人の習慣というのは、ある日突然、変えなければならないきっかけがおとずれるようだ。

 関東の冬は1月が一番寒く感じるが、風のない日中なら小春日和を思わせるやわらかな陽射しが心地よいときもある。平日の午後1時半過ぎ、そろそろランチのお客様も減り始め、4~5歳くらいの男の子を連れた30代なかばの清楚な感じのお母様とそのお母様、つまり、おばあちゃんの3人連れでご来店された。

 フロアーには、地方の大学を出て、とんでんに入社し、お店のキッチンで2年仕事をしてフロアー担当に代わった男性社員がいた。とにかく仕事は一生懸命で、まずチーフになることを目標にしていた。

 フロアーの仕事にまだ、ひと月もたっていなく、毎日、お客様が違うフロアーの仕事に慣れようと、そのことだけの毎日であった。

 この3名のお客様をご要望の禁煙席のお席にご案内したのは彼だった。そのあと、ウォーターステーションで、お茶とお子様にはお冷や、そしておしぼりを用意していた。

 男のお子さんが、せき込み始めているのが耳に入ってきた。(風邪でも引いているのかなあ…)と湯飲みにお茶をそそぎながら心配していたら、フロアーのパートさんが、「私、代わります」と言ってきた。

 すごいなあ、この人は…と、フロアーに出て以来、心の入った仕事に感心していて、「私が代わります」と言われても特に反感はなかった。

 彼はずっと、彼女の動きを見ていた。せき込むお子さんを気づかって、冷たい水ではなく、ぬるめのお湯をお持ちして、そのことをお客様に告げていた。お子様は、低アレルゲンハンバーグランチを召し上がっていた。担当した30代のパートさんは本当にきめこまかく、おもてなしを続け、帰りにはお客様が何度も彼女に頭を下げ、「おいしかったですよ。ありがとう」とお礼を言っていた。

 ああいうふうなおもてなしを自分もできるようになりたい、と彼もまた頭が下がる思いで彼女の一挙手一投足を見ながら(勉強になるなあ…)と心の中でつぶやいた。

 彼女は午前11時から午後3時までの4時間勤務であった。彼は3時の休憩で、事務所で勤務を終えた彼女と一緒になった。「先ほどは代わっていただいて、いい仕事を見せていただいて、ありがとうございました」と素直に話した。

 すると、彼女は目を輝かせながら「私がなぜ代わったかわかりますか。私にも、これから迎えにいく保育園の娘がいて、少し、喘息(ぜんそく)気味なのでわかるのですが、小さい子達は煙草の臭いに敏感なのです」と言われ、彼はハッとした。ヘビースモーカーで今朝からもう10本近く吸っていた。

 彼女はやさしく、「煙草の臭いは服に着いてしまうんです」と彼に言って、「お先に失礼します」と明るく帰っていった。

 彼の実家は、地方の小さな駅前食堂であった。彼は思った…オヤジは若いとき、京都の割烹料理屋で修行を積んだことがある。そのオヤジがよく言っていたっけ。「調理人は舌が命だ。この店を継ぐにしても、熱いお茶は駄目、煙草は吸わないこと」と言っていたのを思い出した。

 煙草の習慣は、ちょっとの暇でもあると吸いたくなるものなあ、よしやめよう! と、事務所のテーブルの上のすでに吸殻で一杯になっていた灰皿を片付け自分できれいに洗い、テーブルに戻しておいた。

 彼には半年後に生まれる、新しい小さな家族も増えようとしていた…。

(世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)