午後9時、フロアー勤務を終えて事務所に戻ってきた、あとひと月もすれば入社3年目になる女子社員が、椅子に座りながら「はあ」と大きな溜め息をついた。

「どうした?」パソコンの手を停めて、店長が声を掛けた。

 20歳の彼女が、クスンと鼻をすすったので、「風邪でも引いたか」と聞くと、椅子に座って、両手をひざの上に置き、肩を落としている。

「何かあったか?」

「私、自信なくなりました」

「なんで? 今、フロアーは君がいるから、フロアー全体が明るくて、良い雰囲気になっているんだよ。それが自信ないっておかしいだろう」

「はい。今、お客様からお叱りを受けたのです。中間下げ膳をしていてお済みでしたら、お下げします、とお声を掛けたのです。そうしたら、お客様から『私はまだ食べている。4人で来ていて、一人でも食事をしていれば、下げ膳は待つものだよ。ものにはタイミングってものがあるんだ。ですから、下げて良いかどうか聞いているでしょ? ということにはならないんだ。君がお客の立場ならどうだ?』と言われました。私はお済みだと思ったのです」

「今までそうやってきて、そのように厳しくお叱りを受けたことはない。なぜか、くやしい?」 「はい」下を向いたままの彼女。

「お客様にはいろいろな方がいらっしゃる。今まではそれで、はいどうぞとか、まだです、と言ってくださったかもしれない。でも今日、君が応対したような厳しいお客様もいらっしゃるものだ、という慰め方はしない。そのお客様は初めてご来店のお客様ではないだろう?」と店長は問いかけた。

 彼女はまだ、うつむき加減で「はい。月に2、3度はいらっしゃっています」と答える。

「そうだろう。前はそれで良かった。しかし、今日は違った。だから、君は余計に心が揺れた。むしろ、お客様とは信頼関係ができつつあったのに」

「はい」彼女は顔を上げて店長の顔を見た。

「お客様は、君を信頼しているからこそ、君に言ったんだ。もう一歩深くお客様の立場になれ、と。お客様を本当によく見ていれば、どのタイミングでいけば良いか、そして言えば良いか、と君に教え、君に気づいてほしかったのだと思う。違うだろうか」

「……」

「同じお客様でもご一緒されている方や、どういうお食事会なのかということでも違う。接客サービスは、これで良いというものはない。技術だけでなく、心も求められるからね。常にベストを尽くすだけだ。それで心が届かなければ、そういう自分にくやしがれば良い」

 何かピンときたように、彼女はこぼれた涙を人差し指でぬぐって、真顔になっていた。

「帰ります。店長」という彼女のいつもより張りのある声に、店長は安心しつつも「これからまだまだ、涙が出ることはたくさんある。くやし涙も、うれし涙も、自分に歯がゆい涙も、いろんな涙がある。どれだけたくさんの色の涙を流したかで、人はより強くも、よりやさしくもなれるんだ」と声を掛けた。

「わかりました。店長。これからも自分に足りないものをお客様が言ってくださるのですよね」

「そう思わなくちゃ、この世界だけでなく、仲間や家族とだって、どんな世界だって生きてはいけないよ」

「はい。もう一歩深く、ですね。わかりました」彼女はしっかりと椅子から立った。

「そう、いつももう一歩。やっと笑ってくれたな。お疲れ様」

(世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)