6月の第3日曜日、父の日の午後9時。

 旅行帰りのような大きめのバッグを手にした40過ぎの男性がお店に入ってきた。フロアーのパートさんが応対すると、キッチンのアルバイトさんの父親であることがわかった。 「お伺いしていました。お席にご案内致します。どうぞこちらへ」

 中年男性は妙に緊張していた。

 パートさんはお茶とおしぼりを3組置いて、「間もなく、息子さんがいらっしゃいます。9時までの勤務ですから」と言って、下がった。

 3組のお茶とおしぼりを見ながら、彼は少し首をかしげた。

 少しして、店の奥から彼の席に若者が近づいてくる。

「お帰り、父さん。久しぶりです」

「どうしたんだ、お前?」

「ここでアルバイトをしているんだよ」

「そうじゃなくてさ。どうしたんだ、お前?」

「何が?」

「その格好だよ」こざっぱりした若者の姿をまじまじと見ている。

「変?」

「変じゃないよ。すごくいいよ」

「ははははっ」若者は頭をかいた。

「3カ月前は髪の毛はあちこち、とがらせていたし、耳だけでなく口にまでピアスしてたのに…」

「やめた。いつまでもガキやってられないよ。昨日、はたちになったしね」

「そうだったな。お前もはたちか」

「あっ。母さん来た」

 若者の母親が、少し息を切らせるようにやってきた。

「ごめんね。遅れちゃった。お父さん、お帰り」

「ああ。元気そうだな」

「お父さん、わたし、車の免許取ったんだ。それでね。夜道に慣れなくて、こわごわ運転してきたのよ」

「ほう。やるね」

「だって、お父さん、うちにいること少なくて、やっぱり買い物とか不便なのよ。それで2カ月半掛かったけど、3日前に免許取れたの。ほら」

 彼女は、うれしそうに真新しい自動車運転免許証を見せた。

「すごいだろ、父さん。母さんも頑張ってるよ。駅前の本屋さんでパートもやってるんだよ」

 父親の彼は、目をぱちくりしている。

「だから、お父さん、ここで飲んでもいいわよ。それに二十歳になったあんたもビールで乾杯しなさいよ。わたしは運転するからウーロン茶で」

 若者は、この席を見守っていたパートさんを手招きして呼んだ。

「中ジョッキ二つとウーロン茶をお願いします」

「中ジョッキ二つとウーロン茶ですね。かしこまりました」

「それに、さざんかを三つ」

「さざんかを三つですね。お飲み物、すぐに持って参ります」

 フロアーのパートさんも、にこやかに下がっていった。

 母親の彼女はうれしい、そして安心したような顔になっている。

 すぐに飲み物が席に持ってこられた。

「さあ。乾杯」と母親の彼女がグラスを上げた。

 三つのグラスが合わさってカチーンとなった。

「いい父の日よね。お父さん?」

「うん。なんだか、浦島太郎だな」と父親。

「そうね。この子、ほんとに変わったわ」

「どうしたわけよ」と息子の彼に聞く。

「ちょっとね。ここの店長に助けられたことがあったんだ」

 母親はふんふん、とうなずいている。

「夜、遅くなったことがあって、柄(がら)の悪い酔っ払い二人にからまれたことがあったんだ。その時、通りかかった、ここの店長が、やめないと警察に通報するぞ、と言ってくれたんだ。そうしたら、酔っ払いが逆上しちゃって、呼べるものなら呼んでみろ、とすごんできたんだ。それで店長が俺のシャツの袖を引っ張って、逃げるぞ、と言って、二人で走って逃げたのさ」息子の彼は笑っている。

「そしてね。そのあと、公園で二人でいろいろなこと話して、店長がアルバイトをしていないのなら、うちの店で働いてみないか。あと数ヵ月で二十歳になるのなら、その格好、卒業しろよ。まあ、社会に出るための行儀見習いだと思って、その気になったらおいでよって名刺をくれたんだ」

「そういうことだったのか。あとで店長さんにお礼をいわなくちゃな」と父親の彼はうなずきながら、生ビールをぐびっと一口飲んだ。

「お待たせ致しました。さざんかです」と、お鮨、天ぷら、そば、茶わんむしがセットになった料理がテーブルに並べられた。

 そして若者は言った。

「父さん。そのお鮨、俺が握っておいたんだよ。父の日、プレゼント」  父親も母親も目を丸くしてお鮨を見つめている。