春には満開の花咲く桜並木も、葉をすべて落として枝ばかりとなっていた。冬の木枯らしの中を、桜の花を思わせるようなピンクのニット帽にピンクのマフラーをして自転車のペダルをこぐ彼女。

 昨日の夜、お母さんとケンカをした。「再婚するけど、あんたも来るよね」と言われ、突然のことだったので、つい彼女は「行かないわよ」と言ってしまった。お父さんは、彼女が5歳の時、山村の橋梁(きょうりょう)工事に従事していて、豪雨で発生した土砂崩れに巻き込まれて亡くなった。 母一人子一人、食いつなぐようにしてお母さんのいくつかのパート仕事で何とか暮らしてきた。彼女も高校に入ってからは、隣に住んでいたおばさんの紹介で、とんでんのお店でアルバイトをしながら、いくらかでもお母さんの助けになろうと頑張ってきた。

 隣のおばさんはキッチンの天ぷらラインを担当していて、「絶対に料理をおぼえたほうが、あとあといいから」とすすめられるまま洗い場から始まってキッチン内で仕事を教えてもらった。アルバイトをしていた頃の平日の勤務時間はディナーの3時間、土日・祝日はお店からお願いされた時間、夏休み、冬休みは8時間フルタイムで、お願いされたその日のシフトに従った。

 高校2年の時にはお鮨を完璧に握れるようになって、ピーク帯の鮨ラインに彼女がいるといないとでは大きな違いが出るほどであった。

 勉強もそこそこ頑張ったし、何よりもお店に来ることが楽しかった。高校3年になって、お母さんから「大学に行ってもいいのよ」と受験をすすめてくれたが、それほどの余裕があるとは思えず、何かあてがあるように感じて、それがまた何かいやな気がして、「大学へは行かない。わたし、とんでんに就職する」と言ってしまった。心の中では(そうだ、口のうるさい地区マネジャーにお願いしてみよう…)と思ったりもした。

 勤務時間の関係もあって、月に何度も会えない地区マネジャーだったが、来ると彼女に声を掛け、「手を洗えよ。エプロンは手を拭くためにあるんじゃないんだ。きれいなエプロンで仕事ができてこそ1人前。それから、そんなやせっぽちじゃ体が持たんぞ。しっかりご飯を食べろよ」と言われ、お父さんのいない彼女にはうれしかったくらいだ。

 アルバイトだったから、いつ会えるかわからない地区マネジャーにお願いをする前に、店長から「大学に行かないのなら、うちの正社員にならないか。人事部に推薦するよ」と熱心に話してくれて、一日だけ考えて決心を固めた。お母さんはそのことに少しだけ驚いたけれど、「2年半も勤めたとんでんさんだし、あんたが決めたことだから、反対はしない。頑張りなさい」と笑顔なのに涙ぐんでいた。もらい泣きしそうになって、彼女は「うん」と言って背を向け、「じゃ、アルバイトに行ってくるね」と家を出た。

 その翌年に正社員になって2年目の冬、キッチン内の作業はひと通りできるようになっていたし、何よりも、みんな親切で家族のように接してくれた。だから、ちっとも淋しくなかった。年が明け成人を迎える彼女。お店の駐輪場に自転車を止め、彼女は思いを決め、心の中でこうつぶやいた。

(今夜、お母さんに言おう。お母さん、もう自由になっていいよ。20年もわたしのこと心配してくれたけど、わたし、もう成人になるんだよ。大丈夫。楽しい時ばかりじゃなく、人には言えない辛いことや悲しいことがあっても、私には大家族のような仲間がいるし、会社にお願いして寮にも入れてもらうようにするわ。そう、私はもう独立の時よ!)と…。

 お店の駐輪場で自転車を降りて、少し息をととのえてから、お店のドアを開けていつもより元気良く「おはようございます」と挨拶をして中に入る。

 そして、先に来ていた先輩のパートさんの顔を見ながら、(今日もたくさん、大学では教えてもらえないことを学ぶんだ)と、一人一人に「おはようございます。今日もよろしくお願い致します」と、ほほ笑みながら頭を下げ、更衣室に向かった。

(世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)