 初めて彼女がお迎えしたのは、ランチピークを越えた午後2時過ぎの来店で足が不自由で杖(つえ)をついておられた。身体を左右に揺らせながら、お店の玄関にゆっくり歩いてくるお客様に気づいた彼女は、少しどきどきする気持ちで、心の中で一歩踏み出すように、玄関のドアを開けてお待ちした。


「いらっしゃいませ」と明るくお迎えして、お店の中に招き入れ、ゆっくりと歩き、玄関から一番近い、空いている窓側の席にご案内した。


 座る時、お客様はテーブルに手を添えて、崩れるように腰をおろした。


 その時に、はずみで杖が床に転がった。お客様はあわててそれを拾おうとしたが、「お客様、大丈夫です」と、素早く彼女は拾って差し上げ、お客様に渡した。


 お茶とおしぼりをお持ちして、「お茶は熱いので、お気を付けてお召し上がりください」と、そっとテーブルに置いた。


「大丈夫だよ」とお客様は言って、外の風で手が冷たくなっていたのか
手を温めるようにして両手を湯飲みに当てて、すぐに口に持っていった。 「うん。ちょうどいい」と、うれしそうに笑った。


 彼女は、心の中でよかった、と安堵(あんど)した。少し冷ますようにして、手のひらで温度を確かめてから持ってきたのであった。


 ご注文は、山菜そばと生ほっき貝のにぎり鮨であった。外を眺めながら、ゆっくりと午後の遅めの昼食を取られ、湯飲みの傾け方が高くなってきたので、お茶のお代わりをお持ちして、食事が済んだころ、またお茶をもう一度持っていって、テーブルに行く度に「何かご用があったら、いつでもお呼びください」と笑顔でお話しした。


 ゆっくりと外を眺めたり、テーブルの上に立ててあるデザートメニューなどを見ながら時間を過ごされていたが、お帰りになるようで、立ち上がろうとして、手をテーブルに置いて身体を支えていた。座席に立て掛けてある杖に手が届かない。彼女は杖を取って差し上げて、「よろしければ、おつかまりください」と腕を差し出した。


 お客様は一瞬、顔をけわしくされ、「気持ちはありがたいが、まだ一人で歩ける」と自分にいい聞かせるように言った。彼女は、はっとした。


親切であれば、すべて良いということではない、ということを教わったような気がして「申し訳ございません」と、きちんと頭を下げた。


 それから毎週のように、このお年を召したお客様は来店され、決まって山菜そばと生ほっき貝のにぎり鮨をご注文された。彼女がたまたま用事でお店を休んた時は、必ず「何かあったのか」と聞かれた、と他のパートさんから彼女の耳に伝えられた。


 そして12月の第1週目の土曜日、彼女は風邪で熱を出して休んでしまった。夕方5時ころ、店長がお店から車で10分くらいの彼女の自宅を訪ねた。 彼女は朝、病院が開くのを待って診察してもらい、薬をもらって飲み、日中ぐっすり眠ったので、熱は引いていた。自宅の玄関に出て店長に会い、急に休んでしまったことの謝罪をした。


「インフルエンザだろう。しょうがないよ。お見舞いもあったけど、いつも土曜の午後にいらっしゃるお客様が今日もお見えになって、君に渡してほしい、と手紙を置いていったから」と、預かった手紙を持ってきたのだった。


「じゃ、体調が良くなったら、ディナー帯もこれたら出勤たのむね。おせち料理販売もあって忙しいので。お店の目標販売個数まであともう少しなんだ」と言って帰っていった。

 店長からいただいたのだろう、とんでんの名前が入った封筒をどきどきしながら、開けてみると、お店の紙ナプキンに走り書きがしてあった。


<風邪だそうだが、しっかりからだを休めなさい。おせち料理1個、お願い致します>

 そして、おせち料理のチラシから切り離した申込用紙が入っていた。


 電話番号が書いてあったので、思い切ってお礼の電話を掛けてみた。


 呼び出し音が鳴っている間、胸がどきどきし始めているのがわかった。なかなか出ない。一瞬、留守かと思ったが、そうだ、足がご不自由なのだ、と思って辛抱強く待ってみた。

「はい」しわがれた声がした。


「お客様、ありがとうございます。今日もいらしてくださったのですね。おせち料理、お申し込みいただきましてありがとうございます」


「おう、元気になったか」


「はい。熱も下がりました。ご心配、ありがとうございます。でも、お客様はいつもお一人でご来店されていて、お一人住まいなのではありませんか」


「そうだよ。でも、今年の正月は息子夫婦が5年振りに孫の顔を見せに来るって電話があったんだよ。ばあさんがいなくても、何かごちそうしなくちゃ、と思ったのさ。とんでんにはおせち料理がある。そうだ、これだと思ったのさ。そしてね、どうせ、注文するなら、いつも良くしてくれるあんたにと思って、今日、予約票を持っていったのさ」


「そうでしたか。お孫さんとも会えるのですか。よかったですね。ありがとうございます」


「うん。ありがとう。あんたに何かクリスマスプレゼントと思ったが、目立ってもいけないと思って、おせち料理の注文だけにしたよ」


「ありがとうございます」


 彼女はなぜかしら、こみあげてくる涙にむせんだ。

北海道レディース会

 何度か札幌周辺に雪は降りましたが、積雪はほとんどありません。


 札幌の初冬の風物詩、大通公園のホワイトイルミネーションが11月22日から始まりました。1千個の電球が、今年一年のさまざまな夢の光となって見る人の心に明かりを灯します。今年から南一条通りにも、この光の芸術を楽しめることになって、買い物をする札幌市民や観光客に、より身近なものとなっています。


 北海道のとんでんにはゴルフを愛好する人が結構いまして、女性だけで組織する「北海道レディース会」という”きら星”の会があり、現在13名が会員となっています。


 この中には売上、おせち料理販売数ともに一番の関東店舗から異動した女性チーフもおり、北海道ですっかりゴルフの魅力にはまって、「北海道レディース会」の副会長を務める会員もおります。


 彼女、会員に公休が合う日を聞いては、「ねえ、やろうよ」という感じで、プレーできる会員に呼び掛けては気軽に行ける近くのゴルフ場に出掛けているようです。


 この副会長、11月に入って、気温も下がってきて、まさに冬モード、降雪情報も聞くようになっている中、どうしても、今年最後のプレーをしたいということで、月もなかばの11月の13日に参加を募ったそうです。


 天候はあやぶまれていましたが、なんとその日は奇跡というほかない快晴だったそうで、寒さも感じさせない、気持ちの良いプレーの一日だったそうです。会員中2組で北海道の初冬のゴルフを楽しんだわけです。


 この日は紅一点ではなく、黒一点のゲストが参加。自動車の運転ができないこの会の会長、宮の森店チーフのご主人が会長の送迎かたがた参加できたという、男性陣にはうらやましい〃奇跡〃もあったようです。


 9月のコンペ以来の再開で、ゴルフプレーもさることながら、お互いの近況報告で終始盛り上がり、呼びかけただけある副会長の上達振りに拍手喝采の場面がしばしばだったとか。


「おせち料理を一日も早く完売して、年が明けたら、つきさむ温泉で新年会をやりましょう!」と誓い合い、互いの健闘にエールを送って散会したそうであります。


 ちなみに会員の所属部署を紹介しますと、和食レストランとんでんの店舗では、「北海道レディース会」の会長が勤務する宮の森店はじめ、副会長勤務の恵庭店、南16条店、店舗以外の部署では、事務局勤務の北海道財務経理部、北海道営業部、つきさむ温泉、恵庭工場。


 パートさん、社員、チーフ、マネジャー、もちろん年齢も関係なく縦横(じゅうおう)な会員構成で参加しやすい女性だけの親睦ゴルフ愛好会です。


 ただし、女性だと思ってあなどってはいけません。ドライバーの飛距離では男子も真っ青になる、もちろん、スコアもすごい!会員がいます。


 パワフル・レディースでもありますのでゆめゆめご油断なさらぬように。

七五三

 11月に入ると、千歳飴を持ったお子さんを連れたご家族連れのご来店が目立つようになった。


 七五三は、女の子7歳、男の子5歳、女の子3歳のお祝いで、女の子は2回、祝っていただける。


 七五三のいわれを調べてみると、昔は3歳頃まで頭髪を刈るのが一般的で、3歳になって初めて髪を伸ばして結いととのえる儀式「髪置(かみおき)」をおこなったのが始まり。


 男児の5歳は初めて袴(はかま)を着用し、幼児から少年の仲間入りとなる「袴儀(はかまぎ)」をおこなう。


 女児7歳はそれまでの紐付き(ひもつき)の着物に代わって大人のよそおいをする「帯解(おびとき)・紐落(ひもおとし)」の儀をおこなう。


 少女はこの時、初めてお化粧をしてもらう習わしもある。


 千歳飴は縁起が良いとされる紅白の色をもちい、長寿の願いを込めて細く長くなっており、浅草の飴売り、七兵衛さんが売り出したのが始まりという説もある。


 とにもかくにも、大切な子供の無事な成長を願っての区切りの儀式が七五三という伝統行事の中に流れている。


 それでも、年々、都市部では七五三の着物を着て歩く姿は神社付近以外で見かけることはだんだん少なくなってきた。


 理由は記念撮影の写真屋さんの衣装レンタル、美容込みというものを利用するのが主流になりつつあり、着物はレンタルだから撮影したらカジュアル服に戻って、神社にお参りし、思い思いのレストランで記念の食事をされるようです。


「以前はね、七五三と言えば、晴れ着を着たお子さんを連れて来られるお客様が結構いらっしゃって、晴れ着を汚さないように、お客様が用意されてくることもありましたが、私達フロアーはお食事中に汚さないようにと、エプロン代わりに白い大きめのタオルとか、まっさらな白の不織布をお持ちしてお子さんの襟にはさんで差し上げたものです」とフロアーベテランのパートさんが話してくれた。


「この間なんかも、着飾った7歳の女の子、5歳の男の子、3歳の女の子という文字どおり、七五三のご家族がおじいちゃん、おばあちゃんと一緒にいらっしゃって楽しくお食事されていたわ。今年の七五三は、おこさま祝膳というのがメニューに入ったので、ドリンクも付いてこれはお得ね、と喜ばれていますし、このご注文をいただくと七五三のお子さんがいらっしゃるんだなと、こちらもうれしくなってしまいます」


 パートさんからそんな話を聞いているうちに、着物を着た男のお子様と小さな女のお子様を連れた、二家族のお客様がご来店された。


「あら、忙しくなりそうだわ。いらっしゃいませ」とパートさんが笑顔でお客様をお出迎えに向かう。その背中を見ているだけでうれしそうにしているパートさんの顔が浮かぶ。

せっかくだから

 社内で人気の第3回ソフトボール大会が11月6日に予定され、参加チームそれぞれに気合が高まっていたが、当日は霧雨程度だったものの、前夜からの雨でグラウンドが使用できず、中止となってしまった。


 大会運営は営業部が主体だったので、早朝から営業部の次長、地区マネジャーほか本部マネジャーが関東本部に集結。参加者に配るペットボトルのお茶、家族のお子様のお菓子詰め合わせセット、試合後の懇親焼肉パーティーの材料、今回は気温も下がってきていることから豚汁なども用意され、役割分担で配送体制が組まれていたが、すべて本部で足止めとなった。


 雨であれば、大会は順延の日程取りが難しく、中止と決まっていたので本部に集結した面々は無念やるかたない表情で、黙々と喜んでもらおうと準備していた品々の後片付けに徹し、午前9時過ぎには若づくりのトレーニング姿の面々は解散となった。


 ところが、ひとり、本部に残っていた地区マネジャーがいた。あちこちに電話を掛けている。相手はどうやら、地区内の今日のソフトボール大会出場予定メンバーである。


「せっかく、公休を取って、ソフトボールをやろうと思っていたんだから、室内でやれるボウリングをやらないか」と誘っているのである。


 この地区マネジャー、実は10月2日から開始の北海道フェアメニューの影の提案者。本部で社長の顔を見ると「北海道の新鮮な牛乳を売りたいなあ」「北海道フェアやったら当たると思うんだけどなあ」と聞こえよがしに2カ月くらいぼやいていた。


 それが実現して、関東で大好評となった。ご来店のお客様は、11月15日(木)開始の北海道フェアの第2弾、毛蟹がどんと大きく載った予告ポスターもご覧になったと思います。


 なんでも諦めずに言い続けてみるもんだという実例をつくった地区マネジャーである。


 その地区マネジャーが、せっかく野外でのソフトボールをやる気になっていたのだから、それが室内のボウリングに代わってもいいじゃないか、と呼びかけるところがまたいい。


 この呼び掛けに応じたのは、彼の担当地区内5店舗の12名。内訳は、ようこそ参加のパートさん3名はじめ、社員4名、チーフ3名、店長1名、そして呼びかけ人の地区マネジャー1名であった。


 チーフ3名の中にはサウスポーの女性チーフがいた。彼女はテレビ東京で毎週火曜日午後7時から放映されている「ミリオン家族」のスポンサーとして和食レストランとんでんのCMに出演した。素人さんの彼女が役者さんと堂々と渡り合っての演技に、プロのCM製作スタッフもうなったとか。


 このCMは当社ホームページでも視聴できるので、見ていただけばわかるが、このCM主役の美山加恋も同じサウスポー。CM製作中は美山加恋から彼女はすっかり慕われ、仲良しになったと言う。


 また、参加1名の店長は、今年の春の定期異動で店長に昇進したフレッシュ店長。夏のビール販売コンペで5位(7月)、企画アイデア賞も受賞、おせち料理販売でも店長会議の店長発表で「店長は店の鮮度」という名言で会場を唸(うな)らせた。


 ソフトボール大会変じて地区内ボウリング大会となったが、前回のソフトボール大会の副賞のお食事券の残りがあり、それを賞品にしたとのこと。 1位3千円、2位1千円、3位500円、最多ストライク賞500円というささやかな賞であったが、時に大いに笑い、時に大声で盛り上がり、ストレス解消になってスカッとしたとのこと。


 地区内ボウリング大会後の表彰式、懇親会はボウリング場近くの地区外の店舗で2時間。敵に塩(売上)を送ることも忘れない。というか、余裕のあるところを敵に見せているのか。どうだ、こっちのみ~ずはあ~まいぞなのか。


 翌日、本部にきた地区マネジャー。「いやあ、体中が痛くて」と腰をさすっている。「ところで成績は?」と聞くと、「私がうまいと、しらけるでしょう」と少し笑って「正直、若い社員にはかなわないですよ。私は70~80点でしたけれど、最高得点の社員は3倍の240点ですから」と、今度は高笑いして涙さえ浮かべているのは、本当に体中が痛いらしい…。

柳葉魚

 関東のとんでんに勤務する社歴の長い社員には北海道出身者が多い。その多くが北海道に戻らず、新天地の関東に定住する。


 なぜなら、彼らの子供たちは関東で生まれ、関東で育ち、関東の大学に通っている者もいるし当然、関東の会社に就職をし生活をしており、子供たちにとって北海道はおじいちゃん、おばあちゃんが住む土地となってしまっているからである。


 北海道出身者は北海道の食べ物をなつかしがる。干物のほっけにしたって、関東のスーパーでも売ってはいるが、あぶらがなく、うま味がないと嘆く。最近は北海道のほっけが売られるようになって、買ってきて食べてみるものの何か味が違うと思ってしまう。


 北海道に帰ると食べたいのは、ほっけの焼き物、まがれい、くろがれい、すながれい、やなぎのまい、あぶらこは煮魚として、冬のかじか、たち(たらの白子)は味噌汁、この頃はニシンも揚がるようになったと聞く。鮭の子のスジコは、スズコとも呼ばれ、今でも年中、食卓にのぼる。白いご飯に塩辛くて甘みのあるスズコは食が進むからである。


 子供のころ、と言っても50年近くも前のことであるが、毛蟹は安くて一人2ハイずつ、新聞紙の上で大きな裁ちバサミを使って食べたものだがだんだん値段がバカ高くなっていって口にすることはなくなり、庶民の口から遠去かってしまった。きんきの煮魚も子供のころは普通に夕食のおかずに出てきたが、今は北海道でも関東でも高級魚である。


 じゃがいもや堅いマサカリかぼちゃ、とうきびは、昼食がわりだった時もある。北海道人は、とうもろこし、と呼ばず、とうきびと呼ぶ。じゃがいもは馬鈴薯、ごしょいもとも呼んでいた。


 でも、魚も代用食のいもやかぼちゃも子供の頃の方がずっとおいしかった。甘みがあった。北海道の海や地は、今とはミネラルの多さが違ったのかな、と思う。


 柳葉魚(ししゃも)だって、晩秋になると、串刺しで安く売られ、夕食のおかずというより、前菜といった感じで軽く焼かれた柳葉魚が皿盛りで出た。柳葉魚が魚屋に並ぶ頃は北海道は朝夕、冷え込むようになり、家の中では、薪ストーブがたかれていたものだ。


 柳と言えば、北海道の川原には柳の木が自生し、七夕のお飾りの木は柳の木であった。七夕が近づくと鉈(なた)を片手に近くの川原に自転車で行き、形の良い柳の木を切って自転車の後ろにくくり付け、ずるずると引きずるように家まで運び、埋め込んだ添え木に縄で縛り付けて立てた。   北海道の秋の味覚、ししゃもという魚はその柳の細長い葉に似ているから柳葉魚という字が当てられたようだ。


 その柳葉魚が、10月2日から始まるとんでんの「北海道フェア」のメニューの中に登場する。それも知る人ぞ知る、日高の鵡川産で、垂涎の的(すいぜんのまと)である。関東で手に入れることはなかなか難しい一品。 「北海道フェア」の開始を待っているのは、意外にもとんでんの北海道出身者であったりするかもしれない。スイーツメニューの「まりもようかん」もなつかしくて、なつかしくて…めんこいようかんだよ。

東北の先生

 今は実年齢より5歳を引くと、その人の顔だと言われている。


 入社して11年目の採用担当の彼は2店舗の店長経験もある。大卒入社で11年在籍だから当然30歳は過ぎているけれど、マイナス5歳と言わないまでも20代にしか見えない。明るい笑顔がなお若く見せている。


 そんなことで、来春新卒予定の高校、専門学校、短大、4大の採用面接で就職志望者には会うなり、近しく思っていただけるようだ。


 その彼が、この間、ちょっとうれしい話があったんですよ、と話しかけてきた。


 東北の高校の就職担当の先生からの電話なのですが、先生のお子さんが大学生で、埼玉に住んでいるのだそうです。そのお子さんを訪ねて、一緒にとんでんで食事をしたところが、「とても感じが良かった。料理もおいしいし、接客サービスが実に行き届いている。こんなに感じの良い店で食事をしたことは今までなかった」と先生が話してくれたそうです。


 そこまで聞いているだけで、彼はうれしくて、東北の先生に「ありがとうございます」と受話器を持ちながら頭を下げたとのこと。


 ところが話はそれで終わらず、その先生はこう話をつづけたそうです。
「こういう会社なら、うちの来春、卒業する生徒をあずけられる。特に礼儀正しいのが良いですね」と言われて、この言葉に彼はもっとうれしくなったそうです。


