高校まで北海道旭川に住んでいました。母方の祖父が帯広で電力会社の寮の賄いを含めた管理人をやっていて、小学生くらいまで2、3度、母に連れられて遊びに行った記憶があります。

 寮と言っても旅館のような形で、電力会社の管理職が出張で泊まる宿のようでした。地元の電力会社が宴会で使うこともあり、なかなかの繁盛でした。祖父は調理人で、母は祖父の一人娘でした。私の知っている祖母は祖父の後ぞいで、旅館の女将のように切り盛りし、ぼくらを歓待してくれましたし、ぼくらは旅館に遊びに行ったような感じがしたものです。

 もう50年くらいも前のことですけれど、旭川から帯広には各駅の蒸気機関車に乗って行きました。富良野で根室本線に乗り換えて、落合駅から新得駅までの狩勝峠を越えて行くのですが、その時に機関車がバックをするようにして峠を昇っていったような感覚をおぼえています。

 また、蒸気機関車に乗ってトンネルに入ると、窓を閉めておかなければ車内に煙りが入ってきますし、せっかくお洒落してきた服の襟も、顔もすすけてしまいます。夏は暑ければ、列車の窓を開けて風を入れることができて、窓から入ってくる風がとても気持ちの良いものでした。

 帯広の祖父が亡くなってからは帯広に行くことはなくなりましたが、母の年の離れた一番下の弟、私にとって叔父に当たりますが、叔父が跡を継ぎました。叔父はとても愉快な人で「百も承知、二百も勝手」とか、恐ろしくマイナーな名言(迷言?)を吐いてはよく笑わせてくれました。

 叔父には、とてもきれいで若くて働き者のお嫁さんが来て、子供もできましたけれど、私は東京の大学に進学しましたから、従兄弟と会うことはありませんでした。

 叔父は60代で癌で亡くなり、それ以後、寮管理を続けられなくなって、叔父のお嫁さんは帯広を離れ、根室本線で八つ目の駅新得に住んでいます。昨年、叔父のお嫁さんが元気で暮らしているか、気になって電話をしてみたら「新得はきれいなところよ。若いころやっていた油絵を思い出して時々、新得の風景を描いているわ」と話してくれました。若いときのままの声で、どきっとしました。

 彼女とは小さいときにしか会っていないので、お互いに60歳を過ぎた今も、私に、ちゃん付けで話しかけてきます。懐かしく、今は一人暮らしをしているようで、ちょっぴりもの悲しくもありました。

 義理の叔母が住む新得町のホームページを見たところ、新得町は東京都の約2分の1の面積で、その中に人口が7350人ですから、人口密度が1平方キロメートルあたり7.2人という広さです。

 年間平均気温が6.6℃という涼しさ、というか寒さでしょうか、昼間の暑い夏でも夜は涼しく、こういう気候がそば栽培に適していると言われています。7月中旬から8月まで新得町を訪ねると、国道38号線を包むようにそば畑一面の白、赤、ピンクの花に目を奪われるとのこと。

 ソバロードとも呼ばれ、花の香りも漂い、さながらおとぎの国に迷い込んだような、とてもきれいな景色の中、約1.3㎞を車で走れるそうです。年間700トン、作付面積160ヘクタールを誇る新得町のそば。平成元年第1回全国そば生産優良経営表彰式において、最高の農林水産大臣賞を受賞し、名実共に日本一のそばとして有名な新得そばです。

 亡くなった、そば好きの父は私が小さな子供のころ、新得の干しそばを大鍋にお湯を沸かし自分でゆでて、4人前くらい、ぺろりと食べていたのを思い出します。私にとっても、とても懐かしい新得そばです。