関東は梅雨入り。気象庁の発表によると、平年より6日、昨年より20日早いとのこと。

 雨の季節に似合うのは、小さな傘を広げたような花をたくさんつけている紫陽花(あじさい)。6月に入っても最低気温が摂氏10数度で、札幌とさほど変わらない。札幌が暖かいのか、地球温暖化か…と札幌出身の店長は雨の降る交差点で信号待ちをしていて、歩道に咲く紫陽花に目を向けたのだった。

 5年前、店長になるチャンスをつかみたいと、札幌からチーフで関東に異動してきて1年で店長になった。「自分の手で幸運をつかんだ」と思った。

 出席者が180名くらいの関東の店長会議で、社長から店長の辞令交付を受けた時、感動で膝が震えたし涙もこらえたほどだ。

 店長初任の店舗は土地勘もなく、内心、よそ者のような感じでおそるおそる勤務していたが、よくよく聞いたら、チーフと社員の一人ずつが札幌出身だったり、パートさん、学生アルバイトさんの中にも北海道出身者がいて、日を追って打ちとけていった。

 それでも初任店長だから、張り切り過ぎて空回りするところもあって、年配のパートさんから「店長、飛ばし過ぎよ。一度に何もかも変えようと思わないで、一つ一ついきましょうよ。そうしたら、私達もついていけるから。店長、一生懸命だから私は好きだよ。店長のそういうところって」とアドバイスされ、肩の力を抜くことを教えられた。

 常連のお客様の顔もおぼえられるようになって、親しくご挨拶ができるお客様も増えていった。

 毎週、土曜か日曜のピーク前に、60歳を過ぎたご夫婦のお客様がお二人仲良く自転車で来店されていた。このお客様は窓側の外の景色がよく見えるお気に入りのお席があって、そのお席が空いていれば、どのフロアー係も「どうぞいつものお席へ」と親しみをこめてご案内したものだった。

 従業員に教えられることのほうが多かった日々、お客様のほうから親しく接してくださった日々もあっという間に2年が経ち、次の店舗への異動が決まった。

 週に一度は通い続けてくださっている人柄の良いご夫婦のお客様に「お会いできるのも来週が最後となりました。いろいろとご厚情を賜り新米店長だった私もどうやら巣立ちの時が来たようです。本当にありがとうございました」とご挨拶した。

 ご夫婦は「えっ?!」と言葉をなくし、しばしうつむかれたがすぐに「そうなんだ。新しい店に行っても、がんばんなよ。こっちこそ良くしてくれてありがとうよ。店長」と励ましてくれた。

 次の店も、まったく土地勘のないところであった。従業員の中に北海道出身者を探すこともなかった。どこに行っても”とんでんの仲間”がいるという安心感をしっかり持てるようになっていた。

 関東は北海道から遠いけれど、どこの店舗に行っても、”とんでんの仲間”は仲間なんだ、と自信を持って言えるようになった。

 店長2店舗目の店はあせらず、まず、小さなミーティングをさざなみのように繰り返した。自分のこともわかってもらいたいし、従業員一人一人のことも知りたい。心が通じ合えば、お願いしたいことは必ず通じる、と店長は今の自分の考え方を信じている。

 そして2カ月が経った日曜日のことだった。

 いつものようにフロアーで仕事をしていると、背中越しに「よう、店長久し振り! 元気でやっているかい?」と聞こえた。

 振り向いて驚いた。前任の店舗のあの常連のお客様だった。ご夫婦で。本当に驚いた。なぜってそのお客様は電車を2回乗り換えて、駅からタクシーに乗ってご来店してくださったからです。2時間も掛けて。

 ご主人はいつものおたのしみ膳、奥様は香膳をゆっくりお召し上がりになった。

 帰り際にお客様がまた声を掛けてくださった。

「店長に会えてうれしかったよ。とんでんが好きでね。今も月に4回はとんでんさ。今日、思い切って来てみたら来れたから。4回のうち1回はかみさんと二人でこっちに来るからさ。店長には世話になったものな」

 ありがたかった。うれしかった。この商売、奥が深いなあ。まずいよ、涙があふれてきて。

「店長、じゃ、また来るから」

「ありがとうございます」深々と頭を下げた。

 クラクションが鳴った。信号が青に変わって、後ろの車から鳴らされたのだ。そんなことがあったっけ…と店長は3店舗目の店舗に向かった。