「当校には就職を希望している素直な良い生徒がいましてね。その子に、関東に和食レストランチェーンのとんでんという会社がある。ぜひ推薦するから受けてみないかとすすめたんですよ」と言ってくださったとのこと。


 これにはもう、胸の底から、ふつふつと感動が沸き上がり、声も震えるほどで「先生、本当にありがとうございます」と答えながら、何度も頭を下げました、ということでした。


 今年は9月16日から高校生の就職活動が解禁となり、緊張しながら当社を訪れる若い高校生を、彼の”20代の笑顔”が安心させ、リラックスさせています。


「面接者のどの子も私の弟や妹のようで」と彼は快活に笑う。

愛とさんまはプライスレス

 旬のさんま(秋刀魚)メニューが売れています。


 入社して4年目になる彼女。最近はフロアーにも出るようになったが、キッチンで調理する時間の方が長い。


 人気のさんまをおいしく提供しようと、この日は20尾のさんまの仕込みをおこなった。


 家では包丁を握ったことのない彼女であったが、とんでんに入社して今は見事に、さんまを大名おろし(3枚おろし)にできる。


 とんでんに入社しなければ身につかなかった調理技術、”わざ”である。さんまだけでなく、いわし(鰯)にしても原魚からさばくので、たいていの新人さんは、これをやるのですか、と一瞬身を引く。しかし、やって見せ、やらせていくうちに、顔色がどんどん明るく変わっていく。


 教えることができた彼女もうれしいが、新人さんの技術を習得した時の喜びの顔を見るのが彼女にはたまらなくうれしいのである。


 それは新人さんだけでなく、彼女の仕事に対しても無限のやる気を引き出してくれる。相手が持っていないものを教えることで共有できる喜びは仲間意識を強くしていく。


 いつまでも乙女チックな彼女にはまだ理想の王子様はあらわれないが、車社会の時代であっても、白いスポーツカーではなく、きっと白い馬に乗って迎えにきてくれる、という小さいころからの夢はまだ醒めない。


 近ごろ、フロアーに出るようになって、男性のお客様を見るたびに私を迎えにきてくれたのかしら、と思ってしまう。そして今なら王子様にもおいしいさんまをごちそうして上げられるのになあと思ってしまう。


 彼女には後輩の女子社員がいる。この若い彼女にも当然、さんまの調理方法を教えた。後輩の彼女は、ビールのおつまみメニューの中に「さんまの塩焼き」が入っていて、香ばしく、あぶらをじゅーじゅー言わせながら焼き上がるさんまもまた提供しがいのある価値あるものだと思っている。


 若い彼女はスーパーでは特売になったさんまを見ながら、とんでんのさんまはスーパーの特売価格の何倍もするお値段だが、形も良く、あぶらもあって、そして私達とんでんのお客様への愛と心がいっぱい詰まっているからずっとずっとおいしいのだ、それはもうプライスレス!で、胸をキュンとさせることがあるんです、と先輩の”師匠”に話すことがある。


 二人ともさんまに負けず、「今が旬の私達で~す」とも言いたそうにして、お客様を毎日お待ちしています。

敬老の日

 9月半ばになっても、関東は蒸し暑さがつづきます。敬老の日は3世代のお客様のご来店が多く、祝日ということもあって、小さなお子様や小学生のお子様を連れたお客様はランチ帯に多くいらっしゃいます。


 高校1年の冬休みからアルバイトを始め、およそ10カ月くらいになり下げ膳とお茶サービスにすっかり慣れた女子高校2年の彼女。


 17歳にして礼儀正しく、三世代のお客様ともきちんとお話ができるようになっていた。

 実際に彼女は何人もの小さなお客様から「おねえちゃん、こんにちわ」と、お店に入るなり声をかけられる。ある意味、人気者なのである。


 お茶サービスで回ると、小さなお子様たちには、お冷やサービスをしたり、食べ終わったお皿や小どんぶりを片付けてあげてテーブルを広くしてあげたり、逆にパンダ、サッカーボール、ミッフィーのうつわなどお気に入りのものは残しておいてあげたり、(それらを置いておくだけで、子供たちは千の物語を考え出すことができるからであったが…)お子様たちとは声に出さず、顔を右に左にかたむけながら目で言葉をかわす不思議な能力があった。


 笑顔の微妙な変化で伝え、お子様たちの返す表情を読み取り、それに合わせて行動し、フィニッシュはきわめつけの天使の笑顔。笑顔は天使の最大の愛情表現であることをお互いに知っているのである。


 その彼女に午後3時、お客様が来た。


「おじいちゃん、おばあちゃん、いらっしゃいませ」ときれいにお辞儀をして彼女は迎えた。彼女の目がきらきらしている。


 彼女にとって、中学3年の春に癌で亡くなった父方の祖父母であった。


 彼女は学校の成績が良く高校進学の時、父方の祖父母が学費の面倒は見るから、ぜひ有名私立校に行くように、とすすめてくれた。


 だが、彼女自身も母親も納得づくで、学費の少ない県立高校を受験、進学した。なおかつ彼女は高校1年の冬休みからアルバイトを始めた。父方の祖父母はそのことでもう我慢できなくなったように彼女の母を責めた。 母親は「特別変なことをしないかぎり彼女の思うように行動させたい」と母親にとっては義理の両親に静かに語った。16歳だった彼女は黙ってみていた。


 人は激しく反論されるほど、それに合わせて力あるものはそれを行使しようと思うものだが、冷静に語られてはそれもできない。そんなことがあって以来、両家は行き来しなくなっていた。


「どうぞ、ご案内致します」


 久しぶりに会った孫に案内されて、おじいちゃんとおばあちゃんは、にこにこと従った。


 席に着いて、メニューを見せながら彼女は「当店のメニューはどれもおいしいものばかりですが、おじいちゃん、おばあちゃんにはこちらの低カロリーメニュー、遊膳、楽膳をおすすめ致します」とにっこり微笑んで紹介する。


 その案内に彼女の祖父母は最初ぽかーんとして見ている。しかし、そのうちおばあちゃんの目から涙がほほをつたい、おじいちゃんはうつむいて肩を小さくふるわせた。むろん、悲しいのではない。とてもうれしかったのである。


「おとなになったね」とおばあちゃん。おじいちゃんは、何度もうなずいている。


 すると、もう一人、席に近づいてきた。


「あら、波子さん」とおばあちゃんが少し驚いたように言う。


「お母さんも、いらっしゃいませ。どうぞ、こちらの席へ」と高2の彼女。


「マコに仕組まれたようですね。おかあさん」と彼女の母親が、おばあちゃんに言う。


「そのようですね。波子さん。気持ち良く、だまされましょうよ」とおばあちゃんは笑う。


「よかった」と17歳の彼女。


「今日は敬老の日。私がごちそうさせていただきます」と、満面の笑みで、胸を張るようにして彼女は言った。


 うしろから「おねえちゃん、こんにちわ」と彼女に声をかけてくる。新しい小さなお
客様の来店である。


「いらっしゃいませ」と彼女は小さなお客様を明るい声でお迎えして、小さなお客様と笑顔と笑顔で交信してから、にっこり微笑みながら彼女は機敏に歩いて奥へと消えて行った。

おひとり様

 関東は暦が9月に変わった途端に、涼風が吹くようになりました。


 9月初めの金曜日の夜。午後8時を過ぎ、ディナーのピークタイムが落ち着き始めたころのことであった。「いらっしゃいませ」と40代なかばのパートさんがお迎えすると、花模様の、さらっとした生地のワンピースを着た若い女性が立っていた。


 口紅もおさえ目の色、清楚な感じで、ビジネスレディーという感じではなかった。社会に出た者は一瞬、目に鋭さが出てしまう。それは知らず知らずに身についてしまう危機意識でもある。そういうものをあまり感じさせない若い女性であった。


 人差し指を一本立てて、「ひとりなんですけれど、良いですか?」と言う。そのあとは、手をうしろにして、背伸びするようにしてフロアー全体を見渡し、いいのかな、という顔をしている。


「もちろん、よろしいですよ。どうぞこちらへ」と、奥の静かな席にご案内した。


 お席で「ただ今、旬の生さんまメニューがおすすめとなっております」とメニューをお渡しする。


「メニュー、ゆっくり見させていただいていいですか」とお客様。


「どうぞ。お決まりになりましたらお知らせください。ただ今、お茶とおしぼりをお持ちします」と言って、やわらかな笑顔で下がる。


 途中で、お茶とおしぼりをお持ちする別のパートさんとすれちがう。パートさんは「お願い致します」と声には出さず目で言う。同じく目で「承知しました」と目で答える。


 お席に案内したパートさんが若い女性のお客様の動きにも目配りをしていると、どうやらご注文の品が決まったらしく顔を上げたので、すっとお席に近寄っていき、「お決まりですか」とお伺いすると「よかったです。ボタンを押すのどうしようかなと思っていたところでした」と少しまゆを寄せてほほ笑む。


 「どうぞ、何でもおっしゃってください」と安心させるように、やさしい声でご注文をお伺いする。


「どれもおいしそうで迷ったのですが、恵膳をお願い致します」とお客様。「それと……一番小さなボトルの日本酒をください。おつまみにピリ辛春巻きを」


「はい。承知致しました」と、パートさんはご注文の品を復唱する。お酒の名前を言ったところで、お客様が少し微笑んで「今日、私、二十歳の誕生日なんです」と照れたように言う。


「それはおめでとうございます」


「福井から出てきて大学に行っています。マンションに一人住まいで今日、付き合ってくれるボーイフレンドもいなくて」と、しょうがないですねという顔で笑う。


「ご実家ではその方が安心していらっしゃるのではないでしょうか」とパートさんが言うと、首を縦に振りながら口を押さえておかしそうに笑った。「そうかもしれませんね」と、こくりとうなずく。


「ごゆっくりしていってください」と、パートさんはにこりと微笑んで下がった。
 お酒とおつまみを運んだのは、立ち姿の美しい若い女性店長でした。


「いらっしゃいませ。お待たせ致しました」とやわらかく言い、ピリ辛春巻きと日本酒の可愛いボトルと、冷やしたグラスをテーブルに置いてから、「お酒、おつぎしましょうか」と冷酒のキャップを外した。


「ありがとうございます」とお客様がグラスを持つ。


「お誕生日、おめでとうございます」と女性店長は言ってグラスにお酒を注いだ。


「ありがとうございます」とお客様は言ってお酒をこわごわ、口に持っていく。「父がおいしそうに飲んでいるお酒って、こういう味なのね」と細い指を口に当てて小さく笑った。


「ごゆっくりどうぞ」と店長は微笑みながら席を離れた。


 そのあと、パートさんが恵膳をお持ちして、「二十歳のお祝いのお酒の味はいかがでしたか」と聞いてみた。


「想像していたより辛くて、でも、大人の味ってこういうものかと思いました」ほほがほんのりピンク色になっていた。


 ゆっくり恵膳を召し上がったあと、お茶を飲み、少し酔いを覚ましていたようだ。会計の時、店長がお相手をした。


「今日は楽しかったです。お店の皆さん、あたたかくて。ひとり客でしかも若い私に、とてもいいものをいただきました。今日の私の誕生日プレゼントはこのお店の皆さんのおもてなしです。ありがとうございました。また、来ます」と帰っていかれた。

33卓

 今年の夏の暑さは異常です。とにかく暑い。史上最高気温を塗り替えたところも多い。朝も日が昇り始めたら、ぐんぐん気温が上がっていきます。 8月のお盆を過ぎた日のこと、午前11時をちょっと過ぎたころに福島ナンバーの車がお店の駐車場に入ってきた。お店の玄関が開くと蝉の鳴き声の合奏も入ってくる。み~ん、み~ん、み~ん、みぃ~ん……。


 25歳前後の若いカップルのお客様であった。「いらっしゃいませ」とパートさんがお迎えすると、「あらっ」と女性のお客様が明るくほほ笑んだ。パートさんも声には出さなかったが、あらっという顔になった。「去年、いましたよね」とお客様が言う。


「はい。おりました。今日はお早いんですね」とお聞きすると、「お昼を過ぎると混むと思って、今朝6時半に出てきました。少しロングなドライブです」と笑う。


「それはお疲れでしょう。お席にご案内いたします」とパートさん。


「暑いのですが、エアコンが余り近くない席にしてください」とおなかをなでる。「7カ月なんです」と女性のお客様。うれしそうだ。


「ぼくたち、去年の暮れに結婚したんです」と男性のお客様。「そうだ。33卓あいていたらお願いします」と続ける。「去年と同じ席?」と若い奥様が若いご主人に言って、ご主人の腕に手をからめる。「うん。今年は3人だね」とご主人も奥様のおなかを見ておだやかに笑う。


 お席にご案内して、「本日のおすすめは生さんまでございます」とご紹介すると、奥様が「去年は生のいわしを食べたの。おいしかったわ。生さんまも楽しみね」とご主人の顔を見て言う。幸せそうだ。


 いったん下がって、おしぼりと、お茶だけでなくお冷やもお持ちしたパートさん。「うれしい。のどが乾いていたところなの」と奥様が言ってお二人で、お冷やグラスで乾杯をしている。


 ご主人がフロアーのパートさんに言う。


「去年、この席でプロポーズをしたんです。ここは一生、忘れられないお店、そして33卓です」

とろろ昆布

 8月11日の土曜日のことだった。札幌はお盆に入ると朝夕は気温が落ち始めるが、日中は関東と同じくらいの30度以上になる日もある。


 関東の店舗で勤務していたこともある30代なかばのパートさん。3年前にご主人が札幌に転勤になり、埼玉から引っ越して来て、札幌のお店に勤めることができて、彼女も転勤してきたかのような思いであった。


 お盆期間はお墓参りのご家族連れのお客様が午前11時を過ぎると、徐々に増えてきて、12時に満席になることが多い。


 お客様の入り具合を気にして駐車場を見ていたら、大宮ナンバーの車が入ってきた。「なつかしい」とパートさんは心の中でつぶやいた。


 小学校低学年の男の子と女の子が車から降りて、お店に走ってくる。お店に入るなり、「とんでんだ。札幌にもあるんだね」と姉弟のお二人は珍しそうに店内を眺め渡す。

「いらっしゃいませ」と笑顔でお子様たちを迎える。


 遅れてご夫婦でお店に入ってきて、「札幌なのに、ちっとも涼しくないのね。お店はエアコンが効いているから涼しいけどね」と奥様はご主人に言って、お子様たちを抱えるようにする。


「いらっしゃいませ」と改めてご一家をお迎えする。


「喫煙席と禁煙席がございますが、どちらになさいますか」とパートさん。


「禁煙、禁煙」と下の男のお子様。「おんなじだね」とお姉ちゃんに言うと、お姉ちゃんは、うん、うんと首をたてに振っている。


「畳席と椅子席のどちらになさいますか」とパートさん。


「いすせき、いすせき」と男のお子様。また、「おんなじだね」とお姉ちゃんに言うと、お姉ちゃんは同じく、うん、うんと首をたてに振ってにこにこしている。お父さんもお母さんも笑っている。「おんなじだね」とお母さん。ご一家で顔を見合わせて笑っている。


「ご案内致します。こちらへどうぞ」とパートさん。


 メニューをお渡しして、「本日のおすすめは、こちらのいろどりどんぶりとなっています」と申し上げると、ご主人が「今日は土曜だけどランチメニューやってます?」と聞く。


「ございます。こちらでございます」


「そう。ありがとう。関東にはない、北海道だけのメニューがあるんだよね」と聞く。


「あった。これこれ。いか刺身・天ぷら定食。お袋が好きだったんだ。2日前のフェリーに乗れて良かった」


「失礼ですが、埼玉からでいらっしゃいますか」とパートさん。


「そう。浦和。3年振りのお墓参り。子供たちは夏休みだしね。兄も東京だし、妹は名古屋に嫁いでいる。こっちにあるのは親父とお袋のお墓だけ」


「そうでいらっしゃいますか。私は大宮でしたが、主人の転勤で3年前に札幌にきました。どうぞ、ごゆっくりお過ごしくださいませ。ただ今、お茶とおしぼりを持って参ります」と言っているうちに、別のパートさんがお茶とおしぼりを持ってきた。


「皆様のご注文がお決まりになりましたら、またお伺い致します」と申し上げて下がった。


 ご一家のご注文内容はご主人はご希望どおり”いか刺身・天ぷら定食”「メロンがおいしそう」と奥様は”ひまわり”、「おしゃれ」とお姉ちゃんは”恵膳”、男のお子様は「やっぱ、サッカーでしょう」と”サッカーボール”でした。


 デザートの付いていないご主人と男のお子様お二人は、食後に北海道日高産の生乳を使った「ソフトクリーム!」とご注文された。


 お食事をお運びしたところ、すぐにご主人がお味噌汁のふたを開けて、「う~ん、これこれ。親父が好きだったんだ。とろろ昆布。今年の夏は北海道に来て良かった」と笑った。


「パパ、良かったね。ぼくはおじいちゃんとおばあちゃんに会えなかったのはさびしかったけど」と男のお子様。


 うん、うんとご主人。「さあ、食べよう。おじいちゃんもおばあちゃんも京香と友哉が来てくれて喜んでいると思うよ。さあ。午後からは函館へ向かっていくぞ」


 一瞬、我を忘れて立ちつくしていたパートさん。はっとわれに返り「ごゆっくりお食事をお楽しみください。何かございましたら、いつでもお呼びください」とお辞儀をしてお席を離れた。

ミルク

 今年の関東は、7月のカレンダーをめくってやっと梅雨明け宣言という何ともフラストレーションの溜まる夏の始まりでした。


 夏休みに入った子供たちにしたって、朝からかんかん照りのお日様に、にこにこ顔で肩に大きな浮輪をかけて、うしろから車にクラクションを鳴らされながらも友達とはしゃいでプールに向かうのが本来の夏なのだ。


 帰り道の夕立だって、シャワーでも浴びるかのようにきゃあきゃあ言い合いながら、さして急ぐでもなく、げらげら笑いながら雨の中を濡れて帰るのがたまらなく好きなのだ。それでお母さんに怒られたにしても。


 午後2時を過ぎて、突然の雷雨に見舞われた。1台の車が雨をついてお店に向かってくる。ワイパーが、まるでばしゃばしゃ音を立てて激しい雨をはじいているのが聞こえてくるようであった。玄関近くの駐車場に停め車のエンジンが切られた。


 雨脚(あまあし)がおとろえてくるのを待っているのか、降りる気配がない。車のナンバープレートは山梨ナンバーであった。いくぶん、雨の勢いが落ちてきたところで、昨年入社の男子社員が大きめの傘を差して出て行った。左手に別に傘を持って。


 運転席の窓ガラスをこつこつと叩いて、「お客様、どうぞ」と傘を指で示した。運転席側のパワーウインドーがしゅーっと下がって、若い男のお客様の顔があらわれ、どうも、と軽く頭を下げる。


