新入社員にとっては、ゴールデンウイークという初めての嵐の洗礼を受け、ほっとするのは5月の10日を過ぎたころ。

 キッチン作業にも慣れてきて、いくらか気持ちのゆとりもできてきた彼女。ゴールデンウイークを経験したことで、調理技術のまだまださわりではあるが、自信も付いてきた。

 ところが、このところ、茶わんむしを蒸しすぎてパンクをさせる、傷は浅かったが包丁で指先を切る、皿を落とす、鍋をころがす、必然的にまわりから「どうしたの?」と声が掛かるようになる。

 自分でも変だ、と思い始める。「もしかして、この仕事、向いていないのかも」と思い始めたり、でも、共育担当者も、店長もチーフも、パートさん、アルバイトさん、みんな良い人だし、この職場が嫌いではない。

 地方から出て来たから、寮に戻っても一人きりで、これといった友達もいない。同期の仲間は元気だろうか、他企業に勤めた短大の友達は私と同じように悩んでいる人はいないのだろうか、次々に考え方がマイナスばかりに向いていく。朝、目覚めても、すっきりしない。よく眠れなくなった。食欲も落ちてきて、明らかに体重も減ってきた。

 午後の休憩の時、店長が声を掛けてきた。

「明日は公休だな。少し、気分転換をするとよい。ところで今晩、あいているか」と店長。

「えっ、今晩ですか?」

「そう、今晩。よければ、君をデビューさせるよ。今晩」

「デビュー…」

「ちょっとした会があってね」

「会ですか…」

「このお店の上の入寮者が、月に一度、集まって、勉強会とは言わないが、まあ、今、思っていることや、知りたいこと、要するに自由におしゃべりをする会さ。アルコールは抜きの会だけど、けっこう盛り上がるよ。今日は日曜のディナー。ケガをしないように、気を入れてな」

 店長は励ましてくれているんだ、と彼女は思った。どんな会なのだろうと彼女は思ったが、悪い気はしなかった。

「店長、よろしくお願い致します」と彼女は頭を下げた。

「了解。じゃ、デビューだ」

「デビューなんて…」彼女はどきどきし始めていた。そして、本当にケガをしないように気を付けなくちゃ、と妙に気合が入っていくのがわかった。

 その夜、それぞれの店から戻ってきた、入寮者と地区の店長が集まってきた。全員というわけではなく、あくまでも自由参加。それぞれのお店のシフトの都合もあり、来れる人だけが集まり、このお店の個室で食事会をするのだという。

 午後9時半くらいから集まり始め、10時にはほぼ、この日の会の出席者が固まる。彼女はどこに座ろうかと、店長の顔を見ていたが、同期の男子新入社員がやって来て、「やあ」と声を掛けてくれて、自然と彼と向き合う席に座った。席は自由なようで、店長は別の席で、別の店のチーフと楽しげに話している。  会の始まりで、地区マネジャーが簡単に挨拶をする。

「皆さん、お疲れ様。おなかもすいただろうから、さっそく、食事をしましょう」と、にこにこと笑いながら話す。

「それでは、いただきます」という別の声が聞こえ、彼女は、うちの店長だ、と思った。

 食事をしながら、めいめいに近況を話し合っているようだ。

「このごろ失敗ばかりさ。ケガも多いしね。どうかしているよ、おれ」

 と同期の男性社員が話してきたので、「私も!」とつい彼女は大きな声で返事をした。一瞬、みんなの箸がとまった。けれども、すぐに笑い声でいっぱいになっていった。彼女もおかしくて、みんなと一緒に笑った。

 食事が済んで、みんなで片付け、ドリンクが運ばれた。

「ええ、それでは、あせらずに、仲間を信じて、自分の目標に向かってこつこつと進んでいこう、という”ゆるりの会”ですが、今日のデビューは新入社員の若い二人です。それでは自己紹介をしてください」

  男子社員が出身地を言って「キッチンで毎日、へまばかりしています」というと、「それでいいの」と、あちこちから声が上がった。

 彼女も「北海道から来ました。私もへまばかりしています。店長、ごめんなさい」と言うと、「いいんだ。いいんだ。みんな同じ道をあゆんできたんだから」と店長が言うと、「そうそう」というみんなの声が輪唱のように聞こえ、彼女はおかしかった。

 そのうち、席が自由に動きだし、先輩の女性チーフが話しかけてきた。

「困っていることない? 困ったことがあったら、一人で考えないで、いつでも相談して」と言われ、うれしかった。しかし、それ以上に、かっこいい、と彼女は思った。いつか、私もフロアーに出て、こんなきれいなお姉さんになろう、と思った。