絵に描いたような枝垂れ梅がお店の近くにある。ウインドー越しに見えるその梅の花を見てお客様が「きれいね」と声を上げているのが耳に入ってくる。  料理提供のワゴンを押しながら、ついそのお客様の声につられて外の景色に目がいってしまうことがある。  梅を見ているお客様はうれしそうに笑っている。それにもつられて自分にも笑みが浮かんでくることがわかる、入社丸2年がたとうとする男性社員のA君。  キッチンに1年7カ月いて、店長からフロアー業務もおぼえてもらうと言われて、4カ月目の2月半ばのこと。やっと、フロアー業務に慣れてきたところだ。  誰でも経験するように大体、慣れてきたところで失敗をする。キッチンでも4カ月目に包丁で爪をそいで、ひやりとしたことがある彼。  ランチタイムのピーク、満席だ。料理提供のためにお客様のお席に行って「さざんかの冷たいおそばのお客様」と尋ねると、「冷たいのじゃなくて、あたたかいのだよ」と男性のご年配のお客様から言われた。 「えっ、そうでしたっけ」と、つい、なれなれしい言葉を使ってしまった。自分でも、しまったと思ったが、あとの祭りで「そうでしたっけってなんだ。自分のミスを客になすりつける気か」とお客様を怒らせてしまった。  すかさず、気づいた店長がすっと入ってきて、「申し訳ございません」  と深々と頭を下げた。  お客様は「しっかり、教育してくれよ。だいたい、注文のとき、復唱しなかったからな。案の定だよ」と注意をされた。むろんA社員も平謝り、冷や汗びっしょりだった。 「いいよ。いいよ。このそば、食べるから。気を付けてくれよ」とお客様が救いの手を伸ばしてくださった。  馬鹿だなおれって、復唱はしないわ、ため口はきくわ、最低だ、お客様に叱られて当たり前だ、馬鹿馬鹿と自分を責めた。  それでも、空のワゴンを押しながら、自分を立て直すように、お客様がお帰りになったお席の下げ膳をして、なおかつお帰りになるお客様に「ありがとうございました」と言えた時にはしっかり反省もできていた。  洗浄で下げた器類をおろし、ステーションに戻って、ベルスターで呼ばれたお客様の元へ行き、ご注文を受けた。もちろん、今度はしっかり復唱をしながらお伺いした。  ステーションに戻る途中、先ほどご迷惑をお掛けしたお客様のお席を見ると、お食事がそろそろお済みになりそうな気配であった。  ワゴンにお茶の入った急須を載せて、ステーションから近いお席から順にお茶サービスをしていきながら、彼をたしなめてくださったお客様の席にお伺いし、「先ほどは大変失礼致しました。お茶のお代わりはいかがでしょうか」とお尋ねした。 「ちょうど良いときに来てくれた。ほしいね」とお客様は、にこにこ顔でおっしゃってくださる。連れのお客様はご友人のようで、皆さん、にこにこしていらっしゃる。  彼は思った。皆さん、こんな私を励ましてくれているんだ、ありがたいなあと思い、つい、彼は「ありがとうございます」と声に出して最敬礼をするように頭を下げた。 「がんばんなよ」「がんばんなよ」「がんばんなよ」「がんばんなよ」 と4人様の励ましの声が彼の頭の上で心地よく響いていた。