 フロアー担当の彼は「よろしかったら、どうぞ傘をお使いください」と傘を持つ手を少し振る。後ろの席には、小さな赤ちゃんを抱いた若い奥様が見えた。


「すみません」と言ったのは奥様のほうだった。


「じゃ、お世話になろうか。降りるぞ」とご主人。まず、降りてきたご主人にフロアー担当の彼は「お客様、こちらの傘をどうぞ」と彼が差していた傘を渡す。


 そして「私は奥様とお子様に傘を差して、お店にご案内致します」と続け、もう1本の傘を開いた。その時、すでにフロアー担当の彼の顔には雨があたって、しずくが流れている。


 ご主人は彼から受け取った傘を片手に後部ドアを開ける。奥様がお子様をかかえて降りてくるのをすかさず、フロアー担当の彼が傘を差す。


「うわあ」と奥様は一瞬、声を上げる。


「お客様、お先にお店へどうぞ」とご主人に声を掛けると、ご主人は車の後部ドアを閉め、車のキーをロックして急ぎ足でお店に向かった。


 フロアー担当の彼は、自分が濡れるのもかまわず、親子に傘を差し、お店に入る。入ると、パートさんが乾いたタオルを持って「いらっしゃいませ。少し濡れてしまいましたね。お拭き致しましょう」と赤ちゃんの顔にほほえむようにしてから、赤ちゃんの服とお客様の肩などについた雨のしずくを拭いて差し上げた。


 奥様が傘を差してくれた彼に「大丈夫ですか。ありがとうございます」と頭を下げる。彼の頭は濡れて、まるでプレー中のサッカー選手の頭のようになっていたが、笑顔でご心配なくという顔でこたえる。


「和食レストランという看板を見て入りました。畳の席はありますか」と赤ちゃんをよしよしするようにして奥様は聞いた。


「はい。ございます。どうぞ。お席にご案内致します」と、乾いたタオルでお迎えしたパートさんがバトンタッチするようにお席にご案内した。


 メニューを差し出すと「おなかすいたな。お鮨があるぞ。何にする?」とご主人がうれしそうに奥様に声をかける。「私もお鮨」と奥様。


「それじゃあ、さざんかで決まりだ。天ぷらもそばも茶碗蒸しも付いている」とあごをなでながら、奥様の目を見る。「私も食べたい。おなか、ぺこぺこだもの。それにソフトクリーム」と奥様。二人は互いにおかしそうに笑う。


 お二人の会話をほほえましく聞きながらご注文を受けた。


 お食事が出そろう前に、奥様がお呼びになった。


 お席に行くと奥様から「すみません。これにここまでお湯を入れてください」と、粉ミルクの入った哺乳瓶を手にお願いされ、パートさんは笑顔で「かしこまりました」とお受けした。


そして数分して哺乳瓶をお持ちし、「ほどよい温度に冷ましてお持ちしました。私も2年前まで飲ませていましたので」とお伝えすると、「ありがとうございます」と奥様はえくぼをへこませた。


 そのあとすぐに、「お待たせ致しました」と料理を運んで来たのは、濡れた頭をととのえ、濡れたワイシャツを着替えたフロアー担当の男子社員だった。


 整髪仕立ての彼の顔を見て、お二人は少し驚いたような顔をして「先ほどはありがとう」と言ったのはご主人の方でした。

オンリーワン

 関東は久しぶりに晴れた。札幌の専門学校を出て埼玉の店舗に配属された彼女。この夏で21歳になる。関東の梅雨はじめじめしていやなものらしいよ~、とか、夏は暑いよ~とか、さんざん札幌の友達に言われてきたが、さほどでもない、と思った。寮には同期の男性社員もいたし、会えば励まし合うことができた。


「どこまで進んでる?」と彼女は同期の彼に聞く。


「いわし」


「えっ、いわし?」


「そう。いわしの仕込み。思ったより簡単だよ。でも、1ケースにまだ1時間もかかるんだ。うちのパートさんは45分だからね。本当に早いよ。それもきれいな仕事をするんだ」


「ふうん。そうなの。私も頑張るよう」と手を振る。


 同期の存在が気になるのは、どこまで技術レベルが進んでいるかということであった。


 キッチンの仕事をおぼえることから始まっても洗浄、ご飯炊き、茶碗蒸し、いわしや生ほっき貝の仕込み、鮨、鮨ネタの仕込み、巻物、ちらし、刺身、小料理、そして天ぷら、そばなど、何を教えてくれるかはお店の事情や本人の成長度によっても違ってくる。


 洗浄、ご飯炊き、茶碗蒸しがベースにあっても、それ以外の調理業務はどれであっても、言われたら、それに真っ直ぐ取り組むしかない。毎日、違うお客様がご来店され、いろいろなものをご注文されるので、キッチンにいても一日として同じ日はないのである。


 お店のみんなも声を掛けてくれるが、やっぱり、店長から声を掛けられるのが一番元気が出る。なぜって、頼れるお兄さんのようであったからだ。


 仕事をしていると誰かから見つめられているような気がして、目を上げると、店長が自分の手元を厳しい目で見ていることに気づくことがある。


 そういうのって緊張もするけれど、すごく安心できる、と彼女は思っていた。


 勤務時間が終わって、事務所で私服に着替え、たまたま店長が一人でいたので話しかけてみた。というより、やさしく見つめていてくれたから。


「店長、キッチンの仕事と言っても、本当に一杯おぼえることがあるんですね。キッチンに入って4カ月が終わろうとしていますが、教わったどれもこれも今一つって感じで…」


「そんなことないよ。自分では気づかないかもしれないけれど、確実に成長しているよ。ねぎとろをきちんと巻けるし、切り口もきれいだし、でこぼこなく、きちっと盛り付けられている。指示されたとおり、包丁を毎日、研いでから帰るということを守っていることもある。何事も手抜きしないで続けていくと抜きん出てくるもんだよ。あせらずにオンリーワンを一つずつつくっていくことだね」


あぶない、と彼女は思った。こぼれ落ちそうなものがあったから、上を向いて、店長に「ありがとうございます。お先に失礼します」と言って、頭を下げたら事務所のじゅうたんにぶつかったみたいで、ぽたっという音がした。


 店長の声が後ろから聞こえてくる。気づかれたかな、と一瞬思ったが、「お疲れ様。暑くなってきたけど、睡眠はしっかり取るんだよ」と言われもう彼女の目からはあふれ出ていた。うれしかった…店長、おやすみなさい…。

それなりの理由

 鬱陶(うっとう)しい梅雨空が続いている関東。東北の大学を卒業して、とんでんに入社し2度目の夏を迎えた彼女。


 新入社員導入研修の時にあったお鮨の手握り検定にすっかりはまり、みずからも望んでいたキッチン業務から配属され、変化のあるキッチン作業の毎日にどきどきしながら過ごした。入社半年が過ぎたらフロアーの仕事もシフトに組まれ、洗浄、料理をつくること、接客サービスをすることのフルメニューをこなす最初の1年なんて、あっと言う間のことであった。


 仕事に妥協を許さない店長には良い意味でしっかりしごかれた。出退勤時の心をこめた挨拶、ごめんなさいという詫びる心、ありがとうございますという感謝の言葉を心をこめて言えるようになること、調理技術、接客の技術だけでなく、心も一緒に磨いていくことが大事なんだと何度も言われ、「はい」と返事をしても正直、最初はピンとこなかった。


 しかし、仕事を始めてみると仕事に失敗はつきもので、まして入社1年目は毎日のように失敗があり、それを何かや誰かのせいにせず、まっすぐに「ごめんなさい」というには勇気が必要だったし、仕事は連携プレーの連続でフィニッシュのお客様のお帰りまで「ありがとうございます」の連続でもあった。


 出勤してきた時のあいさつは「今日もよろしくお願い致します」という意味であったし、帰りのあいさつは「今日もいろいろとありがとうございました」というお礼の意味であったということに気づくまでには、後輩の新入社員の面倒を見るようになる1年が必要であった。


 やっぱり、店長ってすごいんだと彼女は思った。自分を指導してくれている店長は本当の年齢より5歳は若く見えたし、お店の上の社宅には職場結婚した美人の奥さんと1歳になる男の子がいて、自分もいつか結婚してあんなふうに素敵な夫婦になりたいと思うようになった。


 7月の台風なんて聞いたこともないのに、関東の3連休の最初の2日間
を台風が襲った。


「梅雨と台風か」と店長がお店の玄関に出て空を眺めやって、入社2年目のお客様を待つ彼女に言ったことは、「こんな天気の悪い日でもご来店されるお客様には、それなりの理由(わけ)がある。そしてどうしてもこの店でなければならない理由(わけ)がある。そういうわけありのお客様なのだから、とびっきりの笑顔でお迎えし、気持ち良くお席にご案内して、お店の誰もが自分の仕事に自分でも感動できるくらい、ひとつひとつに心をこめた料理とサービスでおもてなしをしよう」と。

白湯にも”湯加減”

 人はやむなく病(やまい)になることがあるのですが、食後に飲む薬を持参され、お食事をされるお客様もいらっしゃいます。


フロアー担当のベテランのパートさんから聞いた話です。


フロアーを回っていると、お食事が済んだお客様のテーブルに病院のお薬の袋がのせられてあったり、あるいは薬のパッケージが置かれていたりすることがあります。


そのことに気づいたら、彼女は食後を見計らって、お薬の飲み水をお持ちするようにしています。


 昔から、お薬と言えば、白湯(さゆ/広辞苑には「何もまぜない湯」とありました)で飲むこと、と言われておりますが、これが季節によっては、暑い季節には、ぬる目の白湯より、夏の水道水くらいの水温が喜ばれることもある、とのことです。


でも、絶対に冷たすぎないことです。


そうは言っても、たまたまエアコンがきき過ぎていたりすると、やはり少し温か目の白湯のほうが喜ばれたりします。


白湯の基本の飲み頃はあくまでも、燗酒(かんざけ)でいえば、人肌(ひとはだ)、ぬる燗の温度です。特に、顆粒状の薬は、ぬるま湯で飲むように、と薬剤師から言われた経験がおありかと思います。


 要はお客様の立場になって、五感を働かせ、年齢、体調、室温、お料理は何を召し上がっていらっしゃったかなど、自分なりに得た情報を瞬時に集約し、水温はこれくらいが良いと判断してお持ちして、気持ち良くお薬を飲んでいただけたら、彼女は「ああ生きてきて良かった」と、おおげさではなく、心の中がうきうきするくらいだと言います。


"人の役に立つことをしている"と思える瞬間ほど、人は何にも代えがたい喜びがあるのだということを、彼女の話から伝わってきました。


白湯にも湯加減あり、です。

怒涛の最終回

 6月21日午前9時、空は真っ青。真夏の天気模様だ。埼玉の秋ケ瀬公園ソフトボール場に、関東の8チームの参加選手と応援者の330名が南は神奈川、北は群馬から集合し第2回ソフトボール大会が開幕。


 試合開始に先立ち、仮設ステージにふだん超真面目の埼玉県内のM店長が立つ。ステージに上がりそこねたようにこけを入れた。その落差にみんな少し驚いて笑う。もう、みんな、本当は楽しさに爆発しそうなのだ。


「宣誓。私たちはこのソフトボール大会をとんでんの通年行事となるようルールを守り、営業3部のY次長の公平な審判に従い、営業2部のN次長の無言のサインに首を振り、営業1部のG次長のヤジ、オドシを恐れず、楽しく闘います。また、この大会の勢いを夏の繁忙期につなげ、暑い夏にしっかりと冷えたビールをお客様に提供して喜んでいただくことを美山加恋(みやまかれん)ちゃんに誓います!!」もう、どっと大受けでした。


 とんでんは7月からの毎週火曜、午後7時、テレビ東京『ココリコミリオン家族』のスポンサーの1社として3カ月間、CM契約(関東版)を結び、10歳の美山加恋さんを主役にしたテレビCMを製作、すでに7月の第1週目の放映があった。


昨年の第1回大会の優勝チームの監督は、このちょっといい話の第19話で紹介し”気合むき出し監督”だが、この春の定期人事異動で次長に昇進し、監督の上の顧問的な立場になり、何か今一つ乗り切れないようだ。


 しかし、見方によると、営業1部、2部、3部から2チームずつ参戦しており、部対抗の様相を呈していることは間違いのないことで、ベンチの最前列で腕組みをして座り、にらみをきかせていた。その顔には「勝たないとどうなるかわかっているんだろうな。気合だよ。き・あ・い!」と書かれているのは誰の目にも明らかだった。


 結果、彼のひきいる1チームは準決勝までいったものの3位・4位決定戦でも破れ4位で散った。彼の気合は無言のまま空回りに終わった…。


 だが、物語はこれで終わりではない。


優勝決定戦は、なんと営業2部チーム同士の戦いとなった。奇しくも、去年の優勝決定戦チームが半分ずつ入っており、戦っているチームにしては相手がどのくらい強いかを知っている。地区で言うと、東京・埼玉連合VS千葉連合の戦いのようであった。


先攻は東京・埼玉連合で、1回の表、手堅く1点を入れたが、裏で千葉連合に3点を入れられた。2回、東京・埼玉連合が1点を返したが、裏で再び千葉連合に3点を入れられ、6対2。3回、4回は、互いに0点で膠着(こうちゃく)状態。5回が最終回、敗色濃厚の東京・埼玉連合の1人目のバッター、東京の活きのいいW店長が鋭い打球で塁に出た。大盛り上がりの東京・埼玉連合だが、最終回ということもあって、次打者からはメモリアル代打に切り替えた。


監督のS地区マネジャーは、まず顧問のN次長にバッターをすすめたが、N次長は、どっちかのチームに加担するわけにはいかないでしょう、と眉を八の字にして手を顔の前で振って断った。それで、今度は同じ地区マネジャーのWヘッドコーチを代打として告げた。


 日に焼けた顔なので、彼がどれだけ青ざめていたかは誰にもわからない。だって、1、2球、空振りだったもの。徐々にあきらめムードが漂う中、打った。打ったんです。もつれる足でファーストにたどり着いたWマネジャー、勝ち誇ったようにベンチに腕を上げた。


それでもまだ、メモリアル代打は続けられた。「か~んとく」「か~んとく」の連呼にSマネジャーがバッターボックスに立った。Sマネジャー


の目は緊張でとがっていた。打った。捕られた。残念。進塁できず、くやしがる応援団。「ワンナウト。しまっていこう」と言ったのは、ベンチに戻ってきたSマネジャーだった。一方、千葉連合はこのワンナウトで勝ちを確信し始めていた。最終回を迎えた時よりも。


ところがここから怒涛の大逆転劇となった。打つわ打つわ7連打。バッターが一巡して最初に塁に出たW店長が打った時には8点が入っていた。


 この中には選手宣誓したM店長もいたし、昨年の優勝チームの立役者でこのちょっといい話26話に出てきた広島カープの”男・前田”の大ファンW店長のタイムリー2点打は、完璧に試合をひっくり返してしまった。


今回は1回戦で負けたが、昨年、優勝チームにいた女性店長と同じ店の女子社員の二人がネット裏で応援のタンバリンをたたいて大喜びだった。


最終回の表で試合は10対6になってしまった。千葉連合は当然、あきらめてはいない。再逆転を胸にバッターを送り出す。守る東京・埼玉連合はピッチャーに女子新入社員のS社員に託す。


 2人に打たれた。ノーアウト、2・3塁の大ピンチ。押せ押せの千葉連合。3人目のバッターの鋭い打球が飛んでいく。3塁線を抜けると誰もが思ったライナー。これを最終回の打線を切り開いたW店長が横っ跳びで捕球。3塁を飛び出していたランナーもアウトのダブルプレー。


 最後の一人の打球もショートを守る”男・前田”店長にがっちり捕られゆっくりとスローモーションのようにファーストに投げられゲームセット。 S監督も、”男・前田”店長も「連覇だ!」「連覇だ!」と叫んだ。それを見ていた、去年、優勝の「き・あ・いだ!」監督はニヤッと笑って球場をあとにした。

急な雨に傘

 年々、天気予報の当たる確率が高くなってきたと言われています。最近は時間帯の天気予報まであって、とても便利な感じがしますが、ちょっとお出掛けするのに、この時間帯は雨、とあるので傘を持って行ったけれど雨が降らないことがあり、これはまあいいとして、晴れとあるので信じて出掛けたら雨に降られて身動きならなかった、ということもあります。


 でも、自然現象ですから、こればかりは予測をしても、流れる雲の勝手でしょ、とあきらめるしかありません。


 用心のために出掛ける時は年中、傘を持っていく人を知っていますが、それにしても土砂降りの時は、せっかくの傘も役立たず、ということもあります。


 真夏のランチのピークも終わった午後2時過ぎに、3~4歳の女のお子様を連れたお母さんとふたりきりで食事に来られたお客様がいらっしゃいました。たまたま自分にも同じ年頃のお子さんを持つパートさんが、サービスを担当しました。親子でゆっくりとお子さんと食事をされ、お話しも楽しそうにたくさんされていました。


 それはもう、ほほえましいかぎりで、サービスする方もうれしくなるほどで、お子さんにはお茶ではなくお冷やを何度か出して差し上げ、お母さんにおしぼりも余分に1本多くつけて差し上げました。


 1時間ほどして、お帰りになろうとお会計をすまされ、お店の玄関を出たところでザアーッと雨が降ってきて、親子ふたりで立ち尽くしていました。


 それを見ていたパートさんが、ハッとひらめいて、玄関に立つ親子に話しかけました。


「どうぞ、中でお待ちください」そして「雨が小止みになったら、どうぞお使いください。私の使い古しですし、返していただかなくてもけっこうですので」と、傘を両手に持ってお客様に差し出しました。


 お母さんは申し訳無さそうな顔をしていましたが、お嬢ちゃんはにっこりほほえみ、「ママ、良かったね」という顔でお母さんの顔を見上げていました。

トランペット

 プロ野球観戦だって一人で行こうと思う人は少ないだろう。一緒に行ってくれる仲間がいれば、スタジアムに行って生(なま)で見てみたいと思う人もいるだろう。


 そんな趣旨で社内”プロ野球観戦ツアー”が5月22日(火)の西武ライオンズ対横浜ベイスターズ戦から始まり、第2回目の6月13日(水)、千葉マリンスタジアムでの広島東洋カープ対千葉ロッテマリーンズ戦の参加者が募られた。


 野球観戦より生ビールを飲みに行っているのじゃないか、と言われている”超愛妻家” ”メチャクチャ子煩悩(こぼんのう)”でも有名な、東京都内の店舗の店長がいて、彼は社内観戦ツアーが始まる前からスタジアム観戦マニアとしても知られている。


 彼は観戦ツアー1回目の時から、店舗から必ず3名参加、ということを宣言している。2回目の時、異動してきて2カ月の女子社員を誘ってみた。 店舗業績では結果をしっかり出す店長で、店長仲間の誰からも一目を置かれているけれど、どちらかと言うと、シャイな店長で、そんな店長からお誘いを受けて、行ってみようかなと思った女子社員もシャイ。


 その彼女から観戦レポートが届いた。以下は、彼女の実況中継ふうのレポート紹介です。


 …いよいよ楽しみにしていたプロ野球観戦です。午後4時半に千葉マリンスタジアムに集合。幕張メッセの駐車場に着き、車から降りると海の香りがしました。子供のころの北海道の海が懐かしく思える。夕方近くの4時半だというのに天気は絶好調で、お日様はまだギラギラです。


 球場前のイベント用ステージ横で、ふだん会う機会のない、他地区・他店舗の参加者と合流しました。千葉の房総半島にある店舗からは、野球のうまい店長に誘われて社員1名、アルバイトさん2名も参加です。


 試合開始までショップでグッズを買ったり、待ち切れないように、立ち並ぶ屋台で早々とビールを買って飲んだり、タコ焼きを買って食べたりしながら、ステージのショーを楽しみました。


 プロ野球観戦にはこんな楽しみもあるんだと、皆さん、ある種、童心に返ったような、きっと心の中はお祭りを楽しむ少年少女になっていたと思います。たとえ、ビールを飲んでいたとしてもです。


 気づいたら、うちのお店の店長の姿が見えなくなり、ちょうど球場前のステージで大声コンテストをやっていたので、一緒にきたチーフが、マイク前で、うちの店長の名前を大絶叫しました。


 最後の「U~~~~!」が会場にながく響きました。


 もう一人、観戦ツアー参加者で大の広島ファン、埼玉の店舗の店長がこの大声コンテストで「前田さ~ん!かっとばして~!」と体がよじれるほど思いっきりよく叫んでいました。


 ちなみにこの店長、学生時代には野球部にいたとかで、後日、6月21日におこなわれた社内ソフトボール大会で、昨年秋の第1回大会につづいてチームを優勝、2連覇に導いた実力派の本物の野球ファン。


 うちのチーフの絶叫が届いたのか、店長がビールを手に、にこにこしながら戻ってきました。みんながそろったところで、バレンタイン神社でボビー像を囲んで記念撮影。ハイチーズ!です。


 いよいよ球場に入り、予約のボビーシートへ。かくいう私もビールを少々たしなみます。ゲームを楽しみながらのビールは最高です。


 試合は、1回裏にロッテが、福浦の3ランで先制、ベニーのタイムリーなどで一挙に6点で、会場は敵も味方も大騒ぎ。


 三塁側は前田選手のユニフォームを着て応援している方が圧倒的に多くもちろん黙っていられないのは、大声コンテストで「前田さ~ん!かっとばして~!」と絶叫していた広島大ファン、ほそおもて、精悍な顔付きの店長も同じ気持ちでしたでしょう。祈りを込めていました。


 6回表の攻撃で、その願いが通じて、”男・前田”のタイムリーで3点。感きわまって、今にも涙を流しそうなくらいしびれていた店長。思わず、大丈夫ですか? と声をかけたくなりました。


 メジャーリーグのイチロー選手も崇拝する前田智徳選手の勇姿を生で見られ、私も最高の気分でした。


 結果は、8回裏に1点を加えたロッテが7対3で完勝。


 試合終了後に、座っていた場所で、もう一度、記念撮影。


「また、球場で会いましょう」と熱気もさめやらぬまま、お別れとなりましたが、この日参加の15名は私にとって、心を一つにした最高の仲間となりました。もう大満足でした…


 以上が彼女の実況ふうエキサイティング・レポートでしたが、彼女をさそった店長いわく、実は彼女、トランペットを吹くことが趣味だそうで、彼女のトランペットのリードで応援してみたかった、と言っておりました。 というより、彼女は胸の中で感激のトランペットを吹いていたかもね。

もう一つの父の日

 6月の第3日曜日、父の日の午後9時。


 旅行帰りのような大きめのバッグを手にした40過ぎの男性がお店に入ってきた。フロアーのパートさんが応対すると、キッチンのアルバイトさんの父親であることがわかった。
「お伺いしていました。お席にご案内致します。どうぞこちらへ」


 中年男性は妙に緊張していた。


 パートさんはお茶とおしぼりを3組置いて、「間もなく、息子さんがいらっしゃいます。9時までの勤務ですから」と言って、下がった。


 3組のお茶とおしぼりを見ながら、彼は少し首をかしげた。


 少しして、店の奥から彼の席に若者が近づいてくる。


「お帰り、父さん。久しぶりです」

「どうしたんだ、お前?」


「ここでアルバイトをしているんだよ」


「そうじゃなくてさ。どうしたんだ、お前?」


「何が?」


「その格好だよ」こざっぱりした若者の姿をまじまじと見ている。


「変?」


「変じゃないよ。すごくいいよ」


「ははははっ」若者は頭をかいた。


「3カ月前は髪の毛はあちこち、とがらせていたし、耳だけでなく口にまでピアスしてたのに…」


「やめた。いつまでもガキやってられないよ。昨日、はたちになったしね」


「そうだったな。お前もはたちか」


「あっ。母さん来た」


 若者の母親が、少し息を切らせるようにやってきた。


「ごめんね。遅れちゃった。お父さん、お帰り」


「ああ。元気そうだな」


「お父さん、わたし、車の免許取ったんだ。それでね。夜道に慣れなくて、こわごわ運転してきたのよ」


「ほう。やるね」


「だって、お父さん、うちにいること少なくて、やっぱり買い物とか不便なのよ。それで2カ月半掛かったけど、3日前に免許取れたの。ほら」


 彼女は、うれしそうに真新しい自動車運転免許証を見せた。


「すごいだろ、父さん。母さんも頑張ってるよ。駅前の本屋さんでパートもやってるんだよ」


 父親の彼は、目をぱちくりしている。


「だから、お父さん、ここで飲んでもいいわよ。それに二十歳になったあんたもビールで乾杯しなさいよ。わたしは運転するからウーロン茶で」


 若者は、この席を見守っていたパートさんを手招きして呼んだ。


「中ジョッキ二つとウーロン茶をお願いします」


「中ジョッキ二つとウーロン茶ですね。かしこまりました」


「それに、さざんかを三つ」


「さざんかを三つですね。お飲み物、すぐに持って参ります」


 フロアーのパートさんも、にこやかに下がっていった。


 母親の彼女はうれしい、そして安心したような顔になっている。


 すぐに飲み物が席に持ってこられた。


「さあ。乾杯」と母親の彼女がグラスを上げた。


 三つのグラスが合わさってカチーンとなった。


「いい父の日よね。お父さん?」


「うん。なんだか、浦島太郎だな」と父親。


「そうね。この子、ほんとに変わったわ」


「どうしたわけよ」と息子の彼に聞く。


「ちょっとね。ここの店長に助けられたことがあったんだ」


 母親はふんふん、とうなずいている。


「夜、遅くなったことがあって、柄(がら)の悪い酔っ払い二人にからまれたことがあったんだ。その時、通りかかった、ここの店長が、やめないと警察に通報するぞ、と言ってくれたんだ。そうしたら、酔っ払いが逆上しちゃって、呼べるものなら呼んでみろ、とすごんできたんだ。それで店長が俺のシャツの袖を引っ張って、逃げるぞ、と言って、二人で走って逃げたのさ」息子の彼は笑っている。


「そしてね。そのあと、公園で二人でいろいろなこと話して、店長がアルバイトをしていないのなら、うちの店で働いてみないか。あと数ヵ月で二十歳になるのなら、その格好、卒業しろよ。まあ、社会に出るための行儀見習いだと思って、その気になったらおいでよって名刺をくれたんだ」


「そういうことだったのか。あとで店長さんにお礼をいわなくちゃな」と父親の彼はうなずきながら、生ビールをぐびっと一口飲んだ。


「お待たせ致しました。さざんかです」と、お鮨、天ぷら、そば、茶わんむしがセットになった料理がテーブルに並べられた。


 そして若者は言った。


「父さん。そのお鮨、俺が握っておいたんだよ。父の日、プレゼント」
 父親も母親も目を丸くしてお鮨を見つめている。

父の日

 今日は6月の第3日曜日、父の日。


 5月の子供の日、母の日もそうだが、この6月の父の日、9月の敬老の日といった、家族のお祝いの日や感謝の日には、年々、ご来店のお客様が多くなってきていることを、店長歴15年のベテランの彼は、早いピークを迎えたランチのフロアーを眺め渡しながら感じていた。


 この日のランチは、ご夫婦で中学生くらいまでのお子さんをお二人連れたご家族4名様が多い。むろん、6名様以上の三世代のご家族も多く、この場合はおじいちゃんとお父さんが二人、お祝いをしていただいている。 ご家族連れが多い日は自然、お子さんたちの笑い声がフロアーに響き、楽しそうなお客様が多い。特にお父さんと一緒にいることがお子様たちにとって、とてもうれしいに違いない、と彼は思う。



 彼には8歳の長男と4歳の次男の二人の子供がいた。半年ほど前のことだった。12月のおせち料理販売のめどがつき、暮れの27日が公休だった。 この日は平日だったが、8歳の長男は冬休みに入っていたので、家族を横浜に連れ出すことにした。


 1年分の家族サービスの締めくくりという思いもあって、疲労の溜まった体に鞭打つように、朝、早めに起きて髭を剃り、スカッとした顔で、子供たちを起こし、「今日は横浜に行くぞ!」と宣言した。


 それを聞いた子供たちは跳びはねて起き、パジャマを脱ぎ捨て、「お母さん、服、早く出してよ」とタンスの前で並んでいた。


「ご飯を食べてからにしなさい。よごすから」と、お母さんはキッチンで、朝食のクロワッサンを温め、目玉焼きをつくり、りんごをカットして盛り込んだ皿を手際よくテーブルに並べる。


「顔が先でしょ。顔と手を洗って、口もきちんとゆすぎなさいよ」と、にこにこ顔の子供たちに指示を出しているお母さん。


 お父さんの彼も、新聞を立てて読みながら、家族のみんなには顔が見えないようにして、にやにや笑っていた。


 4人家族がそろって、テーブルに着くと、お母さんは「もう突然なんだから、お母さんだって聞いていなかったんだよ。横浜だって。うれしいね」と子供たちの顔を見ていう。


 4歳の次男が、ミルクをごくり、と音を立てて飲んだ。彼は思う。こんな何でもない家族の食事が幸せなんだな、とほほ笑んだ。


 食事のあとは、映画のフィルムの早回しのように、みんなが手早く着替え、お母さんはお化粧をした。香水も軽く振って、部屋に甘い香りが漂った。


 みんなは待っていた。お父さんも含めて男組の3人は「さあ、いこう」というお母さんの声を。その言葉をお母さんから聞いた時は、男組3人は競馬のゲートが開いたように玄関に殺到した。


 子供たちはるんるんで、電車に乗ってまず、みなとみらいのポケモンセンターヨコハマに行った。


 4歳の次男も8歳の長男も大喜びで、目をきらきらさせて楽しんだ。長男は念願のゲームをダウンロードできてご機嫌だった。


 昼食を済ませ、ビルの外に出ると午後2時を回っていたが、12月の終わりだというのに気温が20度もあり、青空でさわやかだった。


 歩いているうちに遊園地のよこはまコスモワールドを発見した時、ふだんケンカばかりしている兄弟は、この時とばかりに強い絆で結ばれ、「乗り物に乗りたあい」と声をそろえて言う。乗せてくれなきゃ、テコでも動かないという顔をして。


 こうなることは想定内で、彼は用意していた答えを二人の顔をのぞき込むようにして伝える。「2回ならいいよ」


 彼の気持ちとしては、明日からまた、おせち料理の引き渡しという大事な仕事があり、早めに帰って家でゆっくり休みたい気持ちもあった。


 乗り物の年齢制限で、彼と長男、奥さんと次男にわかれた。


「何に乗りたい?」と長男組の彼は、長男のリクエストを聞いてチケットを購入。最初の乗り物の前で「出口で待っているよ」と長男から離れようとすると、「一緒に乗ろう」とせつない表情。


「大丈夫、怖くないよ」と背中を押すように一人で乗せる。下から手を振りながら見ていると、長男も上から笑顔で手を振る。出口で待っていると、元気に降りてきた。

「怖かった?」と聞いたら、「楽しかった」と笑う。「じゃ、次に行こう」と歩き出すと「今度はパパと一緒に乗る。せっかく一緒にきたんだから一緒に乗ろう」と両手で彼の手を強く引っ張って離さない。さっきと同じせつない表情だ。「よし、一緒に乗ろう」と言ったら、長男はうれしくてジャンプ×3。


 彼は、子供たちに乗り物に乗せれば喜ぶということしか考えていなかった。でも、長男は、一緒に乗ることにこだわった。二つ目の乗り物に乗る時には、彼は長男の思いを受け止めながら、二人で乗った。長男は、となりで先ほどの乗り物よりも大声を上げたり、笑ったり。彼も一緒になって笑った。


 4人が合流したあとも、子供たちはもっと遊んでいたかったのだろうが「またね」となだめながら、手をつないで帰りの駅に向かった。


 その夜、子供たちが眠る時間がきて、「おやすみなさい。遊園地に連れて行ってくれてありがとう」と長男。


 子供たちが寝たあと、彼は奥さんに提案した。


「次の休み、子供たちをディズニーランドに連れて行ってやろう」


「次の休みはいつ?」奥さんが彼の顔をのぞくようにして見る。


「1月10日だけど」


「残念でした。8日から学校始まります」


 彼は知らなかった。今日が、冬休みの子供たちと丸一日遊べた最後の日だったのだ。


 彼は思った。土曜、日曜、祝日に仕事をしているのは、私達レストラン業だけでなく、デパート、ホテル、交通機関、遊園地などなど人を楽しませる仕事に就いている人は、この日本におおぜいいる。平日の休みでも、子供たちと遊ぼうと思ったら、冬休み、春休み、夏休みの日々の中で計画的にやれば良い。


 休みの日はゆっくり体を休めたい。やりたいこともたくさんある。けれども、子供たちが小さい時こそ、子供たちとできるだけ多く遊んであげよう。思い出に残る特別な日を1日でも2日でもより多くつくってあげよう。 彼はいくつもの反省をしながらベッドにもぐりこんだ昨年12月のことを思い出していた。



 現実に戻るように、「いらっしゃいませ」と店長の彼は次から次にご来店される、父の日のお客様をお迎えした。お席では、お子様たちがふだん会うことの少ないお父さんの顔を見て安心して、はしゃいでいる。


 良いサービスをしなければ、と彼は司令塔の顔になっていた。

球場で会う仲間

6月初めの札幌ドーム。


「マネジャー、また、会いましたね」


とんでんで勤務する30歳を過ぎた彼女はにこやかに言う。


「おう。来たかい。今日は休みの店長もチーフも、社員も見かけたな。旦那さんと一緒のパートさんも来てるよ。今日はお子さん、連れてきたのかい?」


「はい。今日もいつものメンバー、そろってますね。平日は7時半過ぎたら半額の千円になるから、テレビ観てるより、やっぱり迫力あるしょ。今日は父さんも出張で帰って来ないから、子供に、行く? って聞いたら、行く行くって言うし、よっしゃ、行こう! って、来てしまいました。ハハハッ」


「女の子なのに、野球、好きなのかい?」マネジャーの目がまるくなっている。


「お姉ちゃんがダルビッシュのファンなのよ。大が付くかな。ねえ?」


「お母さん。すわろうよ」妹の手を引いている女の子がお母さんの袖を引っ張って言う。


「あっ、ごめんごめん。マネジャー、横の席あいてる?」


「あいてる、あいてる、すわればいいっしょ」


「マネジャー、けっこう酔ってるしょ?」


50歳を少し越えたマネジャーの鼻が赤い。


「さっき来たばっかりなんだけどね。ここでビール飲むの楽しみにしてんだわ。ハハハッ。おう、打った! 新庄がいなくなっても日ハム強いわ。連勝、連勝、連勝驀進中ってか」


 札幌ドームでおこなわれている北海道日本ハムファイターズとセ・パ交流戦の観客席の会話です。


 北海道はどちらかと言えば、圧倒的に巨人ファンが多かった。今でも、セ・リーグは巨人、パ・リーグは日ハムと言うファンは多い。しかし、日ハムが北海道をホームにしてからは、がらっと一変して、日ハムファンが一気に増えた。老若男女を問わず、今まで、野球に興味のなかった人たちまで札幌ドームに足を向けさせた。日ハムは北海道民にプロ野球を身近なものにした。


 特に昨年は新庄選手の引退の花を飾るように、リーグ優勝、日本シリーズ優勝という日本のプロ野球界の最高峰を昇りつめ、北海道中がそのうれしさで沸いた。


「帰り、つきさむ温泉で、また飲むんでしょ?」と彼女。


「勝っても負けても、つきさむ温泉さ。行く?」


「今日はわたし、子供たち連れてるから、子供と温泉だけ入りに寄るわ。マネジャーは泊まっていくの?」


「うん。母ちゃん、自治会の懇親旅行でいないから。明日、公休だし、今夜は自分だけに気つかえばいいからさ。試合終わったら、何人かさそって温泉につかって、もう一回飲み直して、泊まって、おいしい朝食バイキングを食べて、それから家に帰るわ。おう、三振! やっぱダルビッシュはちがうわ。ハハハッ」


球場全体に拍手がこだまする。


 プロ野球観戦でも、店舗、恵庭工場、つきさむ温泉、とんでんビジネススクール札幌校の仲間と会える北海道地区です。

小さなお客様

 雨が降ってきた。歩道に植えられているアジサイが雨に濡れて、花の色がいっそうきれいだ。


 平日の間もなくお昼というところで、フロアー係のパートさんが、傘を差した小さな二人が、お店の玄関前に立っていることに気づいた。


 お母さんかお父さんが先にきているのかな、とフロアー全体に目を走らせながら玄関までいき、扉を開けて、聞いてみることにした。


 5~6歳のお兄ちゃんが2~3歳の妹の手を握っている。


「あのう」とお兄ちゃんが眉を八の字にして言う。


「はい。どうしました」とパートさんはやさしく言って、腰をかがめて話を聞く。


「すみません。トイレを貸してくれませんか」と、せっぱ詰まったように、お兄ちゃんが言う。


 見ると、小さな妹がおなかをおさえている。
あっ、いけないと思いつつパートさんは「どうぞ。お使いください」とすぐに中に通すと、お兄ちゃんは、「すみません。傘、ここにおいときます」と言って、あとは店の中をよく知っているように、コンビニの袋を振り振り、妹の手を引いて小走りにトイレに向かっていった。


 二人の後ろ姿が、いそげ、いそげといっているように体が右に左にゆれ、パートさんは、ほほえましく二人の姿を追った。
そういえば、1週間ほど前にいらっしゃっていたご家族ではなかったかしら、と思い出していた。


 間もなくして、トイレから出て来た小さな二人は安心したおだやかな顔になっていた。
応対していたパートさんは、お兄ちゃん、偉いなあ、きちんとかわいい妹にトイレを使わせることができたんだ、と少し、うるうるしたほどだ。


 二人が玄関を出て行く前に、お兄ちゃんから、「ありがとうございました」としっかり頭を下げられたパートさん。もう完璧(かんぺき)に感心です。 「偉いわね。いつでも来てくださいね」と言って、さらに「気をつけておうちに帰ってね」と二人を送り出して上げた。


 しばし、二人の行方を見送っていると、小雨の中を歩く小さな二人の傘がアジサイの花のように揺れ、まるで、童話の世界にでも引き込まれていくようであった。


 入れ替わるようにして、サラリーマンのお客様が2~3人で、どんどんご来店された。「いらっしゃいませ」「いらっしゃいませ」フロアーは一気に活気づいていく。


 それから1時間半ほどして本部に、この兄妹のお母さんからお礼のメールが送られてきた。しばらく、本部ではこのファンタジーでプリティなストーリーの話題でもちきりとなり、誰の心もなごんだ。

うら~わレッズ!

