「風の音が聞こえるか?」と、ぽつりと店長が言った。お店のオープン前にフロアーに立った店長と若い社員。

 どこの風の音だろう、と異動してきたばかりの若い社員がきょろきょろ見回した。「換気扇ですか?」と真面目すぎるほどの社員。いかにも発見した、という顔で店長の顔を見た。

「ちがう。外の風だよ」と店長。静かだった。「えっ。外の風?」と社員はガラス越しに外を見る。「店長は外の風が聞こえるんですか?」「君には聞こえないのか?」

 若い社員は声には出さなかったが、聞こえるはずがないではありませんか、という顔をした。

 「想像力だよ。大事なことは」

 外は紙くずが空まで舞い、電線が揺れていた。1月も半ばになろうとしているのに、関東の木枯らしは意地が悪いほどに冷たく感じることがある。

「外を見たら、風がびゅうびゅう唸っているのがわかるだろう。駐車場を見ていたら車が入ってくる。想像力があれば、その車の音も聞こえるはずだ。車が入ってきたら、お客様だ。そこから、すぐにお迎えの準備だ。玄関に入ってきてからでは遅いんだ。もし、お客様がお体の不自由な方であれば、何かお手伝いをすることはないか、少なくてもドアを開けて差し上げる、そのドアを開けに行く途中でも、玄関口から近くて良い席はないか瞬時に判断しておく。この仕事で大事なのは想像力と、聞こえない音を聞く心、見えないものを見る心だよ」

 若い社員は引き込まれていた。

「もし、君がキッチンなら、客席が見えなくても、仕込みをしながらでも、玄関の開いた音、いらっしゃいませのお迎えの声、オーダーを取ってオーダーがプリンターに音を立てて打ち上がってくる音、その時々刻々に変化する音を聞き取り、調理のスタンバイ態勢をつくっていく。オーダーがモニターに写ってから始めたら、もう後手後手にまわるだけ。時間に追われるのではなく、時間をプロデュースしていく。わかるか? 今はわからなくても、きっといつかわかる…想像力と心を磨いていけば…」

 駐車場に今日、初めてのお客様の車が入ってきた。若い社員は目をこらして1台の車の動きを追っている。彼は玄関に向かって歩き始めた…。

(世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)