春浅い新千歳空港。まだ肌に冷たい空気を突き切るように、飛行機は滑走路を飛び立ち、新羽田空港を目指していた。札幌で生まれ、25年間、札幌にいたことの思いを、空から見える、残雪がかえってせつなくさせた。

(父さん、ごめん…)と彼は心の中でつぶやいた。札幌に父親ひとりを残して、〃志願〃して関東のとんでんに勤務することに決めた彼。

「関東に行く」と父親に打ち明けた時、父親から「かおるさん、どうするんだ」と言われたが、思いもしない、そのかおるはなぜか隣の席に座っている。

 飛行機に乗る寸前まで、かおるのことは忘れようとさえ思っていた。そのかおるが、彼のあとを追いかけるように飛行機に乗り込んで来た。

 そして彼の横の席の中年のご婦人に話しかけ、「すみません。私たち、結婚するのです。どうか、お席を代わっていただけないでしょうか」と、眉を八の字にして、手を組んで、まるで神様にお願いでもするように訴えた。彼もあわてて「すみません」と、きちんと頭を下げた。

 ご婦人はにっこり笑って「よろしいですよ、どうぞ。ご結婚、おめでとう。がんばりなさい。私も東京の息子夫婦に会いにいくのよ。というより孫の顔が見たくてね」と席を代わってくれた。

 飛行機は飛び立ったあと、雲を突き抜ける間中、ガタガタと機体を震わせ窓の外は霧に包まれ、かおるは怖がって、ひじ掛けの上の彼の手を握った。それはこれから始まろうとする、誰にもわからない彼らの未来への最初のシーンでもあった。

 厚い雲の中を抜けたあとは巡航速度となり、不安も徐々に遠去かり、機体は安定し、機内のドリンクサービスが回ってきた。その時には、かおるは疲れたのか、彼の肩に頭をあずけて眠ってしまっていた。

 女性の客室乗務員が小声で「いかがですか」と聞いてきたが、彼は声を出さずに口だけで「あ・と・で」と答え、笑顔のきれいなキャビン・アテンダントの彼女はうなずいて、後ろの席に進んでいった。

 千歳空港で、見送りにきた、一緒に勤務していた女子高生アルバイトさんから「かおるさんからあずかったの」と渡された小箱が、彼はずっと気になっていた。その小箱はスーツの上着の横のポケットに入っていたので、すぐに取り出すことができた。そっと包み紙を外して中を見たら、やはり、かおるに贈った指輪のケースだった。

なぜ、返してきたのだろう、と怪訝(けげん)に思いながら開けて見ると、中に二つ折りの小さな紙が入っていた。その紙をひらいて見ると、かおるの字で、「夢の始まり」と書いてあった。

 それを読んで、彼はくすっと笑ったが、とても温かいものに包まれるようにも感じたし、かおるを幸せにする責任の重さも感じた。指輪のケースをポケットに戻そうとした時、彼の肩がわずかに揺れ、かおるは一瞬目を醒ましたようだが、またすぐに目を閉じ、夢の中へ戻っていくようであった。

 肩にもたれて眠る、かおるに目を向けると、彼女の開いている胸に、彼が贈った指輪がネックレスになって彼女の胸を飾り、窓から射してきた朝日が、それをまばゆいほどに輝かせた。

(世界の中心に愛がある、ということを信じている孤独な編集長より)