「うら~わレッズ! チャチャッチャチャッチャ。うら~わレッズ! チャチャッチャチャッチャ」


 目の前の埼玉スタジアムから大歓声が聞こえてくる。5月23日のAFCチャンピオンズリーグ2007の浦和レッズVSシドニーFCの試合だ。


「これだよ、これ!」埼玉の大学を卒業して、とんでんに入社した彼。入社5年目のチーフだ。この熱気、忘れていた興奮が時を超えて戻ってきたように感じた。


 大学時代はバリバリの浦和レッズサポーターだった。試合のある日はほぼ毎回のように、埼玉スタジアム、駒場スタジアムに足を運び、ゴール裏で嗄れるほど大声を上げ、跳びはねていた。青春は浦和レッズの魂で真っ赤に染められた。


 とんでんに就職してからは土日は勤務なので、スタジアムからは自然と足が遠のいていった。おぼえることがいっぱいで、失敗すれば失敗するほど、仕事にのめりこんでいった。仕事の深さにはまりこんでいく自分がいた。


「福田正博の引退試合以来だから、4年ぶりか…。やっぱり、わくわくするなあ」来て良かったと思う彼。


 今日、久しぶりにスタジアムに来たのには訳があった。


 社内有志の呼びかけによる「プロ野球観戦ツアー」と「サッカー観戦ツアー」の誘いが社内ネットに告知されていたのが始まりだった。


「一人で行くより、サッカー好きが一緒になって観に行こう!」と書いてあり、「レッズの試合か、観に行きたいなあ」と思っていたところに、店長が「チーフはレッズファンだったよな。公休にして行ってこいよ。たまには発散してきなよ。そういうことも大事なんだよ」と後押しをしてくれた。


 通常のJリーグは、土日開催だが、この日は水曜日の平日で、アジアチャンピオンズリーグの浦和レッズVSシドニーFCという好カード。レッズは勝つか引き分けで、決勝トーナメントに進出という大事な試合だった。


 行きたい、と思い始めると、さざなみのように心は波立ち、その波は日が経つほどに大きくなっていくのだった。行きたいが行けるに変わっていく中で、彼はお店のなかまにもなぜかやさしくなっていくように感じた。


 店長が「こういうことも大事なんだ」と言っていた意味が、何となくわかってくるような気がした。


 試合当日、というか、前夜から、とめようのない興奮が体の中からふつふつと湧きあがってくるのであった。埼玉スタジアムに入る前に、オーストラリアのTVクルーの取材を受けるという”おまけ”までついて、ますます非日常的な空間へといざなわれ、興奮のボルテージはいやがうえにも盛り上がっていった。


 スタンドには、社内参加の総勢48名のうち、すでに半数以上が集まってきていた。


 家族4人でやってきた店長、小学校3年生の息子と今日がサッカー初観戦という本部のマネジャー、昨年まで同じ地区にいた後輩社員の姿もあった。ご主人や息子さんと来たパートさんもいた。みんな赤のユニフォームやTシャツに身を包み、会場の雰囲気に飲まれまいと気合が入っていた。


 試合が始まるころには、社内研修を終えて駆けつけてきた新入社員6名も合流した。


 みんなと一体になって、声を張り上げ応援した。「うら~わレッズ!チャチャッチャチャッチャ」周りのレッズサポーターの雄叫びに呼応し高まる興奮と共に心から試合観戦を楽しめた。レッズの色は、とんでんの社章のバッジの色と同じだ、とチーフは思った。


 試合でレッズは勝てなかったが、引き分けで決勝トーナメントに進めることになった。終了直後のスタジアムは大きくうねり、盛り上がりの物凄さにも酔うほどであった。


 そして試合が終わり、冷めやらぬ興奮のなか「今度は準々決勝を一緒に観にきましょう!」と誰彼となく声を掛け合った。


 階段を降りながら、チーフは思った。


 …観に来て本当に良かった、サッカー観戦なかまという新しいなかまもできた。明日、店に行ったら、みんなに今日の楽しさを報告しよう。そして一人でも二人でも同じ店の観戦なかまを増やしていこう。人生は楽しむことも大事なんだ。気持ち良く送り出してくれた店長にもお礼を言おう。シフトに協力してくれたパートさん、アルバイトさんにもお礼を言おう…。スタジアムから出て、この日の観戦ツアーに参加したみんなが言い合った。別れを惜しむように「また会いましょう!」と。

伝説のジャンケン王

「がんばれ~」「がんばれ~」と声援の声が大きな球場でこだました。


 関東地区で、初めての地区対抗ソフトボール大会が催された。秋の終わりと冬の始まりが混在するような日であったが、さわやかな秋晴れであった。好天に恵まれ、奥さんと小さな赤ちゃんや子供を連れて来た店長が、7人もいた。どのチームもピクニック気分で集まってきて、ほっとするような温かさがあった。
 企画をしていた営業部も、こんなふうに大きな大会になるとは思わず、地区別で8チームができること自体が、不思議に思えるほど、うれしい誤算であった。

 どのチームも即席チームであったが、会社の野球部員を主軸に若いアルバイトさんを戦力にしているチームが多かった。あくまでも勝ちにきているチーム編成であった。


 だが、競技ルールで、ピッチャーは速球を投げてはいけなく、山なり投法で、このルールに抵触する速球ピッチャーには、すぐにブーブーコールが浴びせられ、審判もただちにその抗議に同調した。


 走者もケガをしないように、滑り込み禁止、盗塁なし、振り逃げ・パスボールなしという、何ともロハス(スローライフ)な競技ルール。これがいい。


”若年寄り”も女性も、打つ、走る、守る、オーケーです。


 試合は点を取ったり、取られたり、どの試合もシーソーゲームで、思った以上に盛り上がった。久々の運動で思うように足がついていかず、エラーをして盛んに首をひねっているマネジャーの姿があった。


 しかし、エラーや三振をしても、誰もなじる者はいなく、「ドンマイ」「ドンマイ」とフォローする声が多かった。みんな、ふだんの企業戦士の鎧兜(よろいかぶと)を脱いでやさしかった。


 どのチームも次長、地区マネジャーが監督だった。実は一番、燃えていたのは、この監督たちだった。試合でジャッジに猛抗議をするのもこの監督たちで、審判に何度「退場!」と言われたかわからない監督もいた。


 ルールによって、試合は5回戦もしくは40分で終了。同点の場合は、選手10人でジャンケン勝負となる。


 たまたま、準決勝で同点のチームがあった。10人の選手が向き合って、前から順にジャンケンをしていった。「ジャンケンポン」「アイコデショ」の声が飛び交う。


 ジャンケン勝負の1回ごとに、はらはら、どきどきで、その結果に嘆きの声や喜びの声が上がった。勝負は10人目までもつれ、なんと”アイコ”。 最後は監督によるジャンケン3本勝負で決着がつけられることになった。 勝てば、決勝進出だから、その行方はまさに監督の手の中にあった。


 この両監督が好対照で、片やふだんから気合むき出しの監督であった。1回目、気合むき出し監督のまさに気合勝ち。勢いで2回目で決着がつくかと誰もが思ったが、気合が空回りしたのか、グーを出して負けた。泣いても笑ってもこれが最後の3回目。気合むき出し監督、また、グーを出した。勝った! 


 すかさず気合むき出し監督が言った。「気合だよ。き・あ・い!」と。敵も味方も大笑いの中、勝負は決着した。


 そして、決勝。明らかに実力で劣勢だった気合むき出し監督チームが、6対2で堂々の優勝。


 表彰式の優勝の弁で気合むき出し監督が「気合だよ。き・あ・い!」と語ったのは言うまでもない。


 そのソフトボール大会は今年、アジサイが最もきれいな6月におこなわれる計画で進められている。今年は、奥さんと赤ちゃんを連れた店長がどれだけ増えるだろうか。


 なお、噂によると今からジャンケンを練習している地区マネジャーがいるとのこと。勝負は時の運…。今年も気合むき出し監督の姿が見られるでしょうか。

ゆるりの会

 新入社員にとっては、ゴールデンウイークという初めての嵐の洗礼を受け、ほっとするのは5月の10日を過ぎたころ。


 キッチン作業にも慣れてきて、いくらか気持ちのゆとりもできてきた彼女。ゴールデンウイークを経験したことで、調理技術のまだまださわりではあるが、自信も付いてきた。


 ところが、このところ、茶わんむしを蒸しすぎてパンクをさせる、傷は浅かったが包丁で指先を切る、皿を落とす、鍋をころがす、必然的にまわりから「どうしたの?」と声が掛かるようになる。


 自分でも変だ、と思い始める。「もしかして、この仕事、向いていないのかも」と思い始めたり、でも、共育担当者も、店長もチーフも、パートさん、アルバイトさん、みんな良い人だし、この職場が嫌いではない。


 地方から出て来たから、寮に戻っても一人きりで、これといった友達もいない。同期の仲間は元気だろうか、他企業に勤めた短大の友達は私と同じように悩んでいる人はいないのだろうか、次々に考え方がマイナスばかりに向いていく。朝、目覚めても、すっきりしない。よく眠れなくなった。食欲も落ちてきて、明らかに体重も減ってきた。


 午後の休憩の時、店長が声を掛けてきた。


「明日は公休だな。少し、気分転換をするとよい。ところで今晩、あいているか」と店長。


「えっ、今晩ですか?」


「そう、今晩。よければ、君をデビューさせるよ。今晩」


「デビュー…」


「ちょっとした会があってね」


「会ですか…」


「このお店の上の入寮者が、月に一度、集まって、勉強会とは言わないが、まあ、今、思っていることや、知りたいこと、要するに自由におしゃべりをする会さ。アルコールは抜きの会だけど、けっこう盛り上がるよ。今日は日曜のディナー。ケガをしないように、気を入れてな」


 店長は励ましてくれているんだ、と彼女は思った。どんな会なのだろうと彼女は思ったが、悪い気はしなかった。


「店長、よろしくお願い致します」と彼女は頭を下げた。


「了解。じゃ、デビューだ」


「デビューなんて…」彼女はどきどきし始めていた。そして、本当にケガをしないように気を付けなくちゃ、と妙に気合が入っていくのがわかった。


 その夜、それぞれの店から戻ってきた、入寮者と地区の店長が集まってきた。全員というわけではなく、あくまでも自由参加。それぞれのお店のシフトの都合もあり、来れる人だけが集まり、このお店の個室で食事会をするのだという。


 午後9時半くらいから集まり始め、10時にはほぼ、この日の会の出席者が固まる。彼女はどこに座ろうかと、店長の顔を見ていたが、同期の男子新入社員がやって来て、「やあ」と声を掛けてくれて、自然と彼と向き合う席に座った。席は自由なようで、店長は別の席で、別の店のチーフと楽しげに話している。
 会の始まりで、地区マネジャーが簡単に挨拶をする。


「皆さん、お疲れ様。おなかもすいただろうから、さっそく、食事をしましょう」と、にこにこと笑いながら話す。


「それでは、いただきます」という別の声が聞こえ、彼女は、うちの店長だ、と思った。


 食事をしながら、めいめいに近況を話し合っているようだ。


「このごろ失敗ばかりさ。ケガも多いしね。どうかしているよ、おれ」


 と同期の男性社員が話してきたので、「私も!」とつい彼女は大きな声で返事をした。一瞬、みんなの箸がとまった。けれども、すぐに笑い声でいっぱいになっていった。彼女もおかしくて、みんなと一緒に笑った。


 食事が済んで、みんなで片付け、ドリンクが運ばれた。


「ええ、それでは、あせらずに、仲間を信じて、自分の目標に向かってこつこつと進んでいこう、という”ゆるりの会”ですが、今日のデビューは新入社員の若い二人です。それでは自己紹介をしてください」


  男子社員が出身地を言って「キッチンで毎日、へまばかりしています」というと、「それでいいの」と、あちこちから声が上がった。


 彼女も「北海道から来ました。私もへまばかりしています。店長、ごめんなさい」と言うと、「いいんだ。いいんだ。みんな同じ道をあゆんできたんだから」と店長が言うと、「そうそう」というみんなの声が輪唱のように聞こえ、彼女はおかしかった。


 そのうち、席が自由に動きだし、先輩の女性チーフが話しかけてきた。


「困っていることない? 困ったことがあったら、一人で考えないで、いつでも相談して」と言われ、うれしかった。しかし、それ以上に、かっこいい、と彼女は思った。いつか、私もフロアーに出て、こんなきれいなお姉さんになろう、と思った。

G.W.スピリッツ

 何かいつもと雰囲気が違う。1週間の新入社員導入研修をへて、4月1日から店舗に配属になり、1カ月が過ぎたゴールデンウイークを迎えた彼。


 つい先日の4月より明らかにシフトが朝から厚めになっていることが感じられたし、誰もが無言で自分の担当する仕事に向かっている。


 彼は多めの野菜を洗って、ランチのサラダを仕込んでいて、いつもより手が早く動いていることがわかる。それはみんなの時計の針の動きと合わせているからだ。


 彼の”共育”担当のパートさんと、ちらっと目が合った。とんでんでは教育を共育という言葉に替えている。教え育てるというよりも、さらにそれを深め、共に育つという考え方に立っているからだ。


「慣れてきたわね。動きはいいわ。その調子。でも、早いということと雑でも良いということにはならないの。野菜はよく見て洗わなければ、泥や小石、それに虫もついているかもしれない。いたんでいるところは取り除かなければならない。ただし、それがいつ入荷したものかで、たとえば今日入荷して、いたみがひどければ、すぐに報告すること。何でも仕事にはポイントがあるわ。そのことを一つ一つ身につけていくと、他にも応用できるの。はい、手は休めない。よく見る」


 彼は、一瞬、ぼうぜんとしていた。高校生のお子さんがいるというパートさんの言葉に少しの無駄もなかったからだ。


 オーダーの入り具合からお客様のご来店の早さが伝わってくる。午前11時をすぎると、さらにそのことが伝わってくる。11時半以降はまさに津波のように大きな波になっていく予感をさせられる。みんなの時計の針の動きはさらに早まっていく。


「さあ、お鮨を手伝ってもらうわよ」と声がかかる。共育担当のパートさんは手際よくお鮨の手握りをしながら、バレーボールの選手のように、目で合図を送ってくる。彼はまるで手術室の助手のように、鮨皿、ガリ、軍艦海苔、バラン、ネタの出具合いを見ながら必要なものを補充していく。


 しかも仕事がしやすいように並べる工夫をする。彼女の目を見ているとそれが満足しているかどうか、何に反応すれば良いかがわかる。


 1カ月たつうちに、お互いの気持ちがどんどんわかり合っていく。


「お鮨を握って」と声が掛かる。うむを言わさない強さがある。


「あわてない。急がなくて良いから、きれいな仕事をして」


「はい」と彼は言って、気持ちをふるい立たせ、お鮨を握る。


「いいわよ。その調子。最後は必ずお鮨の皿、全体を見ること。自分でオーケーできる? ならばよし」

「とんでん(お鮨のメニュー名)できました。お願いします」彼は大きな声で言った。


 ステーションでセットをしているパートさんも、鋭い目をして確認してから「合格。頑張って」と笑顔で言ってくれた。


 そのあとはもう、何が何だか記憶にないくらい、夢中で迫り来るオーダーの津波と戦っていた。


 午後3時になって、事務所に行って休むと、「お疲れ様。よく頑張ったわ。ディナーもすごいわよ。おなか、すいたでしょ。ご飯、食べよう」と共育担当のパートさんが声を掛けてくれた。とんでんでは勤務中の食事は半額で食べることができる。二人で、お鮨のセットメニューを食べた。


「あなたには初めての繁忙期ね。きついでしょ。でも、この時のきつさが、のちのちまで自分の核になっていくの。自分は頑張れるってね。どんな時もよ。私も5年前にあなたと同じように、4月初めころからこのお店に勤めてね、最初の繁忙期はゴールデンウイークだったの。あなたの今日の気持ち、私にはよくわかるわ。私には5度目のゴールデンウイークだけれど、気持ちはいつも変わらない。何があっても弱音を吐かないって気持ち。私はこれを自分のなかでGWスピリッツ、と呼んでいるの」


彼には、今日、2度目の”ぼうぜん”であった。


「休憩が終わったら、次はディナーの準備よ。ネタの仕込み方、教えるわ。忙しいとすべての量が多くなる。何かをおぼえるチャンスはこういう時に訪れるの」


 今日、3度目の”ぼうぜん”…GWスピリッツか…よしっ負けないぞ!と彼は胸の中で大きく叫んだ。


(世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)

胸の中の「エンジェル」

 ハナミズキの清楚な花びらが散り始める、ゴールデンウィーク前の金曜日の夕方、セーラー服姿の女子高校生が学校の鞄を片手に、ウエーティングルームに立っていた。襟元の赤いリボンは赤いハナミズキの花を思わせた。

「いらっしゃませ」と、チーフがお迎えすると、もじもじしているが、目はまっすぐ何かを訴えていて、「何か?」とあらためて聞いてみる。
「あのう、高校生のアルバイトは募集していませんか」と言う。

 そうなのか…とチーフは胸の中で思い、ゴールデンウィークを前に人手がほしいところだったので、「募集しています」と、笑顔で彼女に答えた。彼女は緊張していたのか、少し震え声で、「履歴書も持ってきています」と言う。

 頑張って一所懸命、前に向かってきているんだ…とチーフは感じ、「わかりました。少し待っていただけますか」と安心させるようにほほえんで、奥のほうの静かな席に案内した。

 店長は、昨日、今日と休みにしていた。奥さんと生まれて6ヵ月の女の子をゴールデンウィークが終わるまで奥さんの実家に帰すことにして昨日、茅ヶ崎まで車で送って行った。

 チーフは事務所から、店長の携帯電話に連絡を入れ、飛び込みで女子高生の面接が入ったことの相談をした。

 電話に出た店長からは「面接して、良い子だったら、また連絡を入れてくれ。彼女も待っているだろうし、明日は土曜日で、来れるのなら明日からでも来てもらえるとありがたい」という返事をもらった。

 チーフは女子高校生を待たせていた席に戻り、すぐに面接を始めた。履歴書を見ると、地元の女子高の2年生であった。「何をしたいの?」と聞くと、少し間があって、決心したように「フロアーの仕事です」と言う。はきはきしていない話し方なので、「フロアーの仕事? 大丈夫? お客様とお話ししなければならない仕事ですよ」とやさしく話すと、「はい。だから、やりたいんです。自分を変えたいんです」と彼女。

