「父さん、話がある。おれ、関東に行くことにした」

 札幌のとんでんのレストランで1年近く、フリーターで勤めていた彼。

 夜の10時を過ぎ、会社の歓送迎会でお酒を飲み、久し振りにススキノで二次会をやって、ご機嫌よく帰ってきた彼の父親はうろたえ、酔いが醒めたように機嫌が悪くなった。

「母さんの一周忌が済んだばかりだろう」

「だから行く。おれ、もう25だよ」

「かおるさん、どうするんだ。いずれ結婚して、この家に住むんじゃなかったのか」

「わからん。だけど、おれは行く。店長が正社員にならないかって言ってくれたんだ。思い切って関東で勉強してみないかって。母さんに心配かけてばかりいた…」

「そうか」そう言われてしまえば納得せざるをえなかった父親は少し黙ったあと、「いつ行くんだ?」と落ち着いた声で彼に聞いた。

「来月。3月25日に…」

「そうか。おれは寝る」

 父親はそう言って、リビングを出ていった。出て行くときに、ちらっと仏壇の上の彼の母親の遺影に目をやったように見えた。

 それから1カ月後。千歳空港へ向かう電車の窓から、まだ残雪があちこちの日陰になっているところに固まりになって見えた。この景色ともしばらく、おさらばだ、と少しセンチメンタルな気分になった。

 正直、父親との別れも辛かった。つい1時間ほど前、「がんばれ!」と手を握ってしっかり目を見て言ってくれた父親の声が今でも耳に響く。  「かあさんが見ているぞ!」と言われたとき、涙がこぼれそうになって涙を見られないように「行ってくる」と言って背を向けた。

 空港に着いて搭乗口に向かう。フライトは朝一番の8時発の羽田行き。 搭乗口に向かうと、なんで? と思わず口に出るところだった。店長、チーフ、仲間の社員、パートさんまで、10人以上も来ていた。 (あぶない…)と彼はこらえた。

「どうしたんですか?」

 照れくさくて、そう言うしかなかった彼。仲間ってすごいな、と今さらながら彼は、心の中でうれしくて、そしてやっぱり、パートさんと同じように急な別れが悲しくもあった。パートさんは泣いたり笑ったり、彼もどうしてあげれば良いのかわからなかった。

 彼女、かおるは来ていないように思えた。アルバイトさんの女子高生まで、春休みだったからか、送りに来ていた。ハンカチを手に、顔がくちゃくちゃになっていた。すっと、その子の手が伸びてきた。包装された紙包みを持っていた。受け取ると、「かおるさんから」と彼女は言った。

(ああ、やっぱり来ないんだ…)と彼は寂しく思って、本当に最後の最後で泣けてきた。形からして、かおるに贈った指輪を返してよこしたように思えた。

 店長が肩をたたいて「今日はめでたい、おまえの旅立ちの日だ。どこまで大きくなるか、俺も楽しみにしている。幸せになれ!」と励ましてくれた。その店長の頬にも涙がつたっていた。「がんばれ~」「がんばれ~」とたくさんの声が空港ロビーでこだました。

 「じゃ、私、行きます。皆さん、ありがとうございました」と言うやいなや「バンザイ!」「バンザイ!」の連呼。(ああ恥ずかしい…でもなんていい人ばかりなのだろう)と肩を震わせながら彼はチェックインし、飛行機内へ向かった。間もなく、うしろで大きな声がどよめいたように思えた。彼の名前を呼んでいるような気もして、最後のさよならをしよう、手を振ろうと思って振り向いた。

 春色のワンピースを着た若い女性が、真っすぐに彼に向かってやってきた。スーツケースを持った、かおるだった。拍手が聞こえる、拍手が…。

(世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)