 彼女は涙を浮かべていた。肩を小刻みに揺らせ、絞り出すような声で「わたし、小さい時から、いじめられっ子なんです」と…。

「わかりましたよ。大丈夫ですよ」とチーフは言って、「私が今日からあなたの味方になりましょう。仕事も教えましょう。ただし、厳しいですよ。明日から来られますか」と彼女にほほ笑んだ。彼女もつられてほほえみ、うれしそうにぺこりと頭を下げ、「はい」と言って帰っていった。

 その彼女を育てたのは、「私ではなく、間違いなくお客様です。そして、いつも彼女に仕事を教え、励ましてきたパートさん、仲間のアルバイトさんです」とチーフは話してくれた。

 その彼女は短大に進学し、フロアーのアルバイトをつづけ、しっかりと一人前の大人にもなっていった。お客様に見られる仕事で、身だしなみも美しく、初めて会った時の幽霊のような暗い彼女の面影はもうどこにもない、ということも教えてくれた。

「その彼女はどうしているの?」と聞くと、「うちの会社に就職して、店長を目指しています。私より彼女の方が先に店長になるかもしれません。今は私のお嫁さんですがね」と照れて笑った。

 そして「自分で言うのもなんですが、私はチーフとして、ばりばり仕事ができて、そのことは、上司の店長、地区マネジャーも認めてくれているのです。しかし、何か一つ足りないんでしょうね。店長になるには」と言う。

「何だろうね」と彼に聞くと、彼はこんな話をしてくれた。

「ベテランの店長が言っていたのですが、店長になるには、胸の中にエンジェルがいなくちゃだめなんですって。お客様のハートをきゅんとさせる、世界最高のサービスの矢を射(い)ることができるエンジェルが胸の中にいることだと…」

(世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)

これから住む街

 札幌から関東の赴任地に向かう彼。羽田空港からモノレールに乗る。

 9年前、高校の修学旅行で東京に来た時は、羽田空港からはバスだったので、モノレールに乗るのは初めてだった。モノレールはしばらく、地下トンネルを走り、まるで地下鉄のようで、外の景色が見えず、いくぶん不安でもあった。でも、終点の浜松町駅まで乗っていればいいので、気分的には少しの緊張感だけであった。

 外が暗いので、窓は鏡のようになっていて千歳空港から乗り込んで来た婚約者のかおるの顔を見ると、自分の顔を見ていることがわかった。まずい、笑わなくちゃ、と彼は思い、目を彼女に向け、安心させるようにほほ笑んだ。かおるの目も笑っていて、こっちが励まされているようだな、と心の中で苦笑した。

 モノレールが地下を抜けて地上に出ると晴れていた。東京はきらきらとまぶしい、と東京湾の静かな光る波を見ながら思った。駅に止まるたびに乗客が増えてきた。天王洲アイル駅では、しゃれたビジネスマン、ビジネスウーマンが乗り込んで来た。目に入るビルがどんどん大きくなっていく。モノレールの車内は通路も立っている人でいっぱいになった。

 やっぱり、東京は違うなあ、と彼は思った。次から次に景色が変わる車窓から東京タワーが目に入ってきた。かおると二人で目を合わせ、テレビドラマで見た「おかんの東京タワー」だと二人でうなずいた。

 浜松町駅ではモノレールから降りるだけでも大変だった。押し合いへし合いで驚いた。人の帯が大蛇のようにくねくねとなって、エスカレーターや階段を降りて行く。流れについて行けば、JRの改札口だった。切符は赴任地に近い駅まで買ってあったので改札を通り抜け、京浜東北線に乗り換えた。

 お昼近くだったので乗客は多く、車内はいくぶん混雑していて、二人は大きなバッグを荷棚に上げ、電車のつり輪を握った。電車はけっこう揺れ、意外と必死につり輪を握っていなければならなかった。

 上野駅から、おばあちゃんが、よろよろと混雑する通路に入ってきた。電車が動き出すとよろけるように彼の腕を握った。「ごめんなさい」とおばあちゃんがペコリと頭を下げる。彼は「どうぞ、つかまってください」と言った。おばあちゃんは「すいません」と言って、また頭を下げる。すると向かいの席に座っていた若いビジネスマンが立ち上がり、おばあちゃんに席を譲った。おばあちゃんは申し訳なさそうに譲られた席にちょこんと座った。

 山手線から外れると車内はすいてきて、おばあちゃんも降りて、二人の席が空いたので座った。あと、3駅というところで、おなかの大きい、彼らとはそう年の違わない若い女性が乗り込んで来た。妊婦さんであった。

 彼はすぐに立って、どうぞ、と席を譲った。彼女はにこやかに「ありがとうございます」と言って、よっこらしょ、と言わんばかりにゆっくりと座った。彼女はかおると並んで座っている。いつか、かおるもこんなふうになるのかな、と思ってほほがゆるんだ。

 かおるは、なに笑っているのよ、という顔で彼を見た。なんでもない、と顔を横に振りながら窓の外の景色に目をやった。都心から離れた町並みはびっしりとビルや家が立て込んでいた。これもまたすごいなと彼は思った。電車は大きな河を渡った。海ほどに広い河だな、と思ったが、なぜか故郷にある風景のようで懐かしくも思えた。

 電車が停まって、かおるが立ち上がった。そうか、降りるんだ、と彼も思い、あわてて荷棚の荷物を降ろし、電車を降りた。階段を昇り、メモを取り出し、西口下車であることを確かめた。改札を出て、階段を降りていくと、電車で席を譲った若い妊婦さんが手摺りをつたって降りていった。

 階段を降りきったところで「あら、先ほどはありがとうございました」と彼女は二人に気が付いて、右手でおなかをささえるようにして、これが重いのよ、という顔をして、ふふふっと笑った。

 彼は思い切って、彼女に行き先のメモを見せて聞いてみた。「ここへ行きたいのですが」と。

 彼女は驚いたように、二人を見た。「私もとんでんなのよ。同じ社宅だわ。今日、主人は休みで今、駅まで迎えに来ているのよ。一緒に乗っていきましょう」

 二人はほっとして顔を見合わせた。これから新しい隣人ともなるであろう、おなかの大きい彼女の顔をまぶしく見つめ「ありがとうございます」と声をそろえて言い、深々と頭を下げた。

(世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)

羽田空港

 まだ雪の残る千歳空港を飛び立ち、羽田空港に着陸した飛行機の窓から見える"東京"はまるで南国のようにも思えた。東京は高校の修学旅行以来のことだな、と赴任地の関東店舗に向かう彼はいくぶん不安でもあった。

飛行機が到着口につけられ静止すると、千歳空港から乗り込んで来た、かおるが、しがみつくように腕をからませてきた。かおるは自分の人生を俺に賭けてきたんだ、とあらためて思い、彼はかおるの目を見て、任せておけって、という目で応えた。かおるも、それがわかって彼の目を見てうなずいてみせた。
 荷棚から、かおるのスーツケースと自分のショルダーバッグを降ろして

出口へ向かう列に並ぶと、この飛行機にはこんなにもおおぜいの人が乗っていたんだ、と驚く自分がいた。25年間、それこそ修学旅行以外に北海道を出たことがなかった自分が頼りなげで小さくも思えたほどだ。

 旅行客も多かったが、いかにもビジネスマンというスーツ姿の男たち、そしてパンツスーツ姿のきりっとしまった顔立ちの女性たちにも圧倒されそうな感じを持った。この中に自分もいる、と思った彼は、決して気おくれすることなく、逆に、よしやるぞ、という静かなファイトがわき上がってくるようにも感じた。

 到着ロビーに出た彼は、まずやらなければならないことがあると思った。 午前11時を回っていて、教えられていた赴任店舗の店長の携帯電話に掛けてみた。

 3度目の呼び出し音で、店長の声が聞こえた。彼は店長に「おはようございます」と明るい挨拶をして名乗り、「店長、報告があります」と伝えた。

「ぼく自身も信じられないことが起きたと思っていますが、結婚相手が千歳空港から一緒の飛行機に乗ってきたのです」

「何?」と店長も一瞬、事態がのみこめないというふうな声を出したがすぐに「わかった。心配するな。部屋のことはすぐに人事部に掛け合う。ちょうど既婚者用の部屋がひとつ空いている」と答えてくれた。

「いいのでしょうか。そこまでは考えていなかったのです。独身者用の部屋ですが、しばらく彼女と一緒にいても良いでしょうか、という許可をいただきたかったのですが…」

「何とかする。なんにしても良かったじゃないか。できるかぎりのことはする。地区マネジャーにも報告しておくし、力にもなってもらうから。そうか。それは良かった。おめでとう! それより店まで大丈夫か?」

「ありがとうございます。行けなきゃ格好悪いですから」

 
「そうだな。新郎君、頑張って! 待ってるよ」と店長のあたたかい声にほっとするように彼は電話を切った。

 店長は同じ北海道の出身と聞いていた。

「かおる、行くぞ」と彼は言い、モノレールの切符売場を目指した。

(世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)

空の上

 春浅い新千歳空港。まだ肌に冷たい空気を突き切るように、飛行機は滑走路を飛び立ち、新羽田空港を目指していた。札幌で生まれ、25年間、札幌にいたことの思いを、空から見える、残雪がかえってせつなくさせた。

(父さん、ごめん…)と彼は心の中でつぶやいた。札幌に父親ひとりを残して、〃志願〃して関東のとんでんに勤務することに決めた彼。

「関東に行く」と父親に打ち明けた時、父親から「かおるさん、どうするんだ」と言われたが、思いもしない、そのかおるはなぜか隣の席に座っている。

 飛行機に乗る寸前まで、かおるのことは忘れようとさえ思っていた。そのかおるが、彼のあとを追いかけるように飛行機に乗り込んで来た。

 そして彼の横の席の中年のご婦人に話しかけ、「すみません。私たち、結婚するのです。どうか、お席を代わっていただけないでしょうか」と、眉を八の字にして、手を組んで、まるで神様にお願いでもするように訴えた。彼もあわてて「すみません」と、きちんと頭を下げた。

 ご婦人はにっこり笑って「よろしいですよ、どうぞ。ご結婚、おめでとう。がんばりなさい。私も東京の息子夫婦に会いにいくのよ。というより孫の顔が見たくてね」と席を代わってくれた。

 飛行機は飛び立ったあと、雲を突き抜ける間中、ガタガタと機体を震わせ窓の外は霧に包まれ、かおるは怖がって、ひじ掛けの上の彼の手を握った。それはこれから始まろうとする、誰にもわからない彼らの未来への最初のシーンでもあった。

 厚い雲の中を抜けたあとは巡航速度となり、不安も徐々に遠去かり、機体は安定し、機内のドリンクサービスが回ってきた。その時には、かおるは疲れたのか、彼の肩に頭をあずけて眠ってしまっていた。

 女性の客室乗務員が小声で「いかがですか」と聞いてきたが、彼は声を出さずに口だけで「あ・と・で」と答え、笑顔のきれいなキャビン・アテンダントの彼女はうなずいて、後ろの席に進んでいった。

 千歳空港で、見送りにきた、一緒に勤務していた女子高生アルバイトさんから「かおるさんからあずかったの」と渡された小箱が、彼はずっと気になっていた。その小箱はスーツの上着の横のポケットに入っていたので、すぐに取り出すことができた。そっと包み紙を外して中を見たら、やはり、かおるに贈った指輪のケースだった。

なぜ、返してきたのだろう、と怪訝(けげん)に思いながら開けて見ると、中に二つ折りの小さな紙が入っていた。その紙をひらいて見ると、かおるの字で、「夢の始まり」と書いてあった。

 それを読んで、彼はくすっと笑ったが、とても温かいものに包まれるようにも感じたし、かおるを幸せにする責任の重さも感じた。指輪のケースをポケットに戻そうとした時、彼の肩がわずかに揺れ、かおるは一瞬目を醒ましたようだが、またすぐに目を閉じ、夢の中へ戻っていくようであった。

 肩にもたれて眠る、かおるに目を向けると、彼女の開いている胸に、彼が贈った指輪がネックレスになって彼女の胸を飾り、窓から射してきた朝日が、それをまばゆいほどに輝かせた。

(世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)

春の千歳空港

「父さん、話がある。おれ、関東に行くことにした」

 札幌のとんでんのレストランで1年近く、フリーターで勤めていた彼。

 夜の10時を過ぎ、会社の歓送迎会でお酒を飲み、久し振りにススキノで二次会をやって、ご機嫌よく帰ってきた彼の父親はうろたえ、酔いが醒めたように機嫌が悪くなった。

「母さんの一周忌が済んだばかりだろう」

「だから行く。おれ、もう25だよ」

「かおるさん、どうするんだ。いずれ結婚して、この家に住むんじゃなかったのか」

「わからん。だけど、おれは行く。店長が正社員にならないかって言ってくれたんだ。思い切って関東で勉強してみないかって。母さんに心配かけてばかりいた…」

「そうか」そう言われてしまえば納得せざるをえなかった父親は少し黙ったあと、「いつ行くんだ?」と落ち着いた声で彼に聞いた。

「来月。3月25日に…」

「そうか。おれは寝る」

 父親はそう言って、リビングを出ていった。出て行くときに、ちらっと仏壇の上の彼の母親の遺影に目をやったように見えた。

 それから1カ月後。千歳空港へ向かう電車の窓から、まだ残雪があちこちの日陰になっているところに固まりになって見えた。この景色ともしばらく、おさらばだ、と少しセンチメンタルな気分になった。

 正直、父親との別れも辛かった。つい1時間ほど前、「がんばれ!」と手を握ってしっかり目を見て言ってくれた父親の声が今でも耳に響く。  「かあさんが見ているぞ!」と言われたとき、涙がこぼれそうになって涙を見られないように「行ってくる」と言って背を向けた。

 空港に着いて搭乗口に向かう。フライトは朝一番の8時発の羽田行き。 搭乗口に向かうと、なんで? と思わず口に出るところだった。店長、チーフ、仲間の社員、パートさんまで、10人以上も来ていた。

(あぶない…)と彼はこらえた。

「どうしたんですか?」

 照れくさくて、そう言うしかなかった彼。仲間ってすごいな、と今さらながら彼は、心の中でうれしくて、そしてやっぱり、パートさんと同じように急な別れが悲しくもあった。パートさんは泣いたり笑ったり、彼もどうしてあげれば良いのかわからなかった。

 彼女、かおるは来ていないように思えた。アルバイトさんの女子高生まで、春休みだったからか、送りに来ていた。ハンカチを手に、顔がくちゃくちゃになっていた。すっと、その子の手が伸びてきた。包装された紙包みを持っていた。受け取ると、「かおるさんから」と彼女は言った。

(ああ、やっぱり来ないんだ…)と彼は寂しく思って、本当に最後の最後で泣けてきた。形からして、かおるに贈った指輪を返してよこしたように思えた。

 店長が肩をたたいて「今日はめでたい、おまえの旅立ちの日だ。どこまで大きくなるか、俺も楽しみにしている。幸せになれ!」と励ましてくれた。その店長の頬にも涙がつたっていた。「がんばれ~」「がんばれ~」とたくさんの声が空港ロビーでこだました。

 「じゃ、私、行きます。皆さん、ありがとうございました」と言うやいなや「バンザイ!」「バンザイ!」の連呼。(ああ恥ずかしい…でもなんていい人ばかりなのだろう)と肩を震わせながら彼はチェックインし、飛行機内へ向かった。間もなく、うしろで大きな声がどよめいたように思えた。彼の名前を呼んでいるような気もして、最後のさよならをしよう、手を振ろうと思って振り向いた。

 春色のワンピースを着た若い女性が、真っすぐに彼に向かってやってきた。スーツケースを持った、かおるだった。拍手が聞こえる、拍手が…。

(世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)

仲間がいる

 3月に入って、梅が盛りを過ぎて散り始め、白梅の花びらが胸の中にまで降りしきるようで、不意に寂しさを感じたりする。

店長になってから十年があっという間に過ぎた東北出身の彼。この半年あまり、実家の父親の病状が思わしくなく、何度か実家に帰ることがあった。その父親も力つきて亡くなり、葬儀を済ませ、その四十九日法要も母親と二人きりでいとなんだ。

 父親の葬儀の時、おおぜいの仲間が励ましてくれた。自分にはこんなにもおおぜいの仲間がいたんだ、と改めて知ったほどだ。その情けの深さに葬儀の祭壇の前で、父親のほほえんでいる遺影を見た時、父親が「よかったな」と言ってくれているようで、こらえきれずに涙がこぼれた。

 親孝行らしい親孝行ができなかったな、と悔やんだ。彼が初めて店長になった時、わざわざ父親と母親が二人で特急電車に乗って、勤務店舗まで来てくれた。そのうれしかった思い出が今もよみがえる。二人がお店に来てくれたのはその一度きりでしかなかった。

 妻とは若いころ、一緒の店で仕事をしていた。美しくてまぶしくて、ライバルはたくさんいて、結婚をしてくれるなんて思えなかった。その彼女に思い切ってプロポーズをして、彼女がうなずいてくれた時、うれしくて絶対に幸せにしようと思った。そう思いつづけて今も頑張っている。子供ももう小学校にかよっている。

四十九日法要の時に、母親に「母さん。落ち着いたら、関東にきて一緒に住まないか?」とすすめてみた。

「ありがとう。父さんを一人で置いていくわけには行かないから、私はこっちにいる。それにこっちにはたくさん、お友達もいるしね。淋しくなんかないから。それより、あんたたち一家が健康で幸せでいることが、母さんには一番の元気のみなもとさ。さあ、早くお帰り。あんたの家族も、それにあったかあい仲間もあんたの帰りを首を長くして待ってるよ」

 母親は気丈(きじょう)に、降り積もる雪を載せた竹のような、しなやかな強さを見せた。彼は母親にもまだまだ教えられるものがあるなあ、と心の中で思った。

「わかったよ。母さん。俺、帰るわ。俺も電話するけど、母さんも時々電話をくれよ。安心できるから」と彼は両手でひざをつかんで、涙が落ちようとするのを耐えた。泣き笑いの彼に母親は「ほらほら」と彼を立たせた。

 父親が入院して危篤の知らせがあり、新幹線と特急を乗り継いで病院に駆けつけた時、彼を待っていたように、父親の意識はまだはっきりしていた。

 待っていたぞ、という顔をする父親に、涙もろい彼はとめどなく流れる涙を拭こうともせず、「父さん。仕事って、格好をつけて、自分だけで考えてやろうとするものではなく、わからなければ、素直に頭を下げて教えてもらえばいいんだよね。仕事の深さを四十近くにもなって、やっとわかりかけたような気がする。どうしようもない息子だよね。俺って」と語りかけた。父親の最期という時に、こんなことしか言えないのか、と彼は思った。

 しかし、父親は一瞬、生気を取り戻したように語り始め、「そんなことはない。そのことを一生、わからないで終わる人もいる。遅くはない。わかっただけ大人になったということだよ。よしっ!」と彼の目を見つめた。 こんなに父親に見つめられたのは、何十年ぶりだろう。その言葉はまるで遺言のように彼の胸に響いた。

 母親との二人きりの四十九日法要を終えての帰り、真っ直ぐ自宅に戻らず、妻と孫に、と母親から持たされたおみやげの入ったバッグを片手に、彼は初めて店長になった時の店舗に寄ってみた。

 テーブルに座る彼に、永く勤めているフロアーのパートさんが、「お久し振りでございます」と、おしぼりとお茶を出してくれた。そして、「お父様、ご愁傷様でした。一度、いらっしゃいましたよね。お父様とお母様で。あの時、おみやげもいただいて、本当に…」と言って、あとは言葉を飲みこんで、頭を下げた。
 親父とお袋がお店にきてくれた時、この席に座っていたんだよな、と彼は思った。「おぼえてくれていたんだね。ありがとう」と彼。

「今日は何かご用で?」とパートさん。

「うん。今日はあの時のように、親父とお袋を連れて来たんだ」と彼が言うと、彼女はあたりを見回した。
「いや、冗談、冗談。親父の四十九日の法要の帰りさ」と彼は顔の前で手を振り、ほほえんだ。

 彼女は、なあんだ驚かせないでくださいよ、という顔で胸に手を当て「淋しくなりましたね」と言ってくれた。彼女の眉が八の字になっている。

「そうだね。でも今回も、父親にも母親にもたくさん教えられたよ。心配ばかり掛けた親不孝者だったな、と反省するばかりですよ。実家からの帰り道、この店に真っ直ぐ寄って、気持ちの上で、もう一回、心を新たにしてみようと思ったんだ」と彼は彼女の目を見て、唇をしっかり結んだ。

「そうでしたか。ごゆっくり、どうぞ」とパートさんのあたたかな声が心の中だけでなく、店内にもゆっくりひろがっていくようであった。

 (世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)

ひなまつり

 ひな祭りソングの「あかりをつけましょ ぼんぼりに」で始まる歌の題名は『うれしいひな祭り』で、山野三郎作詞となっています。山野三郎は詩人サトウハチローさんの変名の一つと言われています。クリスマスソングの「ジングルベルジングルベル すずがなる」という歌の作詞者は、埼玉県羽生市に在住していた詩人・宮澤章二さんが作詞したもので、詩人が広く大衆に歌われる歌をつくっていたのでした。

 とんでんでは社員の昇進過程の中で、新入社員で店舗に配属され、数年経って異動で他の店に移り、そこでチーフになって、また、別の店に店長で最初に配属された店舗に戻るということもあります。

 3月1日の定期異動で、最初に配属された店舗に6年振りに店長で戻ってきた彼。8年前、共に仕事をしていたキッチン、フロアーのパートさんはすっかりベテランの域(いき)に入っていて、懐かしさもあったが、「立派になって戻ってきたね。うれしい」とほめてくれて、照れくさかった。

 店長として3日目、ひな祭りの日。この日は、たまたま土曜日で、ランチは小さいお子様たちを連れたご家族が多く来店された。

 ランチのピークは満席でごった返し、ウエーティングルームで待つお客様もあふれるほどでした。店長もフロアーで指揮を取りながらも接客サービスのフォローをこまごまとおこなっていた。

 ピンポーン、とお客様がお呼びの合図音が鳴った。フロアーにはたまたま誰もいなく、店長が「はい。ただ今、お伺い致します」とテーブルに行くと、「お水をください」とお子様のグラスを持ってお願いされた。

 2~3歳の女のお子様が可愛い着物姿で、エプロンをして、おじいちゃん、おばあちゃんもご一緒に楽しそうに三世代でお食事をされていた。  お子様の口のまわりや手を拭いたのか、おしぼりが汚れていた。グラスも汚れていたので店長はウォーターステーションに戻り、お子様のお水だけでなく、新しくお茶もいれて持って行き、すべて取り替えて差し上げた。そして、「おしぼりもお取り替えします」と言って取り替えて、「ごゆっくり、どうぞ」とお客様の目を見た途端、若い奥様が「店長さんは前にこの店にいましたよね」と声を掛けてきた。

「はい、8年前、新入社員でこの店に配属され、2年間おりました」と店長。

「おかあさん、やっぱり、そうだったでしょう」と、若い奥様はおばあちゃんの顔を見て、にっこりほほ笑んだ。

「店長さんになったんだ。おめでとう」と言ってくださったのはおじいちゃんだった。彼はめまいがするほど猛スピードで過去をさかのぼってみた。そして思い出し、「あの時のお客様でいらっしゃいますね。その節は大変ご迷惑をお掛けしました」と、改めて深々と頭を下げた。

 彼が初めて、フロアーに出て、お食事をワゴンでお席に運び、いざテーブルに載せようとしたものの緊張のあまり手をすべらせ、お盆に載っている料理を全部落としてしまい、お客様の洋服まで汚してしまったことをまざまざと思い出した。

 当時の店長も平謝りで対応し、彼がおろおろしていると「落ち着きなさい。私は大丈夫だから」と、やさしく声を掛けてくれたのはあれから7年過ぎておじいちゃんになっている方でした。あの日、お帰りになる際も、謝罪する彼に「大丈夫だよ。がんばんなさい」と励ましてくれたことがあったのでした。

「あの時、私もいたのよ」と若い奥様。「まだ独身でしたけどね。店長さんは、結婚は?」

「はい。私もお陰様で結婚致しました。今日か明日にも子供が生まれそうなのです」

「あら、おめでとうございます」と若い奥様とおばあちゃんの声がご一緒でした。

 店長は、ほほ笑みいっぱいに「ごゆっくりどうぞ。本当にあの節は、励みになりました」とお礼を述べて下がった。

 その日のディナーでは、見覚えのある三姉妹のお客様がご家族一緒に10名様で来店され、店長の彼が気づいた。フロアー係がご案内のあと、お席に行って「いらっしゃいませ。お久し振りでございます。この度、店長で戻って参りました。どうぞ、よろしくお願い致します」としっかり挨拶をした。

「本当にお久し振りね。おぼえていてくださってうれしいわ。3月3日は私達姉妹、必ず、ここで食事をすることに決めているのよ。あの頃は3人だけの食事だったけれど、今はごらんのように家族も増えました」と長女と思われるお客様。

「ありがとうございます。お変わりございませんね」
「はい。ありがとう。私達、上のふたりは結婚したけれど、末の妹がまだなの。店長さんは、ご結婚は?」

 今日、二度目のご質問でした。
「今日か明日にも子供が生まれそうなのです」

「あら、それは残念、じゃなくて、おめでとうございます、ですね」とお3人様、一瞬笑い声が大きくなりましたが、口をおさえて、皆様、あとは小声で「よろしく。頑張って」とおっしゃっていただけました。

 再び、店長の彼がフロアーをすべて見渡せる位置に戻り、フロアー全体を見回していると、ピンポーンと鳴った。「はい。ただ今、お伺い致します」とお席に向かっていく通路でお帰りになるお客様と交差する。「ありがとうございました」とお辞儀をして、気づくと、抱っこされたお子さんとお母さんが小さな声で歌っていた。「お花をあげましょ 桃の花 五人ばやしの笛太鼓 今日はたのしいひな祭り~」と歌いながら出口へと遠去かっていく。ほのぼのとした絵本のような母子の姿をお見送りした。

 その夜、彼は店から真っ直ぐ、奥さんが入院する産科を訪ねた。そして、真夜中から初めての出産に立ち合い、奥さんの手を握りながら、「がんばれ」「がんばれ」と励ましつづけ、朝方、元気な女の子の産声(うぶごえ)を聞いた。

(世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)

磨き屋

 出勤途中、散り始めた梅を見ながら、つくづく関東の春の早さを思う。

 札幌の大学を卒業して関東の店舗に勤務して4年目を迎えようとする彼。千葉から神奈川の店に異動になって1年が過ぎようとしていた。

 お店に出勤して更衣室でフロアーの仕事着に着替える。2カ月前にキッチンからフロアーの仕事に移った。着替えて姿見の鏡に映った全身を上から順に目線を下げていくことを習慣にしているが、まず髪の形をチェックする。

 次にワイシャツの両方の襟の先を親指と中指でつまんでピンと伸ばし、ネクタイをきちっと締め上げ、ズボンの太もものちりを払うように両手の指でササッと払い、今度は後ろ向きになって、首だけを鏡に回し、後ろ姿全体をチェックする。

 そして前を向いて笑顔。「練習した分だけしか結果は出ない」とスポーツ選手がよく言う。彼もそう思っている。もう一度、笑顔!

 靴をはく前に、手にとって靴の底までチェックをしてから、きれいに磨かれているか、靴の踵(かかと)は減り過ぎていないか、それから、おもむろに踵(かかと)が折れないように、靴べらを使ってきちんとはく。(靴の踵の折れじわはお客様の食欲を失わせる…)とつぶやく。

 ステーションに貼ってある接客六大用語を、お客様を想像しながら一語一語噛みしめるようにゆっくりと心を込めて発声する。(これも練習…)

 その後、入念に手を洗って、フロアーに出る。彼はフロアーに出ていく前に決まって一礼をするが、そこには空手や柔道、剣道の試合の始まりのような、ピーンと張り詰めたものがあった。

 オープン前の静かなフロアーを見渡しながら、右に左にと目を動かしながら、何か異変がないか、たとえば、壁に貼ってあるポスターが真っすぐ貼られているか、テーブル上のスタンドメニューがきちんと置かれているか、紙ナプキン、スティックシュガー、爪楊枝などは量も確認しながら見て行き、玄関を出る。

 すでに清掃が終わっている駐車場をいくぶん早足で見て歩き、特に風のある日は角々で足を止め、ゴミがあれば、ポケットに忍ばせておいたビニール袋に入れて回収する。玄関に戻って、表側から玄関を見回し、ガラス面に汚れが残っていないかチェックをする。特に取っ手付近の指紋があれば、中側、表側ともにしっかりと拭き取る。何もなくても、から拭きをしておく。ウエーティングルームでは椅子に座ってみて、特に目が行く天井を入念に見る。

 そして、トイレに入る。洗面台が濡れていないか、便器、床をチェックする。洗面台は汚れていなくても、改めて、から拭きをする。まれに清掃用具入れのドアを開けて見るお客様がいらっしゃるのでここもチェックをする。(整理整頓…)と頭の中にこの4文字の漢字を浮かべる。

 最後に手をしっかり洗って、水気は残さないように拭き取る。トイレ点検を終えてフロアーに出ると、間もなくオープン時間。お客様を迎える準備はできた。

 キッチンにいた3年間も、彼は「磨き屋」と言われるほど、少しの時間でもあれば鍋や調理台をぴかぴかに磨いていた。

 彼の心に浮かぶのは、彼の兄からの1枚の葉書。高校卒業と同時にフランス料理のコックになる、と札幌から東京に出て行った兄。6年ほど音信不通だった兄から届いたセーヌ川とノートルダム寺院の絵葉書。もう黄ばんできているが、大切にしている絵葉書に書いてあった言葉。「パリに来て3年になるが、朝から晩まで、俺のやっていることは、鍋と調理場磨きだけ。それだけでも俺は強くなったと思う」

 (世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)

もう一歩

 午後9時、フロアー勤務を終えて事務所に戻ってきた、あとひと月もすれば入社3年目になる女子社員が、椅子に座りながら「はあ」と大きな溜め息をついた。

「どうした?」パソコンの手を停めて、店長が声を掛けた。

 20歳の彼女が、クスンと鼻をすすったので、「風邪でも引いたか」と聞くと、椅子に座って、両手をひざの上に置き、肩を落としている。

「何かあったか?」

「私、自信なくなりました」

「なんで? 今、フロアーは君がいるから、フロアー全体が明るくて、良い雰囲気になっているんだよ。それが自信ないっておかしいだろう」

「はい。今、お客様からお叱りを受けたのです。中間下げ膳をしていてお済みでしたら、お下げします、とお声を掛けたのです。そうしたら、お客様から『私はまだ食べている。4人で来ていて、一人でも食事をしていれば、下げ膳は待つものだよ。ものにはタイミングってものがあるんだ。ですから、下げて良いかどうか聞いているでしょ? ということにはならないんだ。君がお客の立場ならどうだ?』と言われました。私はお済みだと思ったのです」

「今までそうやってきて、そのように厳しくお叱りを受けたことはない。なぜか、くやしい?」
「はい」下を向いたままの彼女。

「お客様にはいろいろな方がいらっしゃる。今まではそれで、はいどうぞとか、まだです、と言ってくださったかもしれない。でも今日、君が応対したような厳しいお客様もいらっしゃるものだ、という慰め方はしない。そのお客様は初めてご来店のお客様ではないだろう?」と店長は問いかけた。

 彼女はまだ、うつむき加減で「はい。月に2、3度はいらっしゃっています」と答える。

「そうだろう。前はそれで良かった。しかし、今日は違った。だから、君は余計に心が揺れた。むしろ、お客様とは信頼関係ができつつあったのに」

「はい」彼女は顔を上げて店長の顔を見た。

「お客様は、君を信頼しているからこそ、君に言ったんだ。もう一歩深くお客様の立場になれ、と。お客様を本当によく見ていれば、どのタイミングでいけば良いか、そして言えば良いか、と君に教え、君に気づいてほしかったのだと思う。違うだろうか」

「……」

「同じお客様でもご一緒されている方や、どういうお食事会なのかということでも違う。接客サービスは、これで良いというものはない。技術だけでなく、心も求められるからね。常にベストを尽くすだけだ。それで心が届かなければ、そういう自分にくやしがれば良い」

 何かピンときたように、彼女はこぼれた涙を人差し指でぬぐって、真顔になっていた。

「帰ります。店長」という彼女のいつもより張りのある声に、店長は安心しつつも「これからまだまだ、涙が出ることはたくさんある。くやし涙も、うれし涙も、自分に歯がゆい涙も、いろんな涙がある。どれだけたくさんの色の涙を流したかで、人はより強くも、よりやさしくもなれるんだ」と声を掛けた。

「わかりました。店長。これからも自分に足りないものをお客様が言ってくださるのですよね」

「そう思わなくちゃ、この世界だけでなく、仲間や家族とだって、どんな世界だって生きてはいけないよ」

「はい。もう一歩深く、ですね。わかりました」彼女はしっかりと椅子から立った。

「そう、いつももう一歩。やっと笑ってくれたな。お疲れ様」

(世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)

日本一

 節分を過ぎると、日よりも良くなってきた。お日様のやさしい日々が続くようになった。

「すみません、今日(きょう)は。急に団体さんが入って、ご協力、ありがとうございました。お昼ご飯も食べそこないましたね。申し訳ない」と、店長はキッチンのパートさんに頭を下げた。

ランチピークの終わった午後2時に入ってきた12名の団体さんの対応に一気に追われることになり、勤務が午後2時までのキッチンのパートさんに三拝九拝して延長勤務をお願いしたら、都合のつかない方が多く、お鮨を担当しているパートさんだけが残ってくれた。

 団体のお客様は笑い声が絶えず、会社の小旅行の途中のようで、どなたかが話す度に、どっと笑い声が上がった。

 注文は皆様同じで、お鮨、天ぷら、そば、茶わんむしがセットになった"さざんか"であったが、「できるだけ急いでお願いしたい」ということであった。店長もお席にご案内したあとキッチンに入り、天ぷらの盛り付けなどを助けた。

 お鮨を担当したのは残ってくれたパートさんで、早い、きれい、うまいの3拍子がそろった、ランチピークに打ってつけの方でしたから、お会計の際にはお客様から「急がせて悪かったね。本当においしかったよ」「今度は家族を連れてきたいね」「お鮨、最高!」「天ぷらもね!」と、いろいろとおほめの言葉をいただきました。

 お客様がお帰りになったあと、事務所には協力してくれたパートさんと店長だけだったので、「本当に助かりました。これ、口に合うかどうかわかりませんが、うちのかみさんが、この間のおみかんのお返しだって、手作りのクッキーなんです」と、小さな手付きの紙袋を差し出した。

「そんな、店長さん」と言って彼女はとても恐縮している表情をした。

「おいしかったですよ。息子さんがつくった、みかん。ちゃんとお母さんにお返ししているじゃありませんか」

 彼女の息子さんは有名私立大学を卒業して大手銀行に勤めていたが、自分には向かない、と退職し、全国を放浪の末、今は和歌山のみかん農園に雇われている、ということは聞いていた。

「本当においしかったですか。肥料にこだわった有機栽培で日本一うまいみかんとか、私にはすっぱいばかりで…」と涙ぐんでいた。

「大丈夫。男はこれだ、と思ったらまっしぐらですからね」

「店長さん、聞いてください。昨日、その農園のお嬢さんという方から手紙が来て、実は息子と大学で一緒だった、というのです。心配しないように、と書いてありました」

「そう。じゃあ、今度、お母さんに会いに来る時は、そのお嬢さんと一緒かもしれませんね」と、店長は、きっとサプライズは起きると思い始めた。

「そんな店長さん…」彼女は手を振って、ありえないという顔をした。 すーっと流れた涙を手の甲でぬぐいながら笑いがこぼれた。

「いや。世の中わからないものです。人間、おさまるところにおさまるものです。息子さんが帰ってきたら、ぜひ、うちの店で、お母さんの腕を見せてやってください。お母さんの腕も日本一。私が保証します」

(世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)

北北西に

 節分が近づくと、「おにはそと~」「ふくはうち~」と小さいころ、鬼役の父親に豆をぶつけたことをいつまでも忘れないでいる16歳の彼女は高校1年生。高校3年の兄と一緒に同じとんでんの店でアルバイトをしている。兄はキッチンで天ぷらラインを担当し、揚げ物の腕は、店長だけでなく、お客様からもおほめの葉書が届くほどあった。

 妹はフロアーで下げ膳を担当して手早く片付け、次のお客様をできるだけお待たせしないように気働きができて、フロアーのパートさんから頼りにされるようになっていた。

 もうすぐ兄は受験。父親は5年前にリストラで退職を余儀なくされ、40代という年齢で新しい職になかなか就けなくて、東北の実家に戻って農家の手伝いをしている。実家の老いた両親は彼を歓迎してくれた。慣れて行くうちに両親は「家族ごと来ないか?」とも言ってくれた。

 母親は結婚前に勤めていた保険会社の事務に嘱託で復活できて、何とか生活はできている。父親も農閑期は土木関係の日雇い仕事があれば、出るようにして、その稼いだお金の中から数万円でも送金してきた。

 その父親から最近、「新しく野菜の温室栽培を始める」という連絡があり、「1年中、安定した収入を得られるように、みんなを呼べるようにしたい」と本格的に農業従事に力を入れていく計画を手紙で書き送ってきた。

 それを読んで、母親は体もきゃしゃだったし、自分が農業を手伝えるかどうか、不安に思っていた。今の仕事で何とか子供たちを社会人になるまで育てあげたい、という気持ちが強くなっていた。

 子供たちも今の学校に愛着があり、自分たちなりに進学目標も決めている。兄の目標は英語が好きで経済学部に進み、父親が〃退場〃させられた商社に入って海外を飛び歩くことだった。父のリベンジだ、という気持ちもあった。妹は保育関係に進みたかった。

 農業に活路を見いだそうとする父親の思いを、別れて暮らす母子は複雑な思いで受け止めていた。
 今年の節分の日は土曜日であった。妹は冬休みのアルバイトでいつもより多く給料をいただいていたから、お店で販売している「恵方巻」を3本予約していた。

 節分の日の朝、妹は母親と兄に「神社に行ってお兄ちゃんの合格祈願をしようよ」と提案して近くにある神社に昼の1時に集合することにした。

 神社に集まった3人はそろって並び、お賽銭を投げ入れ、手を合わせて合格祈願をした。それが終わったところで、妹は恵方巻を母と兄に渡し、「今年の恵方は北北西、お父さんがいる方よ。黙って食べるのよ」と言った。

 母親は、ほろっときていたが、黙って、恵方巻を食べながら、(子供たちの成長を感謝しています。私、お父さんに会いに行きます)と祈った。

 兄は(いつか、みんなでまた暮らせますように)と祈った。

 妹は(お母さん頑張れ! お父さんも頑張れ! お兄ちゃん、絶対絶対、合格!)と祈った。

(世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)

せき込むお子様

 人の習慣というのは、ある日突然、変えなければならないきっかけがおとずれるようだ。

 関東の冬は1月が一番寒く感じるが、風のない日中なら小春日和を思わせるやわらかな陽射しが心地よいときもある。平日の午後1時半過ぎ、そろそろランチのお客様も減り始め、4~5歳くらいの男の子を連れた30代なかばの清楚な感じのお母様とそのお母様、つまり、おばあちゃんの3人連れでご来店された。

 フロアーには、地方の大学を出て、とんでんに入社し、お店のキッチンで2年仕事をしてフロアー担当に代わった男性社員がいた。とにかく仕事は一生懸命で、まずチーフになることを目標にしていた。

 フロアーの仕事にまだ、ひと月もたっていなく、毎日、お客様が違うフロアーの仕事に慣れようと、そのことだけの毎日であった。

 この3名のお客様をご要望の禁煙席のお席にご案内したのは彼だった。そのあと、ウォーターステーションで、お茶とお子様にはお冷や、そしておしぼりを用意していた。

 男のお子さんが、せき込み始めているのが耳に入ってきた。(風邪でも引いているのかなあ…)と湯飲みにお茶をそそぎながら心配していたら、フロアーのパートさんが、「私、代わります」と言ってきた。

 すごいなあ、この人は…と、フロアーに出て以来、心の入った仕事に感心していて、「私が代わります」と言われても特に反感はなかった。

 彼はずっと、彼女の動きを見ていた。せき込むお子さんを気づかって、冷たい水ではなく、ぬるめのお湯をお持ちして、そのことをお客様に告げていた。お子様は、低アレルゲンハンバーグランチを召し上がっていた。担当した30代のパートさんは本当にきめこまかく、おもてなしを続け、帰りにはお客様が何度も彼女に頭を下げ、「おいしかったですよ。ありがとう」とお礼を言っていた。

 ああいうふうなおもてなしを自分もできるようになりたい、と彼もまた頭が下がる思いで彼女の一挙手一投足を見ながら(勉強になるなあ…)と心の中でつぶやいた。

 彼女は午前11時から午後3時までの4時間勤務であった。彼は3時の休憩で、事務所で勤務を終えた彼女と一緒になった。「先ほどは代わっていただいて、いい仕事を見せていただいて、ありがとうございました」と素直に話した。

 すると、彼女は目を輝かせながら「私がなぜ代わったかわかりますか。私にも、これから迎えにいく保育園の娘がいて、少し、喘息(ぜんそく)気味なのでわかるのですが、小さい子達は煙草の臭いに敏感なのです」と言われ、彼はハッとした。ヘビースモーカーで今朝からもう10本近く吸っていた。

 彼女はやさしく、「煙草の臭いは服に着いてしまうんです」と彼に言って、「お先に失礼します」と明るく帰っていった。

 彼の実家は、地方の小さな駅前食堂であった。彼は思った…オヤジは若いとき、京都の割烹料理屋で修行を積んだことがある。そのオヤジがよく言っていたっけ。「調理人は舌が命だ。この店を継ぐにしても、熱いお茶は駄目、煙草は吸わないこと」と言っていたのを思い出した。

 煙草の習慣は、ちょっとの暇でもあると吸いたくなるものなあ、よしやめよう! と、事務所のテーブルの上のすでに吸殻で一杯になっていた灰皿を片付け自分できれいに洗い、テーブルに戻しておいた。

 彼には半年後に生まれる、新しい小さな家族も増えようとしていた…。

(世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)

風の音が聞こえるか

「風の音が聞こえるか?」と、ぽつりと店長が言った。お店のオープン前にフロアーに立った店長と若い社員。

 どこの風の音だろう、と異動してきたばかりの若い社員がきょろきょろ見回した。「換気扇ですか?」と真面目すぎるほどの社員。いかにも発見した、という顔で店長の顔を見た。

「ちがう。外の風だよ」と店長。静かだった。「えっ。外の風?」と社員はガラス越しに外を見る。「店長は外の風が聞こえるんですか?」「君には聞こえないのか?」

 若い社員は声には出さなかったが、聞こえるはずがないではありませんか、という顔をした。

 「想像力だよ。大事なことは」

 外は紙くずが空まで舞い、電線が揺れていた。1月も半ばになろうとしているのに、関東の木枯らしは意地が悪いほどに冷たく感じることがある。

「外を見たら、風がびゅうびゅう唸っているのがわかるだろう。駐車場を見ていたら車が入ってくる。想像力があれば、その車の音も聞こえるはずだ。車が入ってきたら、お客様だ。そこから、すぐにお迎えの準備だ。玄関に入ってきてからでは遅いんだ。もし、お客様がお体の不自由な方であれば、何かお手伝いをすることはないか、少なくてもドアを開けて差し上げる、そのドアを開けに行く途中でも、玄関口から近くて良い席はないか瞬時に判断しておく。この仕事で大事なのは想像力と、聞こえない音を聞く心、見えないものを見る心だよ」

 若い社員は引き込まれていた。

「もし、君がキッチンなら、客席が見えなくても、仕込みをしながらでも、玄関の開いた音、いらっしゃいませのお迎えの声、オーダーを取ってオーダーがプリンターに音を立てて打ち上がってくる音、その時々刻々に変化する音を聞き取り、調理のスタンバイ態勢をつくっていく。オーダーがモニターに写ってから始めたら、もう後手後手にまわるだけ。時間に追われるのではなく、時間をプロデュースしていく。わかるか? 今はわからなくても、きっといつかわかる…想像力と心を磨いていけば…」

 駐車場に今日、初めてのお客様の車が入ってきた。若い社員は目をこらして1台の車の動きを追っている。彼は玄関に向かって歩き始めた…。

(世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)

成人になるって

 春には満開の花咲く桜並木も、葉をすべて落として枝ばかりとなっていた。冬の木枯らしの中を、桜の花を思わせるようなピンクのニット帽にピンクのマフラーをして自転車のペダルをこぐ彼女。

 昨日の夜、お母さんとケンカをした。「再婚するけど、あんたも来るよね」と言われ、突然のことだったので、つい彼女は「行かないわよ」と言ってしまった。お父さんは、彼女が5歳の時、山村の橋梁(きょうりょう)工事に従事していて、豪雨で発生した土砂崩れに巻き込まれて亡くなった。 母一人子一人、食いつなぐようにしてお母さんのいくつかのパート仕事で何とか暮らしてきた。彼女も高校に入ってからは、隣に住んでいたおばさんの紹介で、とんでんのお店でアルバイトをしながら、いくらかでもお母さんの助けになろうと頑張ってきた。

 隣のおばさんはキッチンの天ぷらラインを担当していて、「絶対に料理をおぼえたほうが、あとあといいから」とすすめられるまま洗い場から始まってキッチン内で仕事を教えてもらった。アルバイトをしていた頃の平日の勤務時間はディナーの3時間、土日・祝日はお店からお願いされた時間、夏休み、冬休みは8時間フルタイムで、お願いされたその日のシフトに従った。

 高校2年の時にはお鮨を完璧に握れるようになって、ピーク帯の鮨ラインに彼女がいるといないとでは大きな違いが出るほどであった。

 勉強もそこそこ頑張ったし、何よりもお店に来ることが楽しかった。高校3年になって、お母さんから「大学に行ってもいいのよ」と受験をすすめてくれたが、それほどの余裕があるとは思えず、何かあてがあるように感じて、それがまた何かいやな気がして、「大学へは行かない。わたし、とんでんに就職する」と言ってしまった。心の中では(そうだ、口のうるさい地区マネジャーにお願いしてみよう…)と思ったりもした。

 勤務時間の関係もあって、月に何度も会えない地区マネジャーだったが、来ると彼女に声を掛け、「手を洗えよ。エプロンは手を拭くためにあるんじゃないんだ。きれいなエプロンで仕事ができてこそ1人前。それから、そんなやせっぽちじゃ体が持たんぞ。しっかりご飯を食べろよ」と言われ、お父さんのいない彼女にはうれしかったくらいだ。

 アルバイトだったから、いつ会えるかわからない地区マネジャーにお願いをする前に、店長から「大学に行かないのなら、うちの正社員にならないか。人事部に推薦するよ」と熱心に話してくれて、一日だけ考えて決心を固めた。お母さんはそのことに少しだけ驚いたけれど、「2年半も勤めたとんでんさんだし、あんたが決めたことだから、反対はしない。頑張りなさい」と笑顔なのに涙ぐんでいた。もらい泣きしそうになって、彼女は「うん」と言って背を向け、「じゃ、アルバイトに行ってくるね」と家を出た。

 その翌年に正社員になって2年目の冬、キッチン内の作業はひと通りできるようになっていたし、何よりも、みんな親切で家族のように接してくれた。だから、ちっとも淋しくなかった。年が明け成人を迎える彼女。お店の駐輪場に自転車を止め、彼女は思いを決め、心の中でこうつぶやいた。

(今夜、お母さんに言おう。お母さん、もう自由になっていいよ。20年もわたしのこと心配してくれたけど、わたし、もう成人になるんだよ。大丈夫。楽しい時ばかりじゃなく、人には言えない辛いことや悲しいことがあっても、私には大家族のような仲間がいるし、会社にお願いして寮にも入れてもらうようにするわ。そう、私はもう独立の時よ!)と…。

 お店の駐輪場で自転車を降りて、少し息をととのえてから、お店のドアを開けていつもより元気良く「おはようございます」と挨拶をして中に入る。

 そして、先に来ていた先輩のパートさんの顔を見ながら、(今日もたくさん、大学では教えてもらえないことを学ぶんだ)と、一人一人に「おはようございます。今日もよろしくお願い致します」と、ほほ笑みながら頭を下げ、更衣室に向かった。

(世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)

新年がやってきた

 車で通勤途中の高台で、朝日に映える富士山がひときわ、きれいに見えたのは元日の朝だったからだろう。

 昨夜、大晦日の夜までおせち料理のご予約のお客様への引き渡しがあり、お引き取りのお客様一人一人に「ありがとうございました。良いお年をお迎えください」とお礼の言葉を述べたとおりに、自分にとっても新年の朝は本当にすがすがしく、昨夜までの疲れも吹き飛んでしまうほどであった。 昨年春の定期異動で店長に昇進し勤務店舗も変わった。そして夏が過ぎ秋が過ぎ、年が明けて、店長として新年を迎えた彼。「元旦はオープンから、みずからお客様をお迎えしたい」と28歳の彼は思った。

 元日の朝も変わりなく出勤してくださったキッチンのパートさん、フロアーのパートさん一人一人に「明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。今日の出勤、ありがとうございます」と挨拶をした。

 いつものように、キッチンシューズを履いて、ネット付きのキッチン帽子をかぶり、胸までの長いエプロンをつけ、手を入念に洗ったあと、キッチンの中に入り、冷蔵庫、冷凍庫内の食材をチェック、キッチン内の清掃状況も確認した。仕込みのパートさんにも今日の売上目標を伝え、「今日もよろしくお願い致します」と声を掛けた。

 フロアーのパートさんが接客六大用語を唱和している。どのパートさんも指示をしなくても、自主的に業務を淡々とこなしている。その姿に感心もし、尊敬の念さえ生じてくるのがわかった。
 午前10時のオープン5分前。去年4月から一緒にこの店に配属になった高卒女子の新入社員も10カ月がたち、フロアーのユニホームもよく似合うようになった。後ろで束ねた髪をシニヨンに包み込んで、全体にこざっぱりとした清楚な感じで、店長の前に立ち「店長、駐車場の見回り済みました」と報告した。

「よし、オープンだ」

 フロアーのパートさん2名はステーションでの作業をお願いして店長と女子社員の二人で玄関前に立った。

 間もなく、ゆっくり歩いてくる老夫婦と思われるお客様が並んで向かってくる。すかさず、女子社員が動いた。ドア前で待ち、彼女はドアを開け「いらっしゃいませ。明けましておめでとうございます」とお店の中にお招きした。店長も同じように明るくご挨拶をした。

 初詣でを済ませて来られたようで、白髪の奥様は和服を着ていらして、ご主人は三つ揃いのスーツで、破魔矢(はまや)を手にされていた。

 女子社員がお席にご案内してメニューをお渡しし、いったん下がって、おしぼりとお茶をお持ちした。

 奥様が「おぞう煮のメニューを二つ、お刺身の盛り合わせを一つ、それにお酒を一本、お願いします」と女子社員に注文した。

 オーダーを受けてステーションに戻り、お刺身盛り合わせを先につくっていただくことをお願いした。

 女子社員が出来上がったお刺身盛り合わせと人肌のお酒をお席にお持ちしてお店の盃を置こうとすると、「お盃は持ってきたんです」と、奥様は和装の手提げ袋から小物袋を取り出し、その中から朱塗りの盃を出し、ご主人と自分の前に置いた。

 奥様がお銚子をご主人に向けると、ご主人は両手で盃を持ってそそいでもらい、それをテーブルに置き、奥様から銚子を受け取って、今度はご主人が奥様の盃にそそいで上げ、ふたりで盃を持って「明けましておめでとうございます」と盃を上げた。

 お刺身を召し上がりながら、お酒を2、3杯、召し上がったところで、おぞう煮のセットメニューをお席にお持ちした。

ゆっくりと、にこやかに、新年を迎えられている老夫婦のお客様を見ながら、店長はこの穏やかな新年の始まりに心が洗われる思いがした。

 それから間もなくして、初詣でのあとの和服姿の若いカップルや、お友達同士、ご家族、三世代ご家族や、ご親戚様とご一緒の団体様も来店され、日中からディナーに掛け、お客様の来店がつづいた。

 それでも午後8時を過ぎると落ち着いてきて、店長はチーフ、社員に任せ、事務所で書類の整理を始めた。

 フロアーでは、午後9時を回ってから、振袖姿のお客様が来店され、お一人様なのに、お雑煮のセットメニューを二つ注文された。チーフがテーブルにお持ちすると、「店長さんを呼んでください」と言う。

 店長は心地よい疲れを感じながら帰ろうとしていたところで、「お客様が店長をお呼びです」というチーフの声に、「何か、あったのか」と緊張した声を上げた。「いいえ、お客様が呼んでください、と言っていますので…」とチーフは言った。

 何だろうと思いながら、フロアーに出てみたが、どのお客様かわからずチーフに聞くと、「後ろ向きのお振袖のお客様です」と教えてくれた。

 お席に行って「いらっしゃいませ。お呼びでございましょうか」と、顔を見て驚いた。前の店でチーフで勤務していた時、とても気が合った女子社員であった。

「お久し振りです」と彼女は言った。「どうしたの?」と驚くように店長。

「一緒にお正月をしたかったの。おぞう煮、たのんでおいたわ。夕食はまだでしょ。さあ、座ってください」と彼女。

 彼は涙が出そうになった。結婚したかったほど好きな彼女だった。彼が前の店で店長の内示を受けたあと、なぜか彼女は退社して実家に帰ってしまった。

「どうしたの?」ともう一度、彼は聞いた。懐かしさもあり、責めたいような気持ちもあり、いろんな感情がないまぜになったが、やはり逢えてうれしかったことが一番で、止められない涙がひとすじ、ほほを伝った。

「お父さんとお母さんに、あなたと結婚したい、と言いに行ったの。そうしたら、お母さんが、嫁ぐんだったら、きちんと料理をおぼえて行きなさいと言われて、昨日まで教えてもらっていて、やっとお母さんが、合格よ、と言ってくれたの」「そうか」涙がもうひとすじ流れた。

「君のお父さん、お母さんに挨拶に行かなくちゃな」と、彼はポケットからハンカチを取り出した。

「お父さん、お母さんも一緒に来ているの。ほら、あそこの席。ずっとあなたのことを見ているわよ」と目で示されたほうを見ると、人の良さそうな、ご夫婦が頭を下げている。

 彼は、びくんとして、「挨拶に行ってくる」と席を立った。

「すぐに戻ってきてよ。ぞう煮が冷めちゃうから。元日に、あなたとぞう煮を食べるのが夢だったのよ」
きちんと彼女のご両親に挨拶をして、席に戻って、彼女とぞう煮を食べながら、彼は今朝、最初にご来店された老夫婦のお客様のことを思い出していた。

 (世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)

訳ありの“遅い夕食”

 12月に入ると、夜風が身にしみてくる日もあり、道端に落ち葉が固まっていると、寒そうに身を寄せ合っているように思えます。

 50を過ぎると、子供たちも独立して、元の夫婦二人きりになってしまう、ということはよくあることです。

 二人きりのうちの片方の奥様が、すき間でも見つけたように、たまたま友達と旅行に出かけてしまった日などは、会社の勤務時間が終わっても、早くから家にひとりで帰ってもしようがないので、ふだんやれていない書類の整理をし始めたりする孤独な管理職さんはこの世の中にたくさんいらっしゃいます。

 それもついつい深みにはまって、気が付いたら、事務所には誰もいなくなるほど遅くなってしまうことも…。

 夕食ではなく、夜食に近いくらいになって、今さらコンビニで酒のつまみを買って帰るのも面倒で、いつだったかも、やはり、奥様が実家に母親の介護でいなくて、残業で遅くなって行ったことがある、帰宅の通り道の和食レストランとんでんに寄ってみた。

 夜の10時近いこともあって、外から見るとお客も少ない。おそるおそるドアを開けると、前に行った時と同じ、フロアーの女性が「いらっしゃませ」と、にっこり立っていた。そして「お久しぶりでございます」と。

 そう言われて、(あれぇ~おぼえていてくれたのか…)と、どきどきしてきた。席に座って、出されたお茶を飲むとなぜか少し手がふるえた。お鮨と茶碗蒸しのセットを注文する。おなかが空いているのは一番のごちそう、と言われるが、本当にそう思う。やさしい声で「ごゆっくりどうぞ」と出された遅い夕食のお鮨もおいしかったし、茶碗蒸しも温かく、やわらかめで、これがまた口に合う。

 食べ終わったころ、彼女が来て下げ膳をしてくれて、温かいお茶を持ってきてくれた。これもおいしかった。レジで会計を済ませ、お釣銭をもらうと、彼女は「ありがとうございました。またお越しくださいませ」と言う。その時に目が合った。また、来ますよと、目で返してしまった、ように思う。外に出ると、星がやけにきれいに見えた。

 ただ、それだけの話です…と、そんな話をお客様から聞かせていただいたことがあります。

(世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)

